いま匿名SNSが注目されるワケ
現代人は、もう一人の自分を生きられる場所を求めている
昨今、さまざまなタイプの匿名SNSが、じわじわと人気を集めています。それらは、従来の実名SNSや、匿名とはいえ拡散性の高いTwitterのようなものとは異なり、よりクローズドで秩序ある空間が保たれているSNSです。
現に、Google Playのソーシャルカテゴリーに属する月間利用者数(MAU)上位100アプリの2021年7月の合計MAU調査(https://www.nikkei.com/article/DGXKZO74762830T10C21A8H21A00/)
によれば、匿名SNSの存在が、オンラインのコミュニケーションをより一層加速させていることが見て取れます。
果たして、そういった新時代のコミュニケーションツールである匿名SNSの何が人々を惹きつけるのでしょうか?
これを考えるためには、現代に生きる人々の潜在的な欲求を理解する必要があります。
つまり、「SNSが普及しきったいま、改めて人々は何を求めているのか」ということです。
結論から言うと、我々は、もう一人の自分を生きられる場所を求めているのではないでしょうか。
以下では、実名SNSの欠点や、現代に生きる人々の欲求をふまえたうえで、匿名SNSの魅力について紐解いていこうと思います。
言いたいことを言えない実名SNS
実名SNSを利用するということは、端的に言えば、自分の投稿を、知人や友人、親戚などが見ることできるということです。
見る側からしたら、物理的に離れていようが、スマホひとつで気軽に近況を知ったり、考えていること、思っていることに触れたりすることができるというのはとても便利です。
一方、発信する側からしたら、「見られている」というプレッシャーが発生します。下手なことが言えなくなるのです。そりゃ躊躇いますよね。ちょっとした愚痴までもが知人や友人に大公開されてしまうわけですから。
このように、実名SNSというのは、多かれ少なかれ、「こう見られたい」というしがらみに駆られるため、心の赴くままに自由に発言することは難しいのです。
けれども、身の回りの人にはなかなか言えないこと、現実世界で自分とかかわりのない、名前も顔も知らない赤の他人だからこそ、話せることや聞いてほしいことってありますよね。そこで、匿名SNSの出番です。
誰にも忖度せず、フラットに発言することができる
匿名SNSであれば、基本的に、属性や人間関係、社会的地位といった、いわば現実世界の肩書を取っ払って、誰にも忖度せず、フラットに発言することができます。
そこは、学校や職場でもなければ、家庭でもない、第三の居場所です。
匿名なので、愚痴を言っても、誰にも咎められません。本音を言って直接的に誰かを傷つけることもありません。好きなタイミングで、好きなことを、好きな表現で、好きなだけつぶやくことができます。「もう一人の自分を生きられる場所」ともいえるでしょう。
このように、匿名SNSであれば、オンライン上で形成した人格が、現実世界の自分や身の回りの人に支障をきたすことがありません。にもかかわらず、社会と、誰かとつながることができます。
いってしまえば、政治家が、推しのアイドルについて延々と語ってもいいし、それによって公務に悪影響が出る…、国民の信用を失う…ということはありません。匿名なのでね。
社会的地位や知名度を持っていればいるほど、その名をもってしてオンライン上で好き勝手発言することは難しくなります。
しかし、匿名であれば、オンライン上の人格と現実世界の人格を切り離すことができるのです。
そんな匿名SNSも多様性が求められる時代
と、ここまで匿名SNSの魅力を書き連ねてきましたが、「基本的に」と前述したとおり、「自由な発言ができる」ということに関しては、例外があります。匿名であるからといって、自由な発言が必ずしも担保されているとは限らないということです。
たとえば、拡散性の高いSNS(たとえばTwitter)であれば、いとも簡単に燃えます。一般人であったとしても、燃えます。誰かの気分を害するようなことや名誉を棄損することに言及すれば、不特定多数の人の目にさらされ、匿名とはいえ、場合によっては身元が特定されるなど、自身の立場が脅かされる可能性も十分にあります。
実名ではないので、(見知った人に)監視されているというプレッシャーはなくなったはずです。それでも、「簡単に拡散され、炎上する」可能性があるのであれば、匿名であったとしても、「言いたいことを言えない」「安心して愚痴を垂れる場所ではない」と思ってしまうことに無理はないでしょう。
SNSは、匿名であればいいというわけではないのです。
そもそも、匿名を求める本質には、身元を特定されずに自由な発言ができるという安心があります。にもかかわらず、特定されなくとも(匿名であったとしても)、見知らぬ人にいきなり罵倒されるようなSNSであれば、結局、自由な発言ができるという安心は期待できないといえます。
われわれは、匿名である以前に、安心して言いたいことを言える場所がほしいのかもしれません。
フォロワーやいいねの数に一喜一憂するのはもう疲れた
いまや世界中で多くの人がSNSを日常的に利用していますが、実はそのほとんどが見る専です。
総務省が2018年に報告した調査結果(h30_03_houkoku.pdf (soumu.go.jp)
によると、Facebookでは実際に使っているユーザーの中のおよそ14%、Twitterでは20%、Instagramでは13%が積極的に情報を発信しています。
実際に発信する人、投稿する人というのは、全体の2割にも満たないのです。
ほとんどの人が発信しないということ。
これは、SNSを単なる情報収集ツールとして認識しているかもしれませんが、上記のSNSはいずれも、フォロワー数やいいね数が公に表示されるから、というのも一つの要因かもしれません。
「いいね」されたことは、自分だけでなく、他の人にも公開されます。誰に、いくつ「いいね」を押されたのか丸わかりなのです。
「いいね」はたしかに承認欲求を満たしてくれます。しかし、丸わかりであるが故に、「いいね」されなかったとき、恥ずかしさを覚えます。
そこで、恥ずかしい思いをしたくないから、そもそもつぶやかない、という思考に至るのです。たとえば、筆者がそうです。(笑)
人気があるとかないとか、評価されているとかされていないとか、そういうことが一目でわかってしまうことに、とりわけ人目を気にする若者世代は疲れてしまったのではないでしょうか。
前述の通り、ほとんどの人は、既存のSNSで発信しません。でも、それはつぶやきたいこと、表現したいことが何もないことと同義ではありません。人とのつながりが必要ないわけでもありません。
むしろ、コロナウイルスの流行により、容易く人に会うことができなくなったいま、「いつ、どこにいても、気軽に誰かとつながれる」ということに対する需要はより一層高まっています。
つまり、SNS特有のしがらみやトラブルは避けたいけれど、誰かと気軽にコミュニケーションしたり、人目を気にせず、ありのままの自分を表現できたりする場所はほしいのです。注文が多いですね。(笑)
しかし、そういった多くの注文を見事に受け入れることができるからこそ、昨今の匿名SNSは、人々を魅了しているのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?