北京でプロ乞食に遭遇した話
2017年秋、北京へ行った時の話。
北京へ行く主な目的は、針灸・中医関係の本の購入と、針灸用具店への顔出しだ。針灸用具は今年から微信を使って輸入しているから、わざわざ北京まで行く必要はないのだけれど、本を買うついでに針灸用具店へ手土産持参で挨拶しておくことで、ウェブ上での取引をスムーズにできている。
今回、こびとがHSK(汉语水平考试)の参考書を欲しいと言っていたので、とりあえず东单の図書ビルで、1~4級の単語帳と過去問を買った。ちなみに中国では、4級に合格した外国人は中国の一般的な文系国立大学への入学が許可されるらしい。いわゆる重点大学である北京大学や清華大学、复旦大学、上海交通大学などの最難関校は、基本的には5級180点以上でないと入学できないようだ。ちなみに、中国語教育で世界的に最も権威のある北京語言大学の本科へ入学して1年半~2年程度、日本の一般的な大学の中国語学部で、4年間勉強して到達できるレベルは、4級または5級200点程度だと言われている。
北京語言大学に入学して真面目に勉強していれば、2年後期の時点で5級280点以上、4年次ともなれば6級200点以上は十分に到達可能だろうと思う。逆に、ネイティブスピーカーでさえ満点が取れぬ6級に、短期留学しか経験のない者が挑むのは無謀と言えるかもしれない。それくらい、6級は狂気的というか、中途半端な学習者を門前払いにするような、極端な難易度に設定されている。とにかく、北京語言大学や北京外国語大学などの本科生として真面目に勉強している学生にとっては、5級は大して難しくないだろうし、6級も高望みではないだろう。
ちなみに私は、北京語言大3年次に初めて6級を受験したわけだが、220点くらいだった(180点以上で合格)。まぁ初めてにしては上出来だったかな、と思う。
北京の本屋には、日本と違って、毎年膨大な数の針灸・中医関係の新刊が並べられる。今回で針灸の勉強に必要な中医経典や辞書類はほぼ揃えることができたから、今後は新刊や改訂版をチョコチョコ買い足すだけで済みそうだ。
去年あたりから店頭に並びだした「中医古籍珍本集成(湖南科学技術出版社)」は、すでに針灸推拿巻だけで15種ほどあり、黄帝内経などの医経巻も含めると数十種以上はある。とりあえず針灸推拿巻すべてと黄帝内経、金匱要略、傷寒論だけはこの1年で3回中国へ行き、何とか買い集めた。「实用针刀医学治疗学(人民衛生出版社)」は第2版が出ていたので、改めて買いなおした。
雍和宫に行った際には、境内に併設していた土産物屋で「図解 黄帝内経」という本を見つけたので買ってみた。
これは主に素人向けの内容だったが、中々良くできた本だった。日本の鍼灸学校で買わされる教科書や、日本のアヤシイ黄帝内経の注釈本を大枚はたいて買うくらいなら、68元(約1200円)出してこの本を買って読んだ方が、遥かに有意義かもしれない。鍼灸学生時代には、少なくともこれくらいの本は読んでおくべきだろうと思う。
王府井では张一元という老字号の茶屋で、おかんに頼まれていたジャスミン茶を数缶買った。老字号というのはいわゆる老舗のことで、张一元は北京では最も知られた、ジャスミン茶のシェアNO.1の店だ。確かにここのジャスミン茶は香りが素晴らしいのだが、残念ながら日本では手に入らない。
地下鉄で手荷物をX線に通す時、こびとがこの日本で買ったら1缶数千円は下らないと思われるジャスミン茶6缶を取り忘れたため、国貿駅から再び王府井駅へ戻ってきたわけだが、結局誰かに盗られたようで、無くなっていた。仕方なく再び张一元へ行き、同じものを6缶買いなおすことにした。私が店員のオッサンに「さっき買ったやつは駅の保安検査の時に失くした」と言うと、オッサンは西川きよしばりに目をグリグリさせて、「丢了!?(失くしたって!?)」と叫んだ。
だいたい北京の庶民は、未だに月に2000~3000元(約34000~51000円)程度しか稼げぬらしいから、数百元で買った茶葉を失くすのは相当な痛手なのだろう。しかし私が茶葉を買いなおすことで、オッサンの店は儲けが倍になるから、オッサンは哀れみと嬉しさが共存する複雑な心境で、「丢了!」と叫んだのかもしれないな、と思った。これを聞いたレジのオバハンは、1回目に買った時は茶缶を紙袋に無造作に詰め込んだだけだったが、2回目は茶缶をポリ袋に入れて厳重に封をしたあと、さらに紙袋に入れこして、「看好了!(気を付けてね!)」と言って手渡してくれた。
张一元の紅い紙袋を持って外へ出ると、目の前を通り過ぎた2人の中国人を見て、思わず「あっ!」と叫んでしまった。我々の前を通り過ぎた70歳くらいの老婆と、その後ろを金魚の糞のようについて歩いていた50歳くらいの男は、いつも地下鉄1号線の車内で物乞いをしている2人に間違いないようだった。
この親子らしき2人は、毎週末になると観光客が多く利用する地下鉄1号線に乗り、車両の端から端までを練り歩いて乗客に金を無心するのであるが、その集金スタイルが異様であったため、私は数回見ただけで2人の顔をハッキリと覚えていたのだった。男は確かに、目を見開き、健常者と変わらぬ素振りで歩いていた。
いつも金を無心する役目は老婆だ。息子らしき男は無言のまま両目を閉じて全盲を装い、右手でアンプ付きのハーモニカを持ち、哀愁漂う音色を吹き鳴らす、という役目だ。そして左手は老婆に引かれ、あたかも母親が、全盲の哀れな息子を女手独りで養っている、というシチュエーションだ。
老婆の集金の仕方はかなり強引で、無視を決め込む乗客の手を無理矢理引っ張り、「どうか金を恵んでくだせぇ」と迫るのだ。慈悲心の強い外国人観光客などは、たまらず1元札やら10元札を手渡してしまうのだが、地元民は奴らが骗子(ペテン師)であることを見抜いているから、手を握られても完全無視で押し通す。上海ではこういう詐欺行為で小銭を集め、マンションを2つ買った輩がニュースになったそうだ。ちなみに、「骗子」の類義語で、最近CCTVの「今日说法」という番組でよく見かける言葉に「老赖」というのがあるが、これは借金を踏み倒す人のことで、いわば「債務者」の意味だ。
この日は、数日後に5年に1度の共産党大会を控えており、北京市内の警備が厳重であったせいか、いつもいるはずの物乞いを1人も見かけなかった。それゆえ、この親子も物乞いができず、当てもなく王府井を徘徊していたのかもしれない。
滞在2日目は運行し始めて間もない、世界最速を謳う复兴号と名付けられた高铁(高速列車)の始発便に乗るため、北京南駅に隣接する某ホテルに泊まることになっていた。日本を経つ前に、予めCtrip(携程旅行网)という中国最大手の旅行ウェブサイトでホテルを予約しておいた。
しかし、当日ホテルへ行くと、フロントの男は「接待不了外宾(外国人客は受け入れられません)」の一点張りで、泊まることができなかった。結局、ホテルへ着く直前にCtripからメールが来ていたが、直前のメールなんて見ていないから、気が付かなかった。Ctripからきたメールの内容は、中国人が記した日本語にしては、よくできた文章だった。
「ホテル側より外国の方を接待する資格をもっていないため、ご予約を確定することができないといわれております。大変申しわけございませんが、ご予約を一旦キャンセルさせて頂きます。部屋料金はご利用のカードまでに返金致しました。また、一度お客様のご予約を確認してから、ご予約通りに部屋を提供できないことに対して、お詫び申しあげます。シートリップはお客様のお声を真摯に受け止め、サービスの改善、業務品質向上に活かし、お客様から信頼される旅行会社を目指しておりますので、今回の事態に招いて弊社の不手際について、反省の上責任を持って対応させていただきたいと考えられます。また、同じチェックイン日のホテルをご予約頂いた場合、ご宿泊後にて領収書の写真を弊社までご提供していただければ弊社より最大初日部屋料金620人民元に相当する差額をシーマネープラスの形でご利用のシートリップアカウントに弁償させて頂きます」
Ctripだけのことではないと思うが、大手の予約サイトであっても、中国国内のホテルをウェブ上で予約する場合、確実に外国人が泊まれるホテルを探さねばならない。しかし中国のホテルは、実際にチェックインしてみないと泊まれるかどうかわからないことがよくあるから、予め宿泊拒否をされる可能性があることを想定しておくべきかもしれない。
滞在3日目は師匠一行と簋街で会食した。本当は王府井のapmにある东来顺という老舗の火鍋屋へ行こうと思っていたのだが、師匠たちが乗った飛行機が遅れて到着したため、残念ながら営業時間内に行けなかった。王府井の飲食店はどこも21~22時で閉店してしまうようだ。一方、簋街の飲食店はほぼ24時間営業だから、飛行機が遅れた場合はだいたい簋街で夕食をとることになる。師匠は久しぶりに燕京啤酒を飲めて嬉しそうだった。
そうそう、中国の空港で保安検査を受ける時は、なるべく中国人や日本人が多い列に並んだ方がよいかもしれない。何故なら人種によっては身ぐるみ剥がされるかの如く、体の細部まで厳重にチェックされるケースが珍しくないからだ。実際に、アフリカ人の多い列に並んだ結果、通常なら15分くらいで保安検査を通過できるはずが1時間以上かかってしまい、飛行機に乗り遅れそうになったことがある。ちなみに中国は建前上、アフリカを一帯一路の良きパートナーとしており、「两国关系非常友好,亲如兄弟(両国の関係は親密で、兄弟のようだ)」などと公言している。
軽いボディチェックですんなり通される日本人を後目(しりめ)に、裸足にされて隅々までボディチェックされている人々を目の当たりにすると、実際には見たことがないのだけれど、奴隷制度があった頃のアメリカ植民地の光景がフラッシュバックするようで、何だか切ない気持ちになる。