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短編小説その1「人魚姫の泡」

短編集その一 人魚の泡 人魚の泡は無数に浮かび上がる貴重な宝飾品である。日差しに輝きながら昇って行く、どことてあてなどなくとも昇り続けるけれど、人魚姫が泡となって解体したのではない。そのそこの島に人魚姫はまだ横たわっている、王子様の頭を膝の上に載せて、歌を歌いながら優しく頬を撫でて通過する船を眺めている。泡を生み出すのは人魚姫ではない、優しく撫でる王子様の頬が溶けて人魚のような淡い泡が立ち上っている。優しさが仇となるのか心を込めて頬を擦るたびに、少しずつ肌の表から肉が失わ

    • J-P・サルトル著 白井浩司訳 「嘔吐」を読んで

      時々、以前に読んだ本を読み返している。でも、当時は非常に感激した作品でも色褪せてみえることが多い。ところが、びっくりしたことに、この「嘔吐」は今読んでもとても良いのである。なぜなのだろうか。しばらく目を閉じて考えてみる。実存の不条理を描いたこの作品が傑作なためなのだろう。ただ、実存の孤独を、実存そのものの醜悪さを、主人公ロカンタンがマロニエの木の根に見出したためではない。 以前に、カミュの「異邦人」の感想文を書いたことがある。異邦人の甘い出だしの文章「今日、ママンが死んだ

      • 清水正之著 「日本思想史」を読んで

        日本に思想と言われるものがあったかどうか、気になり読んだ本である。思想とは何か。特に日本思想とは何か。著者はまず初めに日本思想と言われる意味内容について問う。今も続いているテーマなのである。著者は思想の対象としては、哲学としての自然・人間・超越的存在(神や仏)についての意識と、詩や文学などに表現される人間観・世界観、それらに道徳・モラルを表す倫理観を含めて題材とすると述べている。つまりは、思想と呼ばれうべきものすべてを取り扱うのである。目次を見て分かる通りに、古代、中世、近世

        • イアン・ブレマー著 有賀裕子訳 「自由市場の終焉 国家資本主義とどう闘うか」を読んで

          国際政治や経済にも関心を持っている。ずっと以前には、ハイオクの「隷属への道」やケインズの公共投資に関する本を読んだことがある。最近読む経済学の本には統計や確率の知識が必要になっている。難しい数式が結構でてくるのである。政治は、経済学ほど数学は必要ないが、どこか根拠に確実性が乏しい。文学や哲学論以外の本を読むのは、これらの著書に関心あるものが少なくなっているためでもある。特に新しい小説は、最近は読んでいないが、面白いものがなくてやめた。詩集は探せばあるかもしれない。でも、あまり

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        短編小説その1「人魚姫の泡」

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          白石かずこ著 「浮遊する母、都市」を読んで

          白石かずこが死んだと新聞に載っていた。93歳である。新聞に載っているからにはきっと死んだんだろう。詩集「砂族」は良く読んだものである。特に一番初めの詩「手首の丘陵」が好きであった。感想文を探したが、整理が悪くて見つからない。ただ、書いたものを順番に載せているためである。もう、膨大な数になっている。以前、ジル・ドゥルーズなど哲学者の感想文をまとめようと思った。でも行っていない。三十作以上読んでいて多く面倒なためである。そもそも感想文を書き始めたのは、哲学書の内容理解の為に、忘れ

          白石かずこ著 「浮遊する母、都市」を読んで

          ダンテ・アリギエリ著 原基晶訳 神曲「地獄篇 煉獄編 天国編」を読んで

          本書は厚い、三巻もあって長い。従って少しずつ眺めただけである。叙事詩だけに詩形式の記述である。でも、おおまかに神曲とはどういう書物か分かることができた。この有名な「神曲」の感想文を書くのは難しい。根本を理解していないからである。原基晶の解説をざっと眺めると、人間の認識の能力とその認識から生まれた美が振る舞う人間たちの愛の関係を自然哲学風に述べたものであるとのこと。結局は、叙事詩なる形式に客観的な感情や思想が塗り込めて記述していると思えば良い。そして神への捧げ物でもある。本作品

          ダンテ・アリギエリ著 原基晶訳 神曲「地獄篇 煉獄編 天国編」を読んで

          丸山眞男著 「現代政治の思想と行動」を読んで

          日本の思想に関して、何冊か興味を持ち読んだ本がある。このうち一冊を紹介したい。まず丸山眞男の「現代政治の思想と行動」である。本書は著者によりコレクション(選別された短論文)された、政治というより、全体主義またはファシズムを中心に記述している。無論、斜め読みであるが、丸山眞男の思想の核は記述されていず、思考はあっても思想の無い本であると判断している。この思想の無いという意味が、彼自身の思想が記述されていないためか、元々少ししか思想を持っていないためかは良く分からない。本著書に対

          丸山眞男著 「現代政治の思想と行動」を読んで

          題:マーク・ルラ著 佐藤貴史・高田宏史・仲金聡 訳「シュラクサイの誘惑  現代思想にみる無謀な精神」を読んで

          哲学者とその政治行動に関する冒険的なエッセイである。分かりのよい文章で哲学者の思想の紹介にもなっているが、僭主政治に手を染めた者を非難する一貫した姿勢はとても厳しい。たぶん、著者は哲学者が真理へのあこがれと同時に具体的な秩序づけ(政治)を行いたいとする欲望との間には関連があり、この衝動が、無謀な情熱とも成り得ることを人間の心の中にあることを見抜いていたプラトンの考えを受け継いでいるのである。即ち心が観念を取り扱う哲学者には、この自らの心の衝動を統御する至高の自覚を求めているの

          題:マーク・ルラ著 佐藤貴史・高田宏史・仲金聡 訳「シュラクサイの誘惑  現代思想にみる無謀な精神」を読んで

          トマス・ホッブズ著 角田安正訳 「リヴァイアサン 教会国家と政治国家の素材、形態、権力」を読んで

          トマス・ホッブズは16世紀生まれのイギリスの政治哲学者である。『人間同士は闘争状態にある』という思想が有名である。当然、国家を構成する人間の関係が論じられている。ざっと読んでみるとホッブスの思想は分かりやすい。というり、論旨を除いた子細な点は読み飛ばしているためかもしれない。この「リヴァイアサン」を読んでみると、数学的な論理で記述したスピノザを思い出す。スピノザは1632年生まれだから、1588年生まれのホッブスの思想は、スピノザの他にもロックやルソーにライプニッツにJ・S・

          トマス・ホッブズ著 角田安正訳 「リヴァイアサン 教会国家と政治国家の素材、形態、権力」を読んで

          題:紫式部著 「紫式部日記」を読んで

          テレビで紫式部のドラマを行うというので、見るか見まいか迷っている。映像で紫式部を見ると、私自身の紫式部像が崩壊してしまうためである。たぶん、初回だけ見る確率が高いだろう。後はたぶん見ない。「紫式部日記」などを読んで得た私の紫式部像を大切にしたいためである。作られた映像よりも文章を重んじたいためである。なお、この像は主に「紫式部日記」から得たもので、感想文を2016年11月に記述している。この感想文を以下に紹介したい。 ーーーーー 「源氏物語」は以前、岩波古典文学大系で読ん

          題:紫式部著 「紫式部日記」を読んで

          矢島文夫訳 「ギルガメシュ叙事詩 (付)イシュタルの冥界下り」を読んで

          ずっと前に買っていてやっと読めた本である。読んだ感想はやはり叙事詩は良くて、楔形文字が完全に残っていれば、完訳ができてより強い感動が生じたに違いない。「はじめに」で本書について解説しているので若干紹介したい。本書は古代オリエントの最大な文学作品である。ティグリス・エウフラテス両大河の河口に住んでいたシュメール人が作成した宗教や政治性に人間性を表現豊かに持たせた文学作品である。シュメール人の後にはアッシリア・バビロニア人政治的に優位にたったが、シュメール人の文化を受け継いだもの

          矢島文夫訳 「ギルガメシュ叙事詩 (付)イシュタルの冥界下り」を読んで

          伊藤整著 「小説の方法」と「小説の認識」と「近代日本人の発想の諸形式」を読んで

          半年以上前に読んでいて、感想文を一つ一つ書こうと思ったが、余り思い出すことがない。内容にそれほど斬新な思想も無いため、結局まとめて書こうと思ったのである。これらは短論文の形式を取っていて、それも何度も訂正し再出版したらしい。著者の苦労の割には伝わってくるものが少ない。文章の切れがあまり良くない、使用する言葉の定義も成されていない、また些か論理に欠けるところがある。良く分からないところもある。たぶん、伊藤整は東西の小説をたくさん読んでいるが、哲学書など論理本を読んでいないために

          伊藤整著 「小説の方法」と「小説の認識」と「近代日本人の発想の諸形式」を読んで

          アインシュタイン著 中村誠太郎・南部陽一・市井三郎訳 「晩年に想う」を読んで

          稀に科学本を読むことがある。このアインシュタイン著「晩年に想う」もそうである。彼が量子力学を本当に嫌っていたかどうか知りたかったためでもある。確かに、彼の量子力学の振る舞いに対する懐疑的な見解が述べられている。でも、量子力学なる理論は当然ながら理解している。ただ、感性が受け入れないのである。それ以上に、感服したのは政治的な見解、国際連合に対する批判である。発足した当初から、国際連合の欠点を見抜いていたのである。無論、ニュートンなど科学者に対する賛美や哀悼の意も、またユダヤ人と

          アインシュタイン著 中村誠太郎・南部陽一・市井三郎訳 「晩年に想う」を読んで

          ハインリヒ・v・クライスト著 山下純照訳「こわれがめ」と種村季弘訳「チリの地震」を読んで

          「ドゥルーズ 千の文学」で大宮勘一郎は「クライスト 群の民主制」と題し、ハインリヒ・v・クライストについて記述している。ただ、読んだ作品名は「チリの地震」が辛うじて記されているだけで、なぜ「群の民主制」なのかは良く分からない。「ドゥルーズ 千の文学」では、四十人を超える各作家について論評されているが、主要著作物名や論旨不明確な論評は初めてである。記述内容が「群の民主制」―あるいは戦争機械=国家に、「状態の知」、「不滅と少女たち」と題しているが、「こわれがめ」、「チリの地震」に

          ハインリヒ・v・クライスト著 山下純照訳「こわれがめ」と種村季弘訳「チリの地震」を読んで

          ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ著 工藤幸雄訳「東欧の文学Ⅵから コスモス」および「ゴンブロヴィッチ短編集」を読んで

          不思議な小説である。不思議というのはシーニュ(意味しているもの)が言語ではなくて首吊りという現象による。そして、シニフィアン(意味されているもの)が、この現象の内に表されていても、その現象の確かな意味、シニフィアンが何かは良く分からない。次から次へと吊るされ死んでいき、不気味さだけがある。固定的ではない、吊るされていく生き物の種類は移り変わっていくのである。ただ、最後に作者の意図が明確になる。読んでいる途中に、フランツ・カフカの「流刑地にて」という小説を思い出したが、拷問し処

          ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ著 工藤幸雄訳「東欧の文学Ⅵから コスモス」および「ゴンブロヴィッチ短編集」を読んで

          葛西善蔵著 「子をつれて 他八編」を読んで

          時々、近代日本の文学論を読むと葛西善三など、ほんの少し名前だけ知っている作者と作品名が登場してくる。具体的に言うなら、伊藤整の「小説の方法」などを読むと近代日本と西洋の作家との読んでいない作品が登場してきて論じられる。別に読まなくとも良いのであるが、何か気に掛かる作品は読むことにした。無論、何かしらニックネームを付けられた作家などもいて、私的な観点ながらイメージの悪い作家は読まないことにする。この葛西善蔵の「子をつれて」も田山花袋の「蒲団」ほどではないが、結構登場するし、気に

          葛西善蔵著 「子をつれて 他八編」を読んで