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現代「モノづくり」考(4):創造力

「創造力」とは何か

前回は、「モノづくり」の3つの原動力について説明した。「創造力」、「技術力」、「応用力」の3つである。それぞれは独立した原動力であり、しかも一体となって現代の「モノづくり」を実現するものである。

中でも日本社会に足りないと感じるのは「創造力」である。「創造力」こそが、新たな価値創造の契機を生み出し、新たな「モノづくり」の機会と市場を広げていく可能性を持つ。「創造力」を育てることは、喫緊の課題である。

創造力とは何か。

日本の辞書で引くと「新しいものをつくりだす能力」とある。英英辞書で「creativity」を引くとthe use of imagination or original ideas to create something(想像力または独自のアイデアを使って何かをつくること)とある。

違う辞書ではthe ability to transcend traditional ideas, rules, patterns, relationships, or the like, and to create meaningful new ideas, forms, methods, interpretations, etc.; (伝統的な考え、規則、パターン、関係性、あるいは類似のものを超越して、意味ある新しいアイデア、形式、手法、解釈をつくり出す能力)とある。

同じ言葉でも、辞書によって、特に日本語と英語で微妙に定義が異なるのは、「create」という動詞の解釈の違いであると思われる。「創造」という言葉は、createの訳語として明治に生まれ、使われるようになった。日本語の「つくる」という言葉には具体物のイメージがあるが、createには抽象的な表現、例えば「描く」という意味合いもある。

「創造力」と「技術力」

「物を作ること」がものづくりであった時代においては、創造力と技術力は一体のものであった。例えば、鍛冶屋のつくる刀剣は、鍛冶屋の創造力と技術力が渾然一体となって出来上がる。あえて「創造力」と「技術力」を分ける理由もなかった。

絵画も一緒で、ピカソの作品を「創造力」と「技術力」を分解することに、あまり意味はない。ここではイメージする力とそれを表現する力が一体となっている。

しかし、あえて要素に分解するとすれば、そこには人物の内面の洞察や表現技法があり、その技法を現実の絵にする筆遣いがある。前者を「創造力」に、後者を「技術力」とみなすことは可能かもしれない。

多種多様な主体が織りなす「価値創造」の総合的な取り組みである現代の「ものづくり」では、「創造力」と「技術力」は一体である場合もあるが、異なる主体が独立して役割を分担しうる。たとえば建築物では、役割としての設計(創造力)や実際の建設作業(技術力)があるように。

今、山積する地球規模の課題や社会の諸問題を解決するためには、多様な「創造力」を動員する必要がある。メーカーや工場内に囲い込まれた「創造力」だけでは現代の「モノづくり」が求める「価値創造」を生み出せない。

オープンイノベーションという手法が普及してきているのは、その意味で良いことだ。しかし、まだ技術に偏っている感は否めない。もっと幅広く多様性のある形で、「創造力」を育て取り込むことも大事だ。

「個」の時代においては、ボーダーレスにつながり、ダイナミックな協働が可能になっている。分野や業種を超えて、規模の大小に関わらず、多様な主体がつながり、新たな協働ができる環境や方法論が必要である。

「創造力」とはビジョンを提示する力

筆者は、創造力は誰にでもあるという信念を持っている。創造力は、決して特別な能力ではない。どの分野にも秀でた人はおり、天才的に独創性がある人はいるが、わたくしたち一人一人が創造力を持っている。

問題は、そのような創造力が発揮され、活かされるかどうかだ。自由に発想し、表現できる環境。違いを受け入れる受容性。創造力を伸ばし、育てる機会や教育。失敗を許し、再挑戦を促す社会。こういった諸条件を整えていくことが大事だ。

職業柄、創造力を発揮するたくさんの人たちと出会ってきた。これまでにないビジネスを生み出した人、画期的な技術を発明した人、弱者支援に貢献する人、鮮やかな技能やアートで皆を魅了する人。それぞれ個性があり、魅力的であった。

振り返って考えてみると、その人たちの核心にあったのは、ビジョンであったように思う。社会を変えたい。地球環境を守りたい。弱者を支援したい。こうしたビジョンを生み出しているのは、スキルというよりは、共感や、問題と正面から向き合う勇気であった。

創造力を発揮するとは、ビジョンを提示することではないか。現代の「モノづくり」の原動力である「創造力」とは、ビジョンを提示する力と定義することがふさわしいように思う。

「創造力」の3つの構成要素

その理解の上で、現代の「モノづくり」における「創造力」を改めて定義したい。

すなわち「創造力」は、以下の3つの能力の組み合わせであると考える。すなわち、第一に、課題を発見する力。第二に、問いかける力。第3に、解決の仮説を描く力である。これらを何らかの形でアウトプットできる能力が「創造力」」である。

「課題を発見する力」とは、ある社会課題に対して、本質的な問題、つまり対処すれば解決につながる具体的な課題を見出すことである。

例えば、貧困解消という課題に対して考えられる問題点は多様かつ複雑である。経済的な問題なのか、社会的な問題なのか。人の能力か、土地の生産力か、制度の欠落か。そのどれをとっても根は深く、原因も多様である。そうした課題と向き合い、その問題の本質を掘り下げることが、課題解決にむけての出発点だ。

「問いかける力」とは、その課題に関わる様々な現場に足を運び、観察し、多様な関係者とコミュニケーションを取ることである。表面的に課題を整理するだけでなく、問題解決に向けての直感を得るためには、問いかける力は欠かせない。

現場で得られる洞察が大切だ。また課題に対する多様な見方を得ることも、本質を掴む上で有効である。対話を進めることで、新たな発見や気づきを得ることも多い。

「解決の仮説を描く力」とは、そうして掘り下げて把握した問題に対し、解決策を「仮説」として描く能力である。この「仮説」を導く力が「創造力」のアウトプットとなる。そこにビジョンが生まれる。

実際に検証した結果、仮説が間違っている可能性はある。だからと言って失敗を恐れてはいけない。それを学びにして、次の仮説を取り組むことが大事だ。湯川秀樹博士が、「科学者の創造性」という講演の中で、「執念」を創造性の必要条件に挙げている。何度でも仮説を描く執念こそが、創造力を強くする。

「創造力」が生きる社会づくり

「創造力」のある人たちが、自由自在に活躍できる社会にしたいと考えている。

「創造力」を封じていては、社会の諸課題を十分に解決することができないからだ。「組織」の時代の論理と行動様式では、私たちが向き合っている様々な課題に手が届かないのである。

「なぜ作るのか」への回答がなければ、現代の「モノづくり」は始まらない。その「仮説」を提示するのが、「創造力」のある人たちだ。これは業種や職種に紐づいたものではない。誰でも発揮できる能力である。国籍を問わず、性別や年齢で区別せず、障害があってもなくても、誰でも「創造力」を発揮できる。

一方、「何を」つくるかの明確なイメージがなければ、物は作れない。工場は、明確な仕様や設計図がなければ、動くことはできない。試作品であっても同じだ。「創造力」を「技術力」に結びつける橋渡しも必要とされている。

そして、これこそがTOKYO町工場HUBのミッションなのである。

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