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先輩の自殺

この話は、うつ病などの精神疾患でお悩みの方がお読みになっているとの前提で書いています。

うつ病は、辛く、苦しい病気です。希死念慮との戦いでもあります。私自身も、あまりの辛さに自殺未遂を図った経験があります。

しかし、どんなに苦しくても人生を途中で投げ出してはいけないと思うのです。人間が輪廻転生を繰り返す存在で、生まれてくる前に今世の課題を設定して来るとしたなら

課題を途中で投げ出してしまったら、次の人生で、また同じ課題をやり直すか、もっと難しい課題を与えられるのかもしれません。

それに自殺は周囲の人間を不幸にします。

あえて、自殺した先輩2人のことを書いてみます。これを読んだ方は、絶対に人生に負けないでください。

★親しかった先輩の自殺

私は、2人の先輩職員と1人の元上司の3人を自殺で亡くしています。どれもショックな出来事でしたが、中でも一段とショックだった話しをします。

当時、私はある公民館でリハビリ勤務をしていました。「うつ病」での何回目かの休職から本格復帰するために人事課が用意してくれた職場でした。

そこでの勤務中に上司(館長)に電話がかかって来ました。その上司は電話を切ると「ちょっと出て来る」と言って慌てて出て行きました。

しばらくして、副館長に電話がかかって来ました。館長からです。「○○が首を吊ちまった、俺が行った時にはもう駄目だった」と言う電話でした。

○○さんは私の1つ年上で幼稚園から高校まで同じです。一時期は同じ係でも仕事をし、私が「うつ病」で初めて入院した時も励ましにお見舞いに来てくれました。

私は、お葬式に、行きましたがあまりのショックで吐き気がしてきました。参列した皆さんは、遺体の顔を拝んでいましたがとてもそんな気になれずお葬式の途中で失礼しました。

頭の中は「何であの人が、あの人に限ってそんな事する訳はない。これは何かの間違いだ。きっと夢を見ているんだ」とそんなことでいっぱいでした。

数日後、どうしても原因を知りたくて彼の部下だった人に話しを聞きに行きました。(彼はその時係長でした。)

その部下とは若い時から面識があり、ある程度親しくもしていたので正直に話してくれると思っていたのですが、どうも歯切れが悪いのです。

どうやら、上の方から箝口令が出ているようです。それもかなり上の方から・・・。それでも何とか話しを聞き出すと、やはり原因は仕事にあるようです。

それも彼の責任ではなく上の者の責任を背負わされたようなのです。しかし、市長の彼の自殺に、対する記者発表は「自殺の原因は全て家庭の事情である」と言ったものでした。

彼が担当していたある事業で、課長・部長の決済を取り、部長から副市長(当時助役)に話しが行っているはずでした。が、副市長に話しが通っていなかったのです・・・。

市長も当然そのことは知らず、彼の作った決済文書とは違う意見の内容を記者会見で発表してしまいました。当然、市長の判断は最終決定ですから覆りません。

その後で副市長の所に彼の作った決済文書が回りました。市長の意向とは違う文書が回って来た。しかも記者会見の後で・・・。副市長は激怒しました。

副市長は彼を副市長室に呼び、かなりの間彼を責めたようなのです。しかし、悪いのは彼ではありません。彼は、部長の決済までちゃんと取ったのです。

部長から副市長に文書が回らなかったのは部長の責任です。何故、部長から副市長に文書が回らなかったのか?原因は部長と副市長の不仲にありました。

部長と副市長は昔から犬猿の仲だったのです。嫌いだから文書を回さなかった。まるで子供です。副市長も部長が嫌いだから、部長を呼ばすに彼を呼びつけ叱責したのです。どう考えてもおかしい話しです。

一係長が市の事業の責任の一切わ背負わされるとは・・・。真面目だった彼は全部自分一人で抱え込み「うつ状態」になったのです。彼の様子がおかしいことを周りの親い人間は気づいていたのです。

彼が自殺を図った日。

その日彼は家に用事があるからと言って仕事を抜け出したのです。が、彼が戻って来ると言った時間になっても戻らないことを知った何人かが「これは危ない!」と彼の家に急ぎ行ったのです。

しかし、間に合わず自宅の倉庫で首を吊っている彼を発見したのです。今、この書き込みをしていて改めて悔しく涙を流しています。

こんな風通しの悪い組織は改変しなければいけません。実は私は、このことをどうしても市民に知って欲しくて当時、ある新聞記者に接触しました。

その新聞記者はよく話を聞いてくれました。が「証拠がないと記事にはできない、怪文書なら書けるがそれは記者の仕事ではない」と言いました。

もっともな話しです。今になって、やっとブログに書くという手段で第三者に知ってもらうチャンスができました。

今では市長も副市長も変わっているので多少の変化はあるでしょうが自殺者を3人も出した組織の全てが完全に良くなっているとは思えません。

二度こんな事が起こらないように一市民として願っています。

★もう1人の先輩の自殺

次は、もう一人の先輩の自分について書いてみたいとと思います。その先輩はFさんといい、私よりも3歳歳上でした。彼が自殺したのは、私が33歳の時でしたから、彼は36歳でした。

まだ若く、これからの年齢でした。彼が自殺した時に、私は区画整理事務所に配属されていました。
区画整理事務所の前には、課税課に配属されていましたが、そこで彼とは知り合いました。

私が家屋係で彼が土地係でした。二人とも固定資産税の担当でした。仕事上、緊密な連携を必要としていたので、彼とは自然と話すようになりました。

彼は、まだ独身でした。お姉さんがいたのですが、知的障害があり彼が面倒を見ていたので、なかなか結婚ができなかったのです。

彼とは、ほぼ週1回ペースで一緒にパチンコに行っていました。私が、「Fさん、今日行く?」と聞けば、彼は必ず「おう、行く行く。先に行ってて」と誘いに乗ってくれていました。

彼が遅れてくるのは、知的障害のあるお姉さんに夕飯の介助をしてくるからです。とても優しい人で、お姉さんのことを愚痴ったことは、一度もありませんでした。

その優しさが仇になって、自殺に追い込まれてしまったのです・・・。私が区画整理事務所に配属された後、彼の係は上司以外は、彼を含め彼の同級生が4人になりました。

その中で、彼が一番経験年数が長かったのです。
他の3人は、彼を頼りすぎてしまいました。彼の人の良さをついて、自分達の仕事を彼に回し始めたのです。

彼は何も言わず、黙々と仕事をこなしていましたが、ある日限界が来たのです・・・。それは5月のゴールデンウィークの最後の日でした。彼は、それまでずっと我慢をしていたのだと思います。

そして、うつ状態になり連休明けに、仕事に行くのが苦痛になってしまったのだと思います。自宅の車庫で、首をってしまいました。

遺書には、「迷惑かけてごめんなさい。もうこれ以上仕事ができません」と書かれていました。実は、ゴールデンウィーク前に、市役所の本庁でで彼を見かけたのです。

私が仕事で、市長の印鑑をもらうために本庁に行った際に廊下で見かけたのです。声をかけようかな?とも思ったのですが、その時は私もうつ状態になっていたことと、急いでいたこともありそのままにしてしまいました。

それが彼を見る最後になるとも思わずに・・・。

ゴールデンウィーク明けに、仕事に行った時に、朝一番で机の電話がなりました。私が元いた家屋係の先輩からでした。「おい、Fが死んじまったぞ!首をっちまった」

私の頭は真っ白になりました・・・。一瞬、何が何だか分かりませんでした。その後、猛烈な悲しみと後悔の念が襲って来ました。

なぜ、あの時に声をかけなかったのか・・・と。
私が声をかけていたとしても、どうにもならなかったとは思います。それで、自殺を止められたとは思いません。ですが、最後に話しをしたかった・・・。

私自身もうつ状態だったので、お互いに悩みを話していれば・・・。と思ってしまうです。
彼の自殺が、私をうつ病の地獄に落とす、最後の留めになったのです・・・。

★最後に

最初にも書きましたが、自殺は周囲の人間を不幸にします。それに、人生を途中で投げ出すことは、自分自身の魂の成長のチャンスを投げ出すことでもあります。

今はどんなに辛くても、いつかは、それが思い出になる時がきっとやってる来ると思うのです。
中島みゆきの「時代」の歌詞と同じだと思います。

皆さん、辛さに負けずに前向きに生きて行きましょう。自戒の念を込めて書いています。

それでは、最後までお読み頂きありがとうございました。

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