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TOKYOでモノをつくる

はじめに

この5年間、東京、隅田川の東側をずっと眺めてきた。かつて職人や技術者で賑わい、日本のものづくりを支えた工房や工場が集積する街や通り。この場を拠点に、5年前、TOKYO町工場HUBという事業を始めた。

「個」の時代の到来を予感していた。小さい存在が大きな力を持ち得る可能性について考えていた。小さくあることが戦うための有力な選択肢となる時代。世界は、すでにそのようになっていたし、その兆候はあちこちで観察された。

しかし、その具体的な仕組みや実践に必要な諸要素や要素間の関係性については、分からないことだらけであった。そんな時、東京の職人に偶然出会った。ものづくりの可能性に魅力を感じた。社会の変化とものづくりの未来、新しい時代の価値創造について考えるようになった。

「組織」を離れて、人々はどうやって新しい「モノ」や「サービス」を具現化できるのであろうか。小さな力は、いかに大きな変化、インパクトを生み出し得るのか。どんなプレイヤーが、どんなステークホルダーがつながり、協働することができるのか。その仕組み、構造、方法、心理や影響について。

この答えを求めて、立ち上げたのがTOKYO町工場HUBである。

「個」の時代へ

東京という巨大都市は、遠くから眺めれば精巧で力強い機械仕掛けのようだ。あらゆるモノやサービスが生み出されている。足りないものは何も無い。大きく動く針や仕掛けが次から次へと新しい富を生み出している。

しかし、虫メガネで良く覗いてみれば、どうにも身動きできない無数の歯車があることも発見するであろう。

大量生産大量消費の時代には、人も場所もお金も夢も固定化された。生産の効率化を極限まで追い求められ、高度に分業化・細分化された。バラバラになり、お金も生産手段も持たない「個」は、組織の統制を受け、規則正しく働き、ものを作りサービスを提供するほかはなかった。

個人であろうと零細の町工場であろうと小規模な「個」が単独で生きていくことはあまりにリスクが高かった。

「組織」の時代に事業を起こそうとすれば、まずは資本が必要であった。設備を整え、労働者を雇用しなくてはいけない。広告を出すにも、名刺一枚印刷するにも、何から何までコストが高い。金がかかるし、時間も手間もかかる。

しかも世間は失敗したものを許さない。事業を起こすのは普通に考えれば割りに合わなかった。属する「組織」の成長こそが「個」の成長であり、そこから外れるのはよほど変わった人か、負け組であるとみなされた。若者は組織を目指し、女性は家に縛りつけられた。

しかし、21世紀も20年以上が過ぎ、ITを始めとした技術革新が社会の隅々まで行き渡り、あらゆるコストを引き下げた。今では「個」が組織に頼らずとも生きていける環境が整っている。「個」でも十分に組織とも戦え、自由に創造力を発揮できる。

誤解してほしくないのは、「個」の時代は、「組織」がなくなる社会ではない。引き続き、組織を必要とする分野は存在するし、当面は組織が経済の主要な位置を占めることは間違いない。変わったのは「個」で活動することが有効な選択肢となったことだ。組織の規模や量を追い求めるのではなく、ビジョンの実現、成果の質の高さ、インパクトの広がりに焦点を絞って活動を展開できるスペースが増えた。

端的に言えば社会で生きていくための選択肢に自由度が増したということである。あるいはこうも言えるかもしれない。「組織で働くリスク」と「個で働くリスク」が対等なものになってきたと。「個」で働くことの障壁が減り、リスク管理しやすくなった一方、組織で働くことの安定性が徐々に失われ、不確実性が高まった。手放しで「寄らば大樹の陰」とは言えなくなった。

「個」の時代のものづくり

「個」の時代とは、個の強みを頼りに生きる時代だ。足りないところをダイナミックに補い合うことで価値を生み出す時代である。

ずっと前から、映画を作るようにビジネスを作る時代が来ると思っていた。プロジェクトベースで最適な強みを持つ「個」が集まり、イメージを具現化する。完成したら解散する。成功も失敗も分かち合う。そのような活動があちこちで繰り返される社会。技術的には十分に可能な時代になった。

しかし、それは具体的にはどう機能するのであろうか。創造力のある「個」が誰でも自由自在に活躍できる社会は、どのように構築することができるのか。

この問いに実践的な回答を見出すべく「新しい時代のものづくりエコシステム」構築をビジョンに掲げ、東京の葛飾区や足立区の町工場の中に入り、日々活動している。向き合っているのは、仲間である工場の経営者や職人たち、そして自らのイメージを形にしたいと相談に来る起業家、企業の担当者、個人の作家やクリエイターなどだ。多種多様な分野の人たちと様々なプロジェクトに取り組んできた。大学との仕事も少なくない。

TOKYO町工場HUBを推進する上では、二つの仮説を持って計画を立ててきた。

ひとつは、「個」の時代に最も必要とされるリソースは資金的な「信用」に基づくアセットではなく、人と人の間に生まれる「信頼」であるということ。もうひとつは、各プレーヤーの質的な変化を求めるよりも、新しい文脈の中に配置しなおすことの方が新時代への対応には有効であるということ。

その意味するところや背景・考え方については、別の機会に詳しく説明する。ここでは、これらの仮説は想定以上にうまく検証できているということだけをお伝えしておく。

丸5年が過ぎた今、一銭も設備投資することなく、大抵のものは作れる製造力を手に入れた。100社を超える工場や職人たちとの繋がりのおかげだ。また、一人も雇うことなく、大きなプロジェクトを(やろうと思えば)実現できる人材にも囲まれている。たくさんの案件を通じて、濃淡様々ではあるけれど、信頼のネットワークを国内外に築くことができたからだ。

こうして出来上がったきた土台は、HUBという形で機能するように整理してきた。日々、新しいモノを作りたい、イメージを形にしたいという企業や個人の要望に応えている。それらの案件の積み重ねにより、有機的にものづくりのエコシステムが繋がり、広がっている。このエコシステムそのものの価値を利用して、新しいビジネスが生まれてもいる。

しかし、仕組みや態様は従来の「組織」の時代のものとは、随分と違う。このことについても時間をかけて説明したい。

連載の開始

ものづくりについて全くの素人であった私をたくさんのプロの職人や技術者が温かく受け入れてくれた。無茶なお願いの数々にも、嫌な顔をされることなくお付き合い頂いた。事業としてのTOKYO町工場HUBは、ようやくビジネスの土台が出来上がってきたところで、これからが本格的なスタートではあるが、本当に貴重な学びと経験を得られた5年間であった。

区切りの5年を迎え、この学びや経験を社会に共有することは、自分なりに大事な義務であると考えている。経験したこと、考えたこと、悩んだことを語ることである。これを50本の記事にまとめたい。それぞれのタイトルも概ね決まっている。

私が経験したことで得られた結論が正しいものかどうか、意味があるのかどうかは分からない。それは時が判断してくれるだろう。ともかく自分が信じたことを率直に書こう。

大事なことは、なぜそのように考えたかを伝えることだと思う。結論より考えたプロセスを時間をかけて伝えたい。この変化の激しい時代に中途半端な知識やノウハウなどはすぐに風化する。大切なのは結論そのものではなく、どう考えたかだ。人を信頼するか否かは、結局考え方にあるのだから。悩みや痛みに共感したり、日々のささやかな発見や驚きを分かち合うことなのだから。






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