今日、初めてスリにあったけど
すべてはこの1枚の写真から始まる。
仕事で名古屋に行ったついでにテレビ塔に行った。雲ひとつない澄み渡った青空に名古屋のテレビ塔が映え、広場の水面にもその姿がありありと揺らいで見えた。青のグラデーションを1本の槍が貫くように凛然とそびえ立つ、その美しさを少しでも表現したいと思い、カメラの設定を何度も調整しながら夢中になって撮っていた。
おそらくは、その時である。
僕が人生で初めてスリにあったのは。
しばらく歩いて最初に異変を気づかせてくれたのはApple Watchだった。ブルッとアラートが鳴った。
「"財布"が手元から離れました」
僕は「AirTag」という紛失防止のチップを財布の中に入れておいた。だからもし手元から離れた時はそういうアラートがなるのであるが、一瞬見たとき「そんなばかな」と思った。だって財布はバッグの中にあるんだから。
だが念のため調べてみると、たしかにない・・・。
iPhoneの「探す」機能で調べてみると・・・
なぜか池の中にある。今日2度目の「そんなばかな」である。これが指し示す場所は、まさに僕の心をときめかせてくれたあの水場である。どこからどう見ても、僕の財布なんてない。
この近くで落としたのかなと思い、あたりをキョロキョロと詮索し始める。完全に不審者のそれである。だが、財布を失くした以上、人目なんて気にしてられない。
iPhoneの「探す」機能で「サウンドを再生」という素晴らしい機能があることを思い出した。AirTagの近くでそのボタンを押すと、AirTagから音を出して、より見つけやすくすることができるのである。僕は何度も水場の周辺でそのボタンを押した。しかし、その度にこう表示される。
もう、iPhoneの言われた通りにするしかない。僕は忠実に従うしもべと化し、さらにウロウロと水場を動き回ってはサウンド再生ボタンを押し続ける。不審者としての円熟味が加速度的に増してくる。
しばらく探しても見つからないので交番に遺失物届けを出す。
お巡りさん「それは大変でしたね。では、財布の特徴を教えてくだい」
僕「はい、黒のボッテガ・ヴェネタで、お札を4つ折りにして入れるくらいの小さな財布です」
お巡りさん「ボ・・・ボッテ・・・ガ・・・?」
お巡りさんは生まれて初めてその単語を聞いたかのような新鮮味溢れる表情でメモをとり始め、たどたどしく「ボッテガべネタ」と書いた。
「あ、べネタじゃなくて、ヴェネタです」と言うこともできたが、すぐにその思いは打ち消した。今、そんなことはどうでもいいのだ。遺失届の受理番号を発行してもらった僕は、再度、水場に戻り、また不審者活動を再会した。
何度も水場を歩き回りながら「サウンドを再生」ボタンを押す。すると・・・ついにAirTagにアクセスでき、どこかから音が聞こえる!!
もはや名探偵になったような謎のテンションに包まれ、鼻息を荒くしながら(不審者としてのピークも迎えながら)その音に耳を澄ませ、さらに探し続ける。ついに見つけた。
なんとゴミ箱である。水場からおよそ3メートルくらい離れた場所だ。確実にこの中から音が聞こえる。この瞬間に僕は初めて悟った。あ、失くしたんじゃなくて、スリにあったのだと。
誰かが拾ったとしてもさすがにそれをゴミ箱には捨てない。だが、最悪、現金は取られたとしても、財布だけはここにあるかもしれない。しかしゴミ箱に鍵がかけられているので、ゴミ箱の中身を取り出すことができない。一縷の望みをかけ、ゴミ箱を管理する防災センターへ向かう。
事情を説明し、なんとかゴミ箱を開けてもらえないかと交渉をしたその時である。
防災センターの人「そのお財布って、もしかして、これですか?」
今日3度目の「そんなばかな」である。なぜ、ゴミ箱の中にあるはずの財布がここに!?一瞬、防災センターの人がちょっと先の未来から来た人に思えたが、そんなわけがない。どうやら財布はゴミ箱ではなく、僕が写真を撮っていたところのベンチに落ちていたらしい。それを誰かが防災センターに届けてくれたのであった。
財布の中をみると、おそらくは2〜3万円くらい入れていたはずの万札はない。千円札1枚と小銭が680円入っている。保険証とクレジットカードとあのAirTagがない。そうかAirTagがゴミ箱に捨てられていたのか。
そしてゴミ箱の鍵を持っている清掃員のおじちゃんがわざわざ駆けつけてくれて、ゴミ箱を開けてもらったが、結局、AirTagのカードだけが見つかった。
万札はさすがにないだろうと諦めていたが、ひょっとしたら保険証とクレジットカードはあるのではと期待したが、それはなかった。(不幸中の幸いはクレジットカードを悪用される前に停止することはできた)
これでひとつの幕は閉じた。長年使っていた財布だったので、せめてそれが手元に残ったのは嬉しかったが、まだ人生で初めてスリにあったという感覚に馴染めなかった。
警察に財布が見つかったことを連絡し、ことの顛末を話したら、電話の向こう側にいたおばちゃんが「あらぁ、それは本当に災難でしたねぇ」と親しみを込めて言ってくれた。すごく優しさのこもった言葉だった。その時、僕は初めて、この事実を受け入れ、目頭がちょっとだけ熱くなった。どこかでつらい現実を受け入れたくない自分がいたが、やはりちゃんと悲しむべきときは悲しんでいいんだと思った。
今日は京都に泊まる予定ではあったが、現金が1,680円しかないので、宿にキャンセルの連絡をした。そして、気を取り直すために、美味しいと評判の加藤珈琲店でコーヒーあんみつを食べた。
その時、PayPay銀行に5万円くらい預けていることを思い出し「PayPay銀行ならカードがなくてもコンビニATMでおろせる」と気がついて、ATMで3万円をおろした。やった!現金がある!! この時の3万円は僕にとって3万円以上の価値ある何かだった。嬉しさを噛み締めながら財布の中に丁寧にしまった。
そして、迷わず新幹線に飛び乗り、なじみの京都の宿にチェックイン。
いきつけの餃子屋さんで、普段まったく飲めないビール小瓶を注文しながら、心ゆくまで餃子を堪能した。
あぁ、美味い。美味すぎる。「スリにあっても、餃子は食える」という格言でもない言葉を心の中で反芻しながら、かつてないほど肉汁が口の中に広がるのを感じた。
そうだ、幸福とは相対なのだ。つらいことがあれば、それがテコの原理となって、ささやかな幸せを限りなく最大化させて感じる力が人には働く。
今日、初めてスリにあったけど・・・Apple tagのおかげでミステリー小説さながらの探偵気分を味わうことができた。
今日、初めてスリにあったけど・・・不審者同然に水場をウロウロしつづけたおかげで、僕の歩数計は16,864歩を記録し、健康寿命は確実に延びた。
今日、初めてスリにあったけど・・・大事な財布だけは取り戻すことができた。(現金のありがたみを改めて実感させてくれた)
今日、初めてスリにあったけど・・・べネタのお巡りさん、未来からきた防災センターの人、わざわざ財布を届けてくれた人、すぐに駆けつけてくれた清掃員のおじちゃん、親身な警察署のおばちゃん・・・名古屋の人たちの優しさにたくさん触れることができた。
今日、初めてスリにあったけど・・・おそらくは記憶にも記録にも残らない平凡な1日が、一生忘れられない1日となった。
今日、初めてスリにあったけど・・・このnoteを読んだ人が、ちょっとでもクスッと笑ってくれたり、たとえ僕と同じように辛い1日を過ごしたとしても「ま、スリにはあってないからいっか笑」と思い直せるかもしれない(そういう人が1人でもいてくれたら、僕の今日は全て報われる)
酔っ払いながら餃子店を出て、心地よい秋の夜風にあたりながら帰っていると「節ちゃん」という名前のスナックの看板を見つけた。
僕の母親の名前が「節子」であり、親族から「節ちゃん」と呼ばれている姿を思い出した。それを見た時、
「あぁ、俺も人の子かぁ・・・」
という謎の人生の振り返りをした。今日、初めてスリにはあったけれど・・・こうして、親から授かった命を生きているのだと改めて思い直し、この身体が元気で健康でありさえすれば、人は何度でもまた立ち直ることはできるという、スリ被害からの謎の結論に辿り着き、宿の風呂で温まって酔いを覚ました頃には、このnoteを書こうと思い今に至る。
おそらく名探偵ひでおの推理によると、ことの真相は、僕がテレビ塔の写真を撮るために鞄からカメラを取り出し、そのタイミングで財布がベンチに落ちて、気付かずに立ち去り、その隙に誰かがサッと中身を確認することなくお金やカードを抜き取って立ち去り、AirTagだけはゴミ箱に捨てたというところではなかろうか。なぜ財布ごと持っていかなかったのかは謎ではあるが、泥棒にも一分の善意があると受け止めたい。もちろん、これはあくまで名探偵ひでおの推理でしかないので、また別の推理がある方はぜひ、お聞かせくださいw
何より僕自身の反省点があるとすれば「夢中になってる時こそ注意しろ」である。
以上、長文、駄文にも関わらず、最後までお読みくださりありがとうございました。正直、もう全く気にしてないのでご心配なく。それよりも、あなたの1日がハッピーであることを心から願って。
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