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TALK: 藤 浩志×高山 明×遠山正道

東京ビエンナーレの参加作家3名に話を伺うTOKYO BIENNALE TALKシリーズ。今回は美術家の藤浩志さん、演出家・アーティストの高山明さん、実業家であり今回はアーティストとしてご参加いただく遠山正道さんに登場いただいた。藤さんはnoteの過去記事インタビュー(https://note.com/tokyobiennale/n/n5f797d4ef0f0)に詳しいが、現在は秋田在住で東京から離れローカルで美術の実践をしている。高山さんは演劇ユニットPort Bの代表を務めてはいるが、近年劇場という枠を飛び出して様々な場所で人と人が新しい価値観に出合うようなプロジェクトを多数展開。そして遠山さんは、食べるスープという提案をしたブランド「スープストックトーキョー」やセレクトのリサイクルショップである「PASS THE BATON」等、事業を通して新たな価値観を社会に提示している。ビジネス、アート、ローカル、それぞれの立場から現在の状況について、コロナ以後のアートについてお話いただいた。(聞き手・文:上條桂子)


コロナを機に排除される側に立ち
社会の免疫系について考える

──まずは皆さんにコロナ禍の状況についてお伺いできますでしょうか(対談は2020年12月末に行われた)。高山さんは演劇というお立場から結構大変だったのではと思いますが。

高山 明 僕は演劇とは言っても、もうここ9年くらい劇場を使っていない活動をしてきましたので、実はそれほど大きな影響はなかったんです。ただ、自分がいろんな都市を移動してその場で作品をつくったり、プロジェクトを始めたりということが多かったので、劇場を使えないということよりは、移動ができなくなったということが影響が大きかったような気がします。今年(2020年)の3月に最後海外に行ってからはずーっとこもっていたんですが、そんなことは10年ぶりで。自分的にはいい中断になりました。これまでは、ただひたすら必死に駆け回ってきたんですが、中断を余儀なくされたきっかけで、これまでの活動を振り返って本にまとめるような作業をしていたんですが、それはすごく貴重な経験になりました。特に歴史の中において自分の活動を位置づけたり、あるいは歴史からもう一度コロナ禍における活動、そしてコロナ以後の世界で何をやっていけばよいかということを、本当にじっくり退屈するくらい考えられたのは、自分にとっては非常によかった点だなと思います。

──高山さんが別のインタビューで、ご自身が海外で移動されて戻ってきた時に熱があって、その際に初めて「他所者」の気持ちを味わったという話をされていたのがすごく印象的でした。それは高山さんが作品で展開されている、どうすれば難民の人や自分と違う環境にいる人の気持ちになれるかということにも通ずる気がしています。ちょっとそのお話をしていただいてもいいでしょうか?

高山 はい。2020年の年明けに香港に行きまして、そこからベルギーのブリュッセルとドイツのボーフム、フランクフルトへと移動していったんですが、香港からヨーロッパに入ると「香港からきたあいつはウイルスを持ってきたんじゃないか」というような目で見られて、ブリュッセルはまだ大丈夫だったんですが、ボーフムでたまたまコロナが出てしまったんですね。ちなみに僕はその人に会ってもいません。また、フランクフルトでも一人熱を出した人がでて。すると原因は僕だと言われ始めた。日本に帰ってきて、僕もまだ具合が悪くて熱もあったので、病院に行ったら保健所に行けと言われ、保健所では病院に行けと言われ……たらい回しになったんです。

その経験から、ウイルスや厄災みたいなものは、やっぱり外からやってくるというイメージを世間の人たちは持っているんだなというのを痛感しました。私はいままで難民や移民の方と仕事をしてきましたが、彼らは常に他所者であり、これまでずーっと外からやってきたという目線で見られ、疎外感を感じていたんだなと改めて感じたのです。コロナをきっかけに、今まで難民や移民の方たちが体験してきたことをほんの少しだけ知る機会が得られた。ということは、すでに長い間、そういう経験をされてきた方が一定数いたのだということは、決して忘れてはならないことだとも思いました。

──ありがとうございます。確かに、コロナをきっかけに排除される側に立たされている方も少なくないと思いますが、そういう方の気持ちを考えるという意味ではいい機会なのかもしれません。藤さん、いかがですか?

藤 浩志 僕は、ローカルの活動とかをしていて、いつもニコニコしているキャラだと周囲の人間には思われているんですが、実はどこかで社会変革というか、社会を根底から覆したいという欲求をわりと強く持っていて。優しい顔をして寄り添いながら、相手の動きをよく観察しているというタイプだと自覚しています。

コロナが世界に与えたショックから、東日本大震災の原発事故、もう少しさかのぼると9.11を思い出した方もあるかもしれません。いずれの状況でも、世の中に対して大きなショックを与えていたわけで、もちろん自分自身もショックを受けるんですが、こういう方法があるんだという、思っても見なかったことに対する驚きがあって。要はものすごく心が動いたわけなんです。世界中がコロナ禍という状況になった時も、そんな感じで、社会構造がガラッと変わっていくだろうなという期待と危機感の両方を持ちつつ、割と冷静に状況を見ていました。

過去数年の間に起きた大きな災害や事件の中でも、コロナがいままでと大きく違うところは、世界的に共通の体験をしている、ということですよね。その中で、自分としては社会変革にどう関わることができるかということを突きつけられたように感じました。一方で、自分自身の最近の話をしますと、前回のインタビューでも少しお話ししましたが、自分の活動がいろいろなものに縛られてしまってなかなか新しく動き出せない、変革できないという苛立ちを感じながら日々過ごしています。

先ほど高山さんもおっしゃいましたが、移動が著しく減ったことによって時間はあるんです。今までは、忙しく移動することで自分を納得させてきたようなところがあって、ひとところに留まるというのは僕にとっても始めての経験でした。でも、改めて自分を描き直したり、いままでできなかった制作に取り組んだりしようと最初は積極的にとらえていました。でも、ある程度時間が経った結果、時間があっても作らない自分がいて、それにまた嫌気が刺してきたりして。大きく変わりたいとは思いながらも、なかなか変わることができないというのが現状です(笑)。

遠山正道 私はビジネスをベースに生活をしているので、その面で言いますと、飲食やアパレルが中心なので、まあ大変です。それはそれで訥々とやるしかないなという感じなんですが、一方でステイホームでは「幸せ」を感じたんですよね。「1分の1の人生」なんて言っていますが、1日3食のご飯を家で作って、家族で食べてという当たり前かもしれないことを毎日することで、「実は幸せって足下にあった」ということに気付く。「1分の1の人生」というのは、自分一人が幸せを感じるということで、それにはグローバリズムもイノベーションも必要ない。一人ひとりがそういう小さな幸せを設計できたらいいのでは、と感じました。例えばうちは3人家族なんですが、3人がそれぞれ自分の立ち位置を小さく作る。すると、互いに依存し合うこともない。組織もそういう風にあったらいいなと。

社会にいるとシステムやパターン、常識みたいなものについつい依存してしまっていますが、生身の人間として考えた時に違うと思うことが多い。要するに主客が逆になっていたんですね。当たり前のことですが、仕事の中に人生ややりがいや家族がへばりついているのではなく、自分の人生が中心にあってその一部として仕事や家族、やりがいや幸せがある。コロナは、そういうことを気付かせてくれた機会になりました。

だから、生身の自分自身、心と体に嘘つかない何かができたらいいなと改めて思いました。そして、生身の人って何かというと、アーティストなんだということにも気付かされました。上司もいないし依存する組織もない。私たちを取り巻く社会には、既存のシステムやパターン、常識みたいなものがびっちりと分厚い天井のように張り巡らされていますが、新しい何かというのは、分厚い天井のどこか裂け目やほつれのようなところからプクッと顔を出してくる。そこから出てくるのは、科学者やアーティストみたいな、変人と言われるような人たちですよね。システムみたいなものにどっぷり浸かっている人は、天井に裂け目ができたとしても、それを修復する側にまわってしまう。アーティストっていうのは、まさにいま主役なのかもと思うと同時に、こういう時にアーティストが役割を果たさなかったら、普段何をしてるんだっけと言われるのかなという気もします。

私にもアーティストという一面があります。事実をお伝えしておくと、私は新卒からずーっと商社マンをやっていて10年目のときに初めて絵の個展を開催、それから5回くらいやりました。自分から発露して、世の中に作品を提示して面白いねって言われることに味をしめて、それで起業して「スープストックトーキョー」というブランドをつくったんです。スープストックトーキョーをつくってみたら、これが面白くて、絵を描いている場合じゃないなって思ったんです。それから20年絵の個展はやっていません。絵を描いて誰かにいいねって言われたり、買ってくれるのもうれしいんだけど、スープを誰かが食べておいしいと言ってくれたり、おばあちゃんにあげたら喜んでくれたという話を聞く。そっちの方が、より広がりとか豊かさがあるなという実感があったんです。アーティストを前にいうのも何なのですが(笑)。

でも、先ほどアーティストである藤さんから「社会変革」という言葉を聞いて、かっこいいなと思いました。そう言われると、コロナのような状況で社会変革するのはアーティストなのかなとも思います。そんな私が東京ビエンナーレに呼ばれて、アーティストとして作品を発表しようとしているんですが、作品について考えているとついついアートっぽいことを考えてしまうんですよね。“アートらしさ”みたいな感じとか、アートが得意とする“関係性”みたいなことを扱おうかなと思っていたんですが、せっかくなのでアート業界の言葉で満足してないで社会変革を起こしたいなと思いました。スープストックトーキョーを始めた時も、私は社会のインフラになりたいと思っていたんです。これは今思いついたことなので、今年の東京ビエンナーレに間に合うのか、実現可能なのかなんてわかりませんが(笑)。いわゆるホワイトキューブで展示をする個展ではなくて、地域を巻き込んだ活動が東京ビエンナーレらしいのだとすれば、私が社会変革みたいなことを妄想してもいいわけですよね? アートの世界は何でもありですから。

以前に芸術祭に何度か参加したことがありますが、最初に越後妻有 大地の芸術祭に参加した時は、最終的に収支が赤字になってしまったんです。それはビジネスをやっている人間からしたら非常にダサいこと、趣味って言われちゃうことなんです。アートだからといって自立していなければ意味がない、そう考えて次に参加した瀬戸内国際芸術祭では、コンテクストをビジネスにして自立的に運営できる「檸檬ホテル」という活動体にしました。だから、東京ビエンナーレで作品を発表するとしたら、ビジネス面から収支がとれる仕組みを作りつつ、アートだから入り口が開かれている。そんなことができたら幸せだし、いいなって妄想を広げました。

檸檬ホテル

スマイルズ『檸檬ホテル』2016年~2020年 現在、休業中

──アート作品を制作するというとどうしても助成金が頼りになってしまいます。もちろん東京ビエンナーレも一部助成金を制作資金にはしていますが、もともと行政などの後ろ盾がなく民間の団体からスタートしていて、クラウドファンディングなどでなんとか資金を賄おうとしています。そのなかで自立した自走できる作品っていうのができたら、アートの新しい側面になりそうですね。ありがとうございました。今お話をお伺いしていて、割と前向きな意見が出てきましたが、逆に厳しいことを言えばコロナが起きたことでいままであったけれども表面には出てきていなかった分断みたいなものが世界的に露になったという側面も見過ごせません。特に高山さんがこれまで発表されてきた作品などは、分断を意識させられる部分があると思います。高山さん、いかがでしょうか?

高山 先ほどの話とつなげますと、自分が他所者という存在になって、ウイルスを持っていると疑われて後ろ指を指される感じになってみて、初めて社会における免疫系というのは何なんだろうと考えさせられました。自分が家に引きこもっていると、まるで自分の部屋が身体の一部になってくるような気にさせられるんです。郵便屋さんといった他者が来たときに、思わず警戒してしまったり、外部のものを排除し始める。自分の中での免疫系の力が強くなっていくのを感じました。コロナに感染して亡くなる場合の一つの大きなパターンとして、自分の免疫系が体内の臓器を攻撃し始めて多機能不全に陥るというのがあると思うんですが、その状態が社会に転じたらやっかいだなと。つまり、社会にとって免疫系がどんどん強くなると外から来たものを排除する方向へ向かって、それが他の国の人たちへの差別感情みたいなものと結びつくと悪化の一途を辿り、結局内部で攻撃し合うようなことになってしまうのではないかと危惧します。

そうならないためにコロナとどうやって折り合いをつけていくか。ひとつポイントとしてはあんまり免疫系を過剰にしないことが重要かなと思いました。外部のものや異物に対して、それが侵入する入り口または出口をなんらかの方法で確保していく必要がある、と思いました。それは、僕にとってはいまコロナ禍におけるアートにおけるひとつの役割です。

また、歴史を振り返ってみて、僕がやっている演劇の祖先みたいなもの、つまり芸能の世界にも同じような話があります。例えば折口信夫の「身毒丸」という物語では、身体にある毒を持った、遺伝的に芸を受け継ぐようにお父さんから受け継いだ毒を持って生きる人が主人公になっています。芸能というのも社会における外部の役割を果たしてきたんだ、と気付きました。そういった在り方が、現代アートという役割で復興できるのかもしれないというのが個人的には課題になっています。

──ありがとうございます。さっき遠山さんの口から、アーティスト、組織の話よりも個人に戻って幸せを感じたというお話がありました。“個”についての考え方をお聞かせいただいてもいいですか?

高山 先ほど自身が病気になると免疫系が過敏になるというお話をしましたが、それで病院に行ってPCR検査をして陰性と言われる。すると不思議と症状も和らいできてしまう。こういう風に人間の身体って出来ているんだなと思いました。コロナ禍で、自分自身の具合が悪くなってみて、自分の身体というものが世間とかなり密接に関係したものだということを痛感したのです。そんな経験は初めてでした。つまり、味にしてもコロナでは味覚が異常になるということを聞いた瞬間に、きっと多くの方が毎日自分の味覚をチェックするという習慣が生まれていると思います。そうした身体のセンサーの敏感さについて痛感していて。

舞台にあがる俳優さんやパフォーマーの人たちは身体に敏感だと言われているけれども、そういう方だけではなく、各個人、みんなある意味命がけの作業を必至でやっているのかなと。そのセンサーの発達度がこのコロナの時代においてものすごくあがったと思うんですね。そのセンサーを一人ひとりが持っていて、それがつながっていくようなネットワークの方がむしろ、劇場で人が集まって何かやったり、共同体だということを声高に言うよりも可能性があるんじゃないかなと思います。

一人ひとりは弱くていいんです。でも、切実で必至でみんながそれぞれチェックするというのが、そういうセンサーのつながりみたいなものがネットワーク化して、それが集団とかコミュニティとか共同体とかのひとつの在り方として突破口として考えていければいいかなと思います。

個人と法人、そして社会、
その間にある領域を考えること。

──なるほど。個は弱い、人間って弱いなということを突きつけられたというのがあった。その弱い個だけれどもネットワーク化していくことでなんらかの繋がりを持つことができて、そのダイナミクスが強みにもなるというのは、アート作品だけじゃなくていろいろ考えられるかもしれませんね。藤さん、いかがですか?

藤 東京ビエンナーレの以前の会議で「東京は法人の集まりである」という話があって、その時に個人と法人というものを改めて見直す機会になりました。さっき高山さんが個人の身体のセンサーにを研ぎ澄ませるという話をされていましたが、コロナ前の日常の生活では企業に入り、家庭を持ち、集団と集団の中を行き来するような生活が普通とされていました。でも、そのある種の契約関係というのは、個人のセンサーが常に無視されていくように作られているし、敏感になっちゃいけないばかりかなるべく鈍感にならなきゃいけない。

先日秋田で憲法学者と哲学者と僕で話をしたんですが、僕らが感覚的に動いていることをどう言語化していくかといった時に、感性を言語化するのは哲学の役割だし、それを社会に落とし込んでいくときには法令や契約といったものが生じるのだと。いずれにしても、その感覚と言語の間には大きなずれが生じる。

何かが発生する段階、物事が起きる時、自分のなかで表現の種みたいなものが発酵していく段階は個人のものなんだけど、それをリリースしてどこかに広げていこうとする時には必ず対象者がいます。要は、個人という意味で表現は成立しないんです。それが他者とのかかわりのなかで表現が成立していくとすると、そこには必ず言語化されるものが出てきたり、ある種条例や法律、契約が生じる。小さなギャラリーでもなんでも生じる。利害関係も発生するとすれば、改めて、個と法人あるいは団体という表現の差みたいなものを改めて感じました。

コロナ以前に僕がやってきたことというのは、高山さんと同じような演劇から始まり、最初は劇場だったんだけど町の中で表現したいと思うようになって、都市計画とか、まちづくりに入っていきました。そうやって物事をつくっていく時に、例えばAとBがあるとします。これまで30年来やってきたことというのは、AとBの接点を作るということ。「かかわりしろ」「のりしろ」なんて言い方をしますが、この接点を作ることを問題にしてきました。

しかし、コロナでディスタンスが必要になってきて、AとBの間にあるその間に新しい領域が生まれてくる。その離れたところの領域の中に何を作るかというのがものすごく大きい問題になっている気がしました。その離れた領域には無限の可能性があるということを考えていたときに、先ほど高山さんが話されていたような個と個人の感覚と、法人、社会とどういう接続の部分を作るんだということに興味があります。すごく抽象的な話になってしまうし、どういう形になるかはわかりませんが、個人と法人との間にある領域を考えることが必要なのかもしれないなと。

先ほど遠山さんは企業という話をされていましたが、僕もそういう意味では企業も表現手段にしたいと思っています。事業化しようとしたり、運営を継続していくという話は、プロジェクトをする上で当たり前のようにのしかかってくる問題なので。さらに言うと、じゃあ「企業が感性を持てるのか」という話や、「感覚で企業が動いていけるのか」ということも言える。企業は当たり前のように定款のような文書化されたルールがありますが、そこを感覚に置き換えることは可能か。個人だったら感覚で変化していけるけど、法人になったらなかなか変化できない。そこで個人と法人の間をつなぐ存在ができたら、もっと自由になるのかもしれない。要は、今後、感性だとか無意識の状態とどう関わっていくのかという点において、新しいものが見えてくるといいなと思います。

──個と企業という話が出てきましたが、遠山さんは企業を経営されていて、外から見た印象ですといわゆる普通の企業とは少し違うようなイメージがあります。遠山さんが考える組織作り、個と組織についてどう考えていらっしゃいますか?

遠山 そうですね。企業というのは、当たり前ですが個の集団です。ですが多くの場合、それを忘れてしまうんですよね。企業という存在そのものがあるかように見えるんだけど、本来、企業という存在はどこにもない。登記という契約があるくらいです。逆に言うと、企業なんていう実体がないにもかかわらず、たくさんの人が予めその存在を認識していて、それがよくも悪くも作用する。それはすごいシステム。うまく操縦できたら確かに面白いものだと思います。

私はアートとビジネスの関係性ということで呼ばれて話すことが多いんですが、それで私はビジネス向けの時にはアートの話をしたり、アート向けの時にはビジネスの話をしたりしていて。最近では、ビジネスがどうアートを取り込んで、イノベーションを起こせるかという話が多い。

私は小さな会社をやっていて、アートとビジネスの間を行ったり来たりしていて、その当初の目的は表現活動でした。いわゆる普通の企業の目的は?というと、株主価値の最大化とか言うわけです。経済と文化があったときに、経済というのは手段でしかない。文化や人や生活を円滑にまわすための手段として経済があるわけです。だから経済イコール企業だとすれば、企業の目的も当然人々の幸せなり何なりということを目的に持っていないと、手段だけの存在なんて価値がないですよね。もっと簡単に言えば、外から見るとアートの活動であると宣言した企業なるものを改めてつくってみて、それがちゃんと自立継続しつつ表現活動ができたら、面白いかなと思ったんですね。

2020年8月にコミュニティ「新種のイミグレーションズ(イミグレ)https://immgr.site/」を始めました。これは何かというと、月1万円のサブスクなんですね。半分は運営費、半分は我々住民の幸せの拡充に再分配すると謳って、北軽井沢に家を買ってみんなで使いこなせたらいいなと思っています。ここで何をしたいかというと、みんなが持っている知恵や経験を持ち寄る場になったらいいなと思っていて。レストランでお金を払っておいしいものを食べるのもいいけど、むしろ自分でつくってみんなに振る舞っておいしいねって言われる体験をみんなで創り出していくようなイメージです。これをアートに応用させたいなと考えています。例えば、1人2万円のサブスクで、50人集まったら月100万円ですよね。その50人のメンバーはアーティスト、科学者、建築家など様々なジャンルの猛者を募って。どこかに広い場所を借りて、バンドのメンバーのように全員で作品を作り続ける。

アートって、これまでは作品を売るか入場料収入しかなくて、そこで悩むというサイクルから脱したいなと思ったんです。じゃあ自分たちで払えばいいじゃないかと。どんな人でも全員一律2万円払えば、一生楽しいものを意義のある発見を生み出し続ける運動体に属せるという。どこかの段階で販売してみたり、展示をしてみたりということが生まれるかもしれない。その試みが成立したら、経済って面白いなと思うし、かなり刺激的だなって思うんですよね。

「幸せに表現し続ける」のを目的にした企業をつくるの、いいかもしれない。その仕組みができたら、アート側から社会変革が起こせるかもしれない。アートという小さな村社会のことではなく、経済や企業を巻き込む作品という名の企業。いいかもなあ(笑)。

──いままでの企業とは全然違うものをアート側から作り出す、その活動が遠山さんの東京ビエンナーレの出品作品になるかもしれない。面白いですね。不特定多数の人に向けた作人みたいなものよりもあるコミュニティだったり、考え方が共有できる人たちを巻き込んで何かするという方が、ひょっとしたら今の時代には効率もいいし、ひょっとしたら自走できるというのがあるのかもしれませんね。

 今の遠山さんの話をお聞きして、ある種のすごくいい状態の“スクール”を指すのかもしれないって思いました。そこの違いはどうなんだろうって。だって、国公立の大学だと月5万円くらいのサブスクみたいなもんじゃないですか、そこに余計な単位とか学位がいっぱいあるだけで(笑)。そういうのがまったくないフリーの状態で本当に好きなことだけをやっていいよという、ある種のモラトリアムみたいなかたちの束縛のないものですよね。スクールという名で呼ばずにそういうことをやるのは、面白いものができていくような気がしました。

遠山 企業という名の学校法人っていうのは確かにあるかもしれません。サラリーマンってものすごい仕組みだなと思うんです。新卒って何の経験も実績もないのにいきなり黒字化しているんですよ。学生時代はお金を払っていたのに、急に4月1日からもらう側になって、しかも赤字がないっていうこの差がすごく面白い。もちろん皮肉の意味ですが(笑)。だから何かうまく転換できそうだなとは思っていました。

──様々な芸術祭ももちろん教育プログラムに力を入れていて、作品自体でもレクチャーパフォーマンスのような形式も増えています。アートの傾向としても、作品づくりに参加することで学びたいという人は増えてきているんじゃないでしょうか。高山さんの作品などに参加される方も、そういう人が多いような気がしますがいかがですか?

高山 まあ、だんだんそうなってきちゃっていますが、もともとは全然そんなことなくて。公演をしても全然人が来てくれないのが長く続いたんですが、少し社会的に認知されると、たくさんの人に見てもらえる反面どういう現象が起こるかというと、同じようなお客さんしか来なくなるんです。例えば社会変革を考える上でも、たとえば同じような人たちが集まっている同質のグループ、コミュニティにメッセージを発したとしても、みんな「そうだ!」って言うんですよね。僕の作品のお客さんは、そういう人たちが圧倒的に多いと思います。例えば、難民問題にしても考えなきゃいけないよね、そうだよねっていう人が多い。でも、それだと社会はまったく変わらないんですよ。

でも当然のようにコンテンツを作ったり、メッセージの精度を上げたりという作業は続けていくんですが、同質の人たちが集うところで上質なメッセージや質のいい作品をやったところで、結局、趣味のいい知的レベルの高い人たちからの賛同を受けるだけという。そのサイクルに若干飽き飽きしているところはあって。

先ほど遠山さんのお話を聞いて、なるほどそういう発想でやれば、社会のインフラになるんだということを思い知りました。最初に尖らせたモデルを実験的に置くのが得意な人と、それを事業として都市の中に展開していく能力がある人というのはちょっと違うような気がしします。僕はそういう実業の部分がまったくダメなんですね。これまでも赤字ばっかりでしたし。でも、途中からは逆に開き直っている部分もあります。というのは、アートや演劇、美術には、かなり尖ったモデルづくりができるんじゃないかなと。事業化したら失敗はするけれども、アートの世界には尖っているからこそ取り上げてもらえるようなことは多い。僕はそれを思い切ってやってしまい、ひとつのモデルを作る役割なんだって割り切ることにしています。

──なるほど。確かに高山さんのプロジェクトはかなり尖ってますもんね。最近のプロジェクトですと「マクドナルド放送大学」は、教育という意味でもすごく画期的で面白いプロジェクトだなと思ったんですが、少しお話していただいてもいいですか?

高山 あれは最初フランクフルトで始まったプロジェクトです。2014年くらいから、ドイツに大量に流入してきた難民の方たちと知り合う機会があったので話を聞いていたら、ドイツ語を本気で勉強しないとドイツには居られないという話で。さらに彼らから話を聞いてみると、例えばガーナから来た方は、ロンドンの国際マラソンで2位になったことがあるという。その方は日本食レストランで働いていたんですが、それよりもマラソン好きな人たちに走り方を人に教えるワークショップをした方がよっぽどその人の特技が活かせるねという話になったんです。難民の方たちが持っている知恵や技術というものがドイツでは全然省みられていず、ドイツ語が話せなければ出ていってくださいとなってしまう。だったら彼らを教授にして、授業をやってもらおうと考えたのです。

難民の方々に授業をやってもらう場所はどこか。そう考えた時に、劇場や美術館ではないなと思いました。というのは、多くの劇場や美術館が観客の多様性とかダイバーシティが重要だといってそれを目指しているのにもかかわらず、ダイバーシティがあるのは舞台上、あるいは作品の中だけなんですよね。観客のほとんどは白人で中流階級以上、知的な層の人しか集まっていない。だったらマクドナルドで授業をやったらいいと思ったのです。実際、マクドナルドという場所は、難民の方たちがギリシャからバルカンルートを2週間くらいかけて歩いてくるなかで「wifiが使える」「バッテリーが充電できる」「ご飯も食べられる」、場合によっては仮眠をとることもできる場所。要はセーフティネットとして機能しているんです。だから、マクドナルドの客席というのは、実は未来の劇場なのではないかと。マクドナルドの中で難民の人が授業をやり、普段マクドナルドには行かない美術愛好家や演劇関係者が難民や移民の方たちが集まるマクドナルドで、他所者の気持ちになりながら授業を聴く。そういう現実を体験する方が、劇場に来て社会問題を扱った作品を見るよりもよっぽど勉強になるじゃないかと思ったんです。

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『マクドナルドラジオ大学 フランクフルト』Photo by:Masahiro Hasunuma

遠山 それはポッドキャストか何かでライブで聴くんですか?

高山 ライブなんですが、直接の授業をするわけではなくラジオを使いました。難民の先生はマクドナルドの客席に座っていただき、自分が書いた授業を小さな声で朗読します。それをマイクで拾ってFMのトランスミッターで飛ばします。学生にあたるお客さんは、マクドナルドの入り口でポータブルラジオを借りて、チューニングを合わせると授業を聴くことができるという仕組みです。それをフランクフルト内では7店舗ほどの規模で実施しました。マクドナルドのどの店舗で何時にどういう授業があります、というアナウンスをしておいて、聴いてみたい人が来る。もしくは、何も知らずにマクドナルドに来た方が偶然体験したのもありました。

遠山 それはマクドナルドっていうブランドがすごくキャッチーですよね。

高山 そうですね。東京ビエンナーレでも実施したかったんですが、コロナの影響もあってなかなか難しい状況ではありますね。マクドナルドのような場所で、普段劇場に行かない人たちがふいに作品に出合うような状況を作り出せるのがよいのですが。

 作品を誰に届けるかというのがすごく大きな問題ですもんね。高山さんが抱いているような問題は、多くの美術館やアートセンターや芸術祭が抱えていると思うんです。普段、僕は大学で学生の表現とかに付き合っていると、彼らが考えていることを、全然別の状況にいる人に届けたいと思うことがある。でも作っている本人もそういう意識を持っていないし、そんな期待もしていない。先ほどの話でいくと、難民の方の知恵を誰に届けたらいいかという問題で、作り手も受け手も予想していないところをどうやってつなげていけるのか。それは今後東京ビエンナーレなんかでもやっていかなきゃいけないことなんだろうと思います。

高山 そうですね。僕個人で言うと、戦略として、これは美術ですとかアート作品ですとか演劇ですって言ってしまうと、いくら劇場を飛び出しましたと言っても結局同じ構図を抜け出せない。作品を見たいお客さんだけを相手にするという。そこを崩したいなと思っています。そうでないと、いま藤さんがおっしゃったような、たまたま出合ってしまうという事件が起こらないし、先ほど遠山さんがおっしゃっていた「社会のインフラ」にはならないんですよね。劇場の延長でしかないんです。そこを根本的に変えていくには、情報が伝わる経路や、お客さんが集まる仕組みを変えないとダメ。最初の作品形態としては、演劇あるいはアート作品から始まるかもしれませんが、その後演劇性を消していったり美術であることを止めていく。そして社会に潜伏させることっていうのができるといいなと。その点ウイルスっていうのは戦略的にもすごく巧みだなって感心しています。そういうやり方を都市のなかで展開して、匿名性がもっともっと高くなっていって、作品でも何でもないものとしてふと体験してしまうということができたらいいなと思います。

 ちょと話がずれるんですけどね。あるときから僕はローカルでずっと活動をしているんですが、地元の高校生にどうやってこのイベントを知ったのかと聞いたときに、本屋にチラシがあったからって言われたんです。特に田舎では、若くてエネルギーがある子が何かしたいと思ったら、もちろんインターネットはあるんだけど、意外と本屋さんっていう入り口があるんだと思ったんですね。地方には、まだまだ面白い本屋さんがあって、そうした本屋さんには何かを求めて動ける子というのが来るんだということがわかった。だから、何かイベントをするときには、本屋さんにチラシを置いてもらうことにしたんです。あれはすごく面白い経験でした。

──作品との出逢い方をどう演出するのか、それは演出と呼べるのか。何かそれは設計しうる者なのかも、いろんな実験を皆さんと東京ビエンナーレはしていかなきゃいけないものだったりもしますよね。先ほど高山さんがおっしゃったように、アート好き演劇好きのように普段から慣れ親しんでいる人のために作品をつくっているわけではなくて、むしろアートとかに興味がないという人たちに出会って欲しい作品もいっぱいあると思うんですね。でも、前売りチケットが必要だったり、なかなか難しいことではありますが。

遠山 チケットの壁もありますし、演劇って90分とか2時間とか尺もけっこう長かったりしますよね。動物園で動物の前に留まっている時間の話を聞いたことがあるんですが、0.2秒だそうなんです。認識してすぐ次に行っちゃう。だから最初から2時間というような枠で緩急とかを設計しちゃうけど、最初から15分っていう尺だったら作り方は当然違うんだろうし。そういうくらいの方が私はうれしいかもしれない。状況にもよりますが。

高山 本当にそうなんです。演劇というのは、ある意味作る側にとっても見る側にとっても、人の時間を最初から奪うことが前提でみんなつくっていますから。しかもお金を払って見てもらいますからね。そういうスタイルは正直もう時代遅れだなと思います。

──普段劇場に来ないような人たちが来るという意味では、少し前に開催された高山さんの「ワーグナープロジェクト」(2017年、KAAT)は印象的でした。演劇や現代アートだけではなく、ラップうや詩みたいなものに興味がある人たちが参加していて。

高山 さっきの話の延長で言いますと、古代ギリシャの時代からコミュニティをつくる場がそもそも劇場だったんです。古代アテネでは、市民というのはアテネ生まれの男性で、ギリシャ語を話す人だけを指していたんですね。となると奴隷、外国人、子ども、女性、ギリシャ語を話せない人というのは自動的に排除されてしまいます。劇場は開かれた場所だと言われていますが、全然そんなことはない。要は、動員と排除のメカニズムによって彼らがアテネを代表する「市民」であると捏造する、そうした場所が劇場だったんです。

ワーグナ=・プロジェクトは9年ぶりに劇場で行ったものなんですが、普段だったら絶対に劇場にはできないコミュニティをつくりたいというのが最初の目標でした。そこで、ヒップホップの学校をしようと、「ワーグナープロジェクト」がスタートしたのです。ワーグナーという名前は、ワーグナーの演目に歌合戦のオペラがあったので、その構造を借りてラップの歌合戦をするコミュニティを作ろうと思ったのです。もちろんヒップホップをやっている若者の多くは、お金を払って劇場に来たりはしません。そういう彼らに劇場を解放しようというのがプロジェクトでした。

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KAAT ×高山明/Port B『ワーグナー・プロジェクト』
―「ニュルンベルクのマイスタージンガー」―
photo by : Naoya Hatakeyama

先ほど、劇場という場はコミュニティを捏造してしまう場であると言いましたが、だったらいわゆるストリートではあり得ないコミュニティも劇場という場で実現できるのではないかと思ったんです。それでヒップホップをやっている若者を呼んで、合宿させて、最終的に歌合戦を行ったのです。問題の連続ではありましたが(笑)、それも含めて新しいコミュニティを作る際に、劇場という場は使えると感じました。つまり閉じているが故にユートピア的な、架空のコミュニティが作れる。そういう機能があるんじゃないかなと思っています。

新しい表現が生まれる場とは、
出会わない者同士が出会ってしまう場とは。

──先日、ワーグナープロジェクトは大分でもやっていらっしゃいましたよね? その時の反応っていうのは全然違いました?

高山
 もともと磯崎新さんからいただいた話なんです。横浜でワーグナープロジェクトをやった時も一番喜んでいたのは、磯崎さんなんですが。大分の駅前に祝祭の広場という場所ができまして。そこの総合アドバイザーをされていたのが磯崎さんで、ワーグナー・プロジェクトをやりたいと言われたんです。大分でヒップホップをやっている子たちを集めてやったんですが、この場合は屋外だったので、さらにいろんな混ざり合いがあって面白かったですね。劇場でやったときよりも、広場の方がこのプロジェクトにはふさわしいなと思いました。つまり通り掛かりの人が偶然目撃してしまう、普段は出会うはずのない人たちが出会うという状況が起きた。劇場はそうはいきませんから。すごくいい学びをさせてもらいました。

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『ワーグナー・プロジェクト@祝祭の広場』©️Wagner Project

 富山県の森の中にある劇場も磯崎さんが手がけたものですよね? 利賀村ですね、あそこは非常に閉じた空間だけれども、僕は利賀村にすごく影響を受けているんですよ。学生時代は演劇をやっていたんですが、利賀村では世界的な演劇祭「利賀フェスティバル」が行われていて、僕らも合宿で参加していたんです。世界から錚々たる演劇人たちが来るんですが、僕らみたいな学生も交じって、テントを張って共同生活をする。ものすごく濃厚な時間でしたね。90年代初め頃のことだと思いますが、その後僕らの周辺では国際演劇祭フォーマットで活動をするその後のダムタイプの活動に繋がる人たちと僕らみたいにまちを舞台にする人たちと、大きく二つの流れができた。それは利賀村があってのことなんですね。

高山 そうだったんですか。その場に居られたなんてうらやましい。本当にユートピア的なコミュニティだったのだと思います。

 ちょっと話がずれるんですが、コロナ禍で自分の過去を振り返った時の気付きがもうひとつありました。磯崎さんの話につながりますが、彼がつくった美術館というフォーマットにかなり僕は影響を受けているんだと思います。80年代〜90年代にかけて磯崎さんが手がけた、ハラ ミュージアムアークや水戸芸術館のサイズ感だったりフォーマットというのは、いままではなかったんです。いわゆるホワイトキューブという発想や、美術館が美術実践の現場になるという、その場でプランを考えて展示するようなことは、磯崎さんの影響なんだと思います。そうした考え方は70年代にはありませんでしたね。その後90年代に入ると、サイトスペシフィックという言葉が出てきたり、現場性みたいな話が出てきてアーティストたちは美術館を離れていく。磯崎さんの建築が果たした役割というか、建築だけではなくシステムやフォーマットが作られていって、僕はそこに完全に巻き込まれた世代なんだと思います。

高山 それは、ホワイトキューブという器があるからあなたが何かを興しなさいという。

 そうですそうです。現代美術館のキュレーターが登場してきて、ここに空間があるから表現してくださいと。そこから僕は、美術館とくっついたり離れたりしながら、予期せぬ人と出会うために全然違うフォーマットを考えたりするようになりました。それこそカフェを作ったり。表向きはコーヒー屋さんの顔をしていながら表現の場であるとか、子どもの遊び場のふりをして、実は表現の場であるという。そういう実験をいろいろやるんですけど、その前の段階で建築というフォーマットをつくった磯崎さんの影響って大きいなと。

遠山

利賀村の最初の時には強力な主宰者というのがいたんですか?

高山 鈴木忠志さんという、伝説的な演出家がいらして。

遠山 強力な主宰の方と、場の力みたいなものがうまく合わさった感じなのでしょうか?

高山 そうですね。鈴木さんと磯崎さんは同志のような仲で、すごい時代だったと思います。

 僕はリアルタイムで経験をしているんですが、その前はテント芝居や寺山修司の天井桟敷の時代がありました。小屋やテントで芝居を打つというイメージから、全然違うスタイル──山奥の村に立つ小さな劇場でありながら、そこに世界中からさまざまな人が集まってきて、パフォーマンスもあれば演劇もあり芸能もあるという、ミックスされた場だったんですよね。その面白さがあったんだと思います。

東京ビエンナーレは
フレームからみんなで考えて、
何かをつくろうとする熱量がある場。


──利賀村のような場所というか、一時的に何かの枠組みをつくって、せーので動き出す。そういう意味では東京ビエンナーレがやろうとしていることに近いのかもと思って聞いていました。全然違う考え方を持つ人たちが、東京のいくつかの場所を舞台にして、何かを起こす。でも、そのコミュニティというのは、同じ志をもった強固なものというよりは、もう少し緩い結びつきなのかなとも思っていて。皆さんは、東京ビエンナーレに参加されるのだと思いますが、東京ビエンナーレについて考えていらっしゃることをお聞かせください。

 東京ビエンナーレの始まりがアーティストが中心となって、大きいしっかりしたフレームが出来ているわけでもなく、それを作っていくことが目的で出来ているようなところがありますよね。そこに集まる人っていうのは、フレームを含めて作ることに対して、意欲と興味とエネルギーを注げる人だと思うんですよ。それが、今後システム化してしまった時に、そのシステムにのっかってくる人が出てくるんですよね。この違いはすごく大きいと思います。

僕は、いままで制度も作ればシステムも作るし、場も作るとやってきましたが、場が一度出来てしまうと、そこでやれる人たちが自然と集まって来るのでエネルギーの熱量が落ち着いてしまう。劇場が出来たからそこを使おうっていう感じですよね。劇場が出来る前の状態だったら、何かもっと有象無象のうじゃうじゃしたエネルギーがあって、何かわからないけど作ろうよっていう熱量がある。例えばレストランだとしても、美味しいものが食べたい人が集まる場所と、美味しいものをつくりたい開発したい人が集まる場所っていうのは違っていて。多くの美術館や劇場っていうのは、美味しいものを食べたい人が来る場所なんです。東京ビエンナーレの今の状況を見ていると、市民会議なんかもすごく面白いのは、何かを作ろうとしようとしている人たちが集まってきている。というこの面白さだと思うんですよね。だから、この仕組みをどう持続させていくかということが、何かシステムを作る側としては大事なのかなという気がしています。そこに興味があって、僕も移動しながら何かが立ち上がっていく状態の面白さに関与したいなという気はしています。

高山
ほんとそうですね。逆に言うと、僕はほとんど完成形は要らないって思うようになってきました。そのためにはテンポラリーな方がそのためにはよくて、その場に何か持ち寄れる人が集まって何かを作ったり変化させていったりする。その生成変化自体がやりたいことだなと自覚できるようになりました。いま藤さんがおっしゃったのもその通りで、自分もそうありたいと思っています。

ただ、具体的にはマクドナルドで放送大学をどうやるかという問題になってしまうんですけど、いま店内に人が集まって話を聞くというのが現実的ではないので。だったらデリバリーがあるから、そこにQRコードを入れてもらって、それに基づいたレクチャーが家で聴けるような仕組みはどうかなと考えています。家で隔離された個人が、ネットワークでなんとなくつながっていくという距離感。もしかしたら他にも同じ授業を聞いている人がいるのかなとか、同じ時間に食べている人が他にもいるのかなと想像できるような。食べるという行為は、身体に入っていく、血や肉になるものなので。食べながらアフガニスタンとかイラクとかシリアとか遠くの話を血肉化していくというようなネットワークができたらいいなと思っています。

遠山 私は今回作家として呼んでいただいて、アートへの憧れがあるからアートっぽいものを作りたいなと思っていたんですが、それじゃあ呼ばれた意味がないかなという気もするので、もうちょっと視座を上げられるように頑張ろうかなと。新しいシステムやインフラのとっかかりになるようなことをもうちょっと考えてみたいと思います。

cover photo/『マクドナルドラジオ大学 フランクフルト』Photo by:Masahiro Hasunuma

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