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アインシュタイン著 中村誠太郎・南部陽一・市井三郎訳 「晩年に想う」を読んで

稀に科学本を読むことがある。このアインシュタイン著「晩年に想う」もそうである。彼が量子力学を本当に嫌っていたかどうか知りたかったためでもある。確かに、彼の量子力学の振る舞いに対する懐疑的な見解が述べられている。でも、量子力学なる理論は当然ながら理解している。ただ、感性が受け入れないのである。それ以上に、感服したのは政治的な見解、国際連合に対する批判である。発足した当初から、国際連合の欠点を見抜いていたのである。無論、ニュートンなど科学者に対する賛美や哀悼の意も、またユダヤ人としての苦労も記述されている。人権的な見地と社会主義からの主張もある。本感想文では、第六部それじれに寸評を入れると同時に、量子論と国際連合の批判について少し詳しく述べたい。なお、アインシュタインの思想の究極的な目標は世界政府を作ることだったのである。国際連合の欠陥を修正するためにこそ、世界政府を作ることが必要だったのである。 

1.第一部 わが信条

アインシュタインは第一。第二次次世界大戦と経験している。この悲惨な戦争を経験しているためか、人権家としての思想が強い。自由や道徳と感情に宗教などを読むと、内的な自由、自己実現できる自由を重要視している。また、宗教などの求める道徳とは異なって、道徳とは固定した体系ではなく、その場の判断を即座にできる見地であるなどと述べていて、恐ろしく真っ当である。また、宗教が科学的な知識に深められること、教育の必要性を力説している。 

2.第二部 科学

手紙を除くと、量子論への思いはこの章に記述されている。式は難しいので、簡単な記述で、相対性理理論を含めた彼の思想の紹介に挑んでみたい。正確性については保証できない。なお、相対性理論は進行する列車の例を取り、列車の中を前と後ろに向け投げて飛んで行くボールと、停車場から見たボールの飛ぶ距離、即ち速度がどうなるかとして紹介されていることが多い。ガリレイ変換の場合、列車内のボールは当然同時に壁に当たる。また列車外の人にも、ボールの速度は列車の進行速度に合わせて加減算されて、同時に壁に当たる。なお、ガリレイ変換とは、異なった慣性系においても、ニュートン力学の法則が不変に保たれているという相対性原理である。 

ボールの代わりに光を用いた場合は、列車内では同時に壁に当たる。ただ、光は絶対速度で不変であるため、また、慣性系での運動法則は同じであるとの前提があるため、列車の外、停車場から見た光の壁に当たる時刻には微量な差が生じてくる。列車の速度が列車内の空間を伸び縮みさせるのである。光速に近い速度になると影響は大きくなる。高速度のロケットに乗っていれば時間の流れが遅くなり、竜宮城から陸に帰った浦島太郎が昔の生まれ故郷を見るようなことになる。直接的に言えば、マックスウェルの方程式や相対論的運動方程式では、空間と時間とがニュートン力学のように不変ではなくて、歪むのである。これが等速運動を行っている慣性系での特殊相対性理論の骨子であり、ローレンツ変換をベースに構築されている。ローレンツ変換とは、もはやニュートン力学を基本としたガリレイ変換が成り立たない二つの慣性系の空間と時間座標を結び付けるための線形変換なのである。そして特殊相対性理論は、光速に近く相対移動する観測者の時間と空間を定式化しているのである。 

再度言うが、特殊相対性理論とはマックスの電磁方程式を起源としている。そしてローレンツ変換とはマックスウェルの電磁方程式と古典力学との間で生じる時空間の矛盾を解決するために提案されたものである。マックスの電磁方程式における場の理論も重要である。もう、触れないが、この場とは電場、磁場、重力場など以上にもっと哲学的に利用できるのではないかという強い思いがある。さて、一般相対性理論は、特殊相対性理論における等速度な慣性系ではなくて、重力などによる加速度を持つ慣性系においても適用できるようにしたものである。更にアインシュタインは質量とエネルギーの等価性の法則についても述べる。こうして彼は科学体系の成層化を主張する。感覚器官と時間的な秩序や空間概念を経験的な解釈から解放する考え方である。知覚、感覚や想像に行動などについて論じた有名な哲学者はたくさんいる。きっとアインシュタインがきちんと記述すれば彼らに負けない哲学者になったのに違いない。でも、相対性理論そのものが哲学でもあるのだろう。 

さて、アインシュタインは量子理論について述べる。古典力学の破綻は相対性理論でも明らかにしたが、エネルギーは任意の値を取り得ない。光子のエネルギーはプランクの定数に振動数を乗じた値を取る。これは原子の崩壊時にも当てはまり、どの値に遷移するかは統計的な手法しか取り得ない。ド・ブロイとシュレーディンガーが打ち立てた波動方程式がこれら量子の状態を表すことができる。これら量子の状態を表す方定式にはハイゼンベルグとディラックの方程式もある。なお、これら両者の方程式は同一であるとシュレーディンガーによって証明されている。このように離散的な値を持ち、粒子と波動の二重性を持つ量子は物理的な過程の不確定性、言い換えれば統計的な手法でしか表せないのである。ただ、アインシュタインはこの量子論について次のように批判している。 

一体物理学者は個々の系の構造や因果関係におけるこの重要な変化の内側を絶対に覗けないのでしょうか。しかも、この個々の現象がウィルソン霧箱やガイガー計算機などの驚くべき発明によって我々の眼の前にもたらされたにもかかわらず? こう信ずることは理論的には矛盾を起こさずにできます。しかしそれは私の科学的本能にあまりにも逆らうものなので、私はもっと完全な探求を諦めるわけにはいかないのです。 

アインシュタイン著 中村誠太郎・南部陽一・市井三郎訳 「晩年に想う」

アインシュタインは頭では理解できても、量子論を受け入れることができないのである。かの有名な「シュレーディンガーの猫」についても、猫は半分死んでいて半分生きている重ね合わせの状態にあるとの主張に対して、蓋を開けないと確定されないのはおかしいと、シュレーディンガー自身が量子論に反対していたのだから面白い。この猫は蓋を開けないと生死が確定しない。このように当初、量子論はさまざまの議論が巻き起こっていた。詳しくは述べないが、コペンハーゲン解釈や多世界解釈など興味深いことが多い。 

アインシュタインの量子力学に対する頑なな否定の態度に、相対性理論を批判したベルグソンの強硬な主張を思い出す。間違っていたが、ベルグソンはインテグラルまで用いて何やら計算していたのである。ベルグソンの主張は彼の生命の持続と言う考え方、言いかえれば人間の実在に相対性理論は相容れないと主張したのである。人間は自らの感性に受け入れられなければ、理解できても、できなくともともかく反論できる。これに対してアインシュタインは無視し続けていた。なお、「晩年に想う」のここの章題は「物理学と実在」になっていたので、ベルグソンが知ったならば、アインシュタインも同じ人間存在に関する主張をしていると言って笑ったかもしれない。書き残したのが量子もつれである。対になった量子の一方のスピン状態が決まれば、もう一方の量子の状態はどんな遠くにあっても定まるのである。この本には書かれていないが、量子コンピューターの原理とともに機会があれば記述したい。 

3.第三部 公共のことども

アインシュタインは社会主義を支持する。人間は他者と共に社会に生きる生物として、また、略奪を克服し社会倫理的な目的を前進させ構築するために、社会主義者なのである。資本主義社会の経済的な無政府状態が、悪癖の真の根源とまで言い切っている。資本と生産から解き明かしているが、制限のない競争が労働の浪費や個人の社会的意識の麻痺を引き起こしていることが主因であると考えているらしい。ただ彼の考え方は良く分からない。これに対して、世界政府と言う考え方は良く理解できる。世界平和を願うためである。このため各国を超えた政府が必要なのである。アインシュタインの国連総会に対する質問状が、現在も続いている国連の欠陥を突いている。それは次のような主張である。 

国連が、大胆な決意によってその道徳的権威を強化すべき時がきました。まず、第一に、この総会の権限を増大して、安全保障理事会その他の国連諸機構が、総会に従属するようにしなければなりません。総会と安全保障理事会とのあいだに、権限に関する紛糾が存在する限りは、国連と言う全組織の有効性は、必然的に損なわれてしまうでしょう。第二に、国連にたいする代表選出方法を、かなりの程度まで修正しなければなりません。政府による任命という現在の選出方法は、被任命者に対して、真の自由をいささかも与える自由がないのです。さらに、政府による選出は、世界の諸国民に対して、自分たちが公正に比例的に代表されている、という感情を与えることができません。もし代表が直接、民衆によって選出されたならば、国連の道徳的権威は、一段と高まるでしょう。・・・第三に、国連総会は、過渡期の危機的な時期を通じて、いつも開会していなければなりません。 

アインシュタイン著 中村誠太郎・南部陽一・市井三郎訳 「晩年に想う」

結局、こう結論づけている。 

現在の国際連合や将来の世界政府は、ともにただ一つの目標に奉仕しなければなりません。その目標とは、人類のすべての安全、平穏、そして福祉が、保証されるようになることです。

アインシュタイン著 中村誠太郎・南部陽一・市井三郎訳 「晩年に想う」

 こうしたアインシュタインの記述を見ると、国際連合はその機能を次第に失って機能しなくなり、瓦解や解体が既に始まっているということである。国際連合ばかりではなく、紀元前から、人間は常に瓦解や解体を行い続けているということでもある。こうしたアインシュタインの社会思想が、今なお国連の在り方について論争を引き起こしているのである。 

第四部 原子力と社会

アインシュタインは原子力の国際管理を主張している。なお、ここには記述はされていないが、アインシュタインはアメリカに原子爆弾の製造を請願したとのことである。ナチスドイツが、秘密裏に原子爆弾を作っているとの情報を得たためだという。 

5.第五部 人物評価

科学者の人物評価を、9人について述べている。 

6.我が同胞

ユダヤ人として生まれたアインシュタインの主にユダヤ民族に対する思いが綴られている。 

最後に一言、言いたい。物理的な理論は古典力学や相対性理論、それに量子論と続き、これからも超弦理論などを含めて、なおも、この宇宙の謎解きは進んで行くはずである。アインシュタインを含めた各科学者の頑固かつ途方もなく明晰ながら、でも物理理論に迷走する姿は楽しいものがある。人間が属性として持ち合わせている感性は今も昔も変わりがない。このことは、つまり歴史は常に反復すると言うことだと思われる。戦争と戦争の間こそが平和なのだと誰かが言っていた。このように歴史が反復しているうちに、シンギュラリテイが訪れてくる。シンギュラリテイは、反復がもはや訪れない時として、歴史に区切りをつけるのだろうか。そしてパラダイム変換が訪れてくるのだろうか。これらの枠組みは人間をパラダイムに誘うのではなく、単なる標本として人間を日干しにして地球の表面に貼り付けているような気もしている。 

以上

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。