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ルポ塾歴社会~日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体~

先日ドラマ「二月の勝者」が最終回を迎えました。中学受験の悲喜こもごもを上手に描いた良作でした。

そして偶然ではありますが、同じタイミングで読んでいたのがタイトルの本でした。「学歴社会」という言葉は聞かれたことがあるかもしれませんが、「塾歴社会」というのはいったいどういう定義なのでしょうか。

以下AMAZONのより抜粋。

開成、筑波大付属駒場、灘、麻布など進学校の中学受験塾として圧倒的なシェアを誇る「サピックス小学部」。そして、その名門校の合格者だけが入塾を許される、秘密結社のような塾「鉄緑会」。*なんと東大理IIIの合格者の6割以上が鉄緑会出身だという。いまや、この二つの塾がこの国の“頭脳"を育てていると言っても過言ではない。本書では、出身者の体験談や元講師の証言を元に、サピックス一人勝ちの理由と、鉄緑会の秘密を徹底的に解剖。学歴社会ならぬ「塾歴社会」がもたらす、その光と闇を詳らかにする。

*2015年のデータによる

サピックス

まず中学受験塾としては名実ともに最高峰に位置するサピックスについて。首都圏においてはサピックス・早稲田アカデミー・四谷大塚・日能研の4つが4大大手塾と位置付けられています。(ちなみに関西では、浜学園、希学園、馬淵教室、日能研あたりが有名です)

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「息子の慶應中等部受験…奇跡の合格ブログ」より

その中でも御三家と呼ばれるような最難関校の合格者の半分をサピックスの生徒が占めていると言われています。

それではサピックスとはいったいどんな塾なのでしょうか。難関校にバンバン生徒を入れると聞くと、スパルタ教育的なものを想像する人もいるかと思いますが、サピックスの授業では、知識の詰め込みだけではなく、知識を早く滑らかに使いこなす術を教えていると言われます。

というのも、中学受験(特に難関校になればなるほど)においては知識の定着を測る問題というのは一部であって、単なる知識の詰め込みでは太刀打ちできないようにできています。知識量よりも、思考力や好奇心やポテンシャルを持っている生徒を集めたいと思っている私立中学(特に難関校)は多く、自分たちの学校の教育理念に合う生徒を取るために各校趣向を凝らして入試問題を作成しています。

圧倒的なブランド力を持つサピックスには首都圏の最上位層の生徒が集まり、その中で習熟度別に輪切りにされていきます。(最上位クラスはαクラスと呼ばれ、そこは日本で一番優秀な頭脳を持つ集団ということになります)

その優秀な子たちに大量の宿題を課し、復習中心主義でぐいぐい進めていくのがサピックスのスタイルです。

ここまで読めば、「素晴らしい塾じゃないか」と思われるかもしれません。確かに日本のエリート層を支える重要な教育機関であることは間違いないと思います。

しかし、サピックスに通えばみんながみんな学力が伸びる(志望校に受かる)わけではもちろんなく、出来ない子へのフォローもほとんどないため、いったんついていけなくなると相当厳しいことになります。

中にはサピックスの授業についていくために別の個別指導塾に通う生徒もかなりいるらしく、そんなに勉強づけにされる子どもたちにいたたまれなくなります。

鉄緑会

首都圏に住んでいる方ならどこかでサピックスは見たことがあると思うのですが、おそらく鉄緑会について知っている方はそこまで多くないと思います。以下鉄緑会のHPより抜粋。

鉄緑会は、中高6年一貫校の生徒を対象とした、東京大学受験指導専門塾です。既存のマスプロ化した塾や予備校の画一的な指導方法に疑問を持った東大医学部、法学部の学生・卒業生によって、自ら開発、実践した学習法をもとに理想の教育機関を目指し、1983年に設立されました。以来今日まで約40年の歳月にわたって、東大受験の専門機関として徹底した指導にあたり、毎年極めて高い合格率で多数の東大合格者を輩出してきました。その歴代の鉄緑会卒業生も現在では、医学界、法曹界、官界、学術界と、国内外を問わず、幅広く活躍しています。

私は以前に東大に20名以上合格者を出すような進学校で教えていたことがあるので、鉄緑会のことは知っていましたし、通っている生徒もいました。鉄緑会の特徴としては、男女御三家や筑駒のようなトップ校が指定校として決められており、基本的に鉄緑会に通っているのはこの指定校に通う生徒たちが大部分を占めます。そして開成では約3割が、桜陰では4割、そして筑駒では5割を超える生徒が鉄緑会に通っているというデータもあります(2015年)。ちなみに鉄緑会は大阪にも校舎を持っており、灘、洛南、神戸女学院のような進学校に通う生徒が多く在籍しています。(灘の生徒の約25%程度が鉄緑会に通っているそうです)

塾歴社会

ここまで読んでお分かりの通り、まず中学受験をするためには必ずといっていいほど塾に通います。一言に塾といっても補習塾、個別指導塾、進学塾など千差万別ですが、どの塾に行くかによってその生徒の将来が変わってくる可能性も十分に考えられます。

そして無事に念願の中学に入学できたとしても、次の大学受験に向けての準備が始まります。

鉄緑会は中1から入学を受け付けており、サピックスに通っていた生徒の多くがそのまま鉄緑会に入ります。その鉄緑会から多くの生徒が東大合格者が出ています。(2021年は全合格者訳2600人に対して、412名が鉄緑会出身者。特に日本で一番入るのが難しい理Ⅲ(医学部)は定員100人中鉄緑会出身者が37名を占めます)

ここでわかることは、有名進学校の実績の裏には少なからず鉄緑会の影響があり、その鉄緑会はサピックスの卒業生が多く在籍しているという事実です。

毎年春になると週刊誌が東大合格者数ランキングの特集を組み、その結果によってその学校の入試の倍率が変わってきたりします。しかし、実のところ開成や筑駒のような名門校は受験に特化した授業などはほとんどしておらず、どこの学校に入るかということよりもどこの塾に通うか(鉄緑会に入るか入らないか)ということの方が重要なのかもしれません。

つまり、「学歴」よりも「塾歴」が重要で、この国では塾が受験エリートを育てているという事実が存在します。

公立小学校から私立中高一貫校や公立校へ。そしてそこから東大をはじめとした難関校へとなれば、学歴的には多様な道が存在しますが、塾歴で見ると多様性が極めて乏しいのがわかります。これが教育界を取り巻く現実です。

教師としての見解

さて、ここまでサピックスと鉄緑会の話を中心に日本の教育界を取り巻く「塾歴社会」について書いてきましたが、ここからは私立の中高一貫校に勤める教師としての考察を書きたいと思います。

まず、鉄緑会の素晴らしい実績に関してはすでに書かせていただきましたが、その実績を支えているのが恐ろしい量の課題になります。容量の良い生徒でも一つの課題に2~3時間はかかると言われており、開成や筑駒の生徒でも授業中に鉄緑会の宿題をやっている生徒は多数いるとされています。

こうなると何のために一生懸命勉強をして、難関校に入ったのかが全く分かりません。(学校に通わず塾にだけ行けばいいのではないか)本当にそこまでしてまで東大や医学部を目指す意味はあるのか。一教育者として私には疑問です。もちろん学校の授業では物足りない生徒がこのような塾に行って鎬を削ることに異論はありません。しかしそうでない子が塾と学校の両立ができずに、結果どちらもうまくいかなくなり自信を喪失するケースをこれまでにもさんざん見てきました。

サピックスも鉄緑会もしょせん塾です。前回の投稿でも書きましたが、塾は生徒の成績を上げ、志望校を受からせることが唯一にして最大の目標である営利企業です。一方我々私立の学校は建学の理念の元独自の教育を生徒たちに施します。もし塾がその教育を阻害するようであれば、それは本末転倒としか言いようがありません。

では、日本の教育界においてなぜこのようなねじれた構造が成り立っているのでしょうか。それはやはり「学歴社会」が存在するからだと思います。

現在日本全国に大小合わせて約5万軒の塾があると言われていますが、それは世の中にニーズが反映されていると考えるべきです。つまり、学校だけではなくより多く勉強をして”良い”学校に行きたいから塾に行くわけです。ではなぜ”良い”学校に行きたいかというと、”良い”学校に行くことで”良い”将来が約束されるからというステレオタイプな考え方があるからです。

年功序列も終身雇用も崩壊寸前の今、そして現在の予測不可能な社会で生きていく中で、「良い学校⇒良い企業⇒幸せ」という方程式はすでに成り立たなくなっているにもかかわらず、目的意識も持たずに”良い”学校を目指す生徒(保護者)がいかに多いことか。東大を出たからといって必ず幸せになれるわけではないのは誰でもわかっているはずです。

開成や東大など難関校を目指すことが悪いわけではありません。しっかりとした目的意識もなく”良い”学校に入ろうとする姿勢が問題だと思っています。例えば、早稲田大学に入りたいから文学部も法学部も政経学部も人間科学部も社会学部も教育学部も受けて、受かった学部に行くという生徒もいます。もちろん早稲田大学に入ることは尊いことですが、それって大学に入ることが目的になっていて、何を学んでどんな将来を歩みたいかという視点がごっそり抜け落ちています。個人的にはそんな進路指導はしたくありません。(学校的には進路実績が増えて良いかもしれませんが・・・)

本書にも書かれていますが、「学歴」は自由を保障する「通行手形」の役割を持っています。できるだけ良い通行手形を手にするために競争が生まれ、それが受験戦争へと発展しました。

皮肉なことに、全国の子どもたちに平等な教育を行き渡らせることに成功した結果、国民的教育競争が始ったのです。高校の進学率が90%を超えた1970年代あたりから塾の数も爆発的に増えていったのですが、それはつまり、塾はこの国の教育の平等性と画一性が生んだ産物とも言えるのです。

私は個人的に大学入試をはじめとした入試改革が進み、学校の勉強に加えて毎日数時間も受験勉強をしなければいけないシステムがなくなることを願っています。「そんなことしたら大変なことになる!」と思われるかもしれませんが、実際欧米では日本のような入試のシステムは存在しません。例えばアメリカなら大学に進学するために必要なのは学校の成績(GPA)、*SATやACTなどの統一試験のスコア、ボランティアなどの課外活動歴、明確な志望理由などを記すエッセイなどで合否が決まります。見ているのは一元的な学力だけでなく、全人的な評価を行い、その生徒のポテンシャルを測ります。そして入学するのは比較的簡単であっても、入ってから一生懸命努力しなければ進級卒業はできないようになっています。大学入試で燃え尽きて、自堕落に4年間を過ごす学生が多い日本とは根本的に異なります。

*先日ハーバード大学が2026年からSATやACTの受験を志願者に課さないというニュースがありました。今アメリカでは学力を測る統一試験が廃止の流れに傾いています。

日本でも大学入試において総合選抜型入試(旧AO入試)や学校推薦型入試などの一般入試以外の入試が年々増えています。昔の人にしてみれば「受験勉強」を必要としないこれからの入試は邪道と感じるかもしれませんが、「自分が一体何者であるのか」「なぜ○○大学△△学部に入りたいのか」「入った後で何を学び、どう成長したいのか」「大学卒業後何を成しえて、どのように社会に貢献していきたいのか」など考えをしっかりと自分の中で確立してから進学をすることは極めて重要だと思います。その中で学校の役割、塾の役割というのは差別化され、共存共栄してくのが一つの形だと考えます。

今の日本において学校(特に私立校)と塾は切っても切れない関係にあります。お互いが子どもの将来と国の未来を第一に考え、本当に大切な教育を実践できるようになることを願っています。

長文を最後までお読みいただきありがとうございました。


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