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命がけの絶望 -仕事・不安障害・うつ病・精神医療-


0.はじめに


 僕は今まで、自分のおかれた事実と
 こころのうちを切り取ってうつ病に
 ついて記事にしてきた。

 実名などをのぞけば、うそいつわりの
 ない話、エッセイばかりだ。

 共感してくれたクリエイターさんもたくさん
 いらっしゃり、感謝してもしきれない。

 ところが
 noteの世界はそんなもんじゃなかった。

 世の中には人生の全て、ありったけの情熱、
 悩み抜いたすえの気持ちと文字どおりの
 命がけで向きあい、産み出されたよみものに
 いくつも出会った。

 拙い文章でも全身全霊をぶつけてみたくなった。
 共感も、誹謗中傷も考えない、唯一無二を。


1.仕事

仕事をするうえで何が大事だろう?

報酬? 好奇心? 達成感?
生きるため? 暇つぶし?

ずっと考えてきて、今やっとたどりついたこたえ。

「プライド と 大義 と 納得」だ。

僕にとってのプライド

僕ならできると信じてきたこと。

高校を選んだのも、一浪して大学に入ったのも
苦戦しながら就職先を決めたのも、みんな
自分のプライドが原動力だった。

全て、難しい方を選んだのだから。

ある意味でエゴだった。
浪人して、大学院まで行かせてもらって
親に負担をかけたのも事実だ。

それもふくめて
プライドがあったからこそ、乗り越えられた。

僕にとっての大義

小さな頃から大義なんて考えて
生きてきたわけじゃない。

ただ、ミニカーやカラクリ、ブロック遊びが
好きだった。

いつしかそれは、ものづくり、特に
車作りで生きたいという夢に変わっていた。

さらに、大学で別の興味がわいた。

 人間工学。

 最終的には車関係の研究をしたい思いを
 持ちつつ、成績で人間工学の研究室配属と
 なったのだった。

 歩行解析や姿勢制御車椅子、骨の応力解析、
 脊髄の物性調査など。
 人の動き、しくみを機械工学の視点で
 見るのは面白かった。

 教授がポロッと言った「歩行は転倒の連続」が
 すごく腑に落ちた。

結局、車と人間工学の夢は就職・配属により
ある意味で両方叶い、今ある意味で
両方遠ざかってしまった。

けれど、結果として

「自分」が線を引いて作った「モノ」で
人を幸せにする

そこだけは揺るがない大義となっている。

僕にとっての納得

これはあえて触れる必要はないのかもしれない。

与えられた仕事が
・大義に沿うものか
・一般ユーザー、得意先、会社にとって
 うれしさがあるか
・物理原則として成り立ち得るものか

これらが満足できて、初めて仕事に納得できた。
そうすればメンタルも強くたもてた。

残業休出が多くても、
得意先や関連部署から理不尽な指摘をうけても、
上司からきびしい叱咤をうけても、
他部署の人が怖くても、
くやしくて夜中に眠れず涙しても、

前を向いてなしとげることができた。

その製品により、今も皆さんに毎日のように
快適を提供している自負がある。


2.不安障害

特に社交不安障害、いわゆる「あがり症」は
ものごころついたときから持っていた。
「よく知らない人」が怖い。

はじめましての人が怖い

気づいたのはいとこの家でいとこの友だちを
まじえて遊んだ幼稚園のころ。
その友だちに近づけないままだった。

対していとこは社交的だ。
僕の友だちとも、すぐうちとけて遊んでいた。
この差は何なんだろう。
当時の僕はわからなかった。

大勢の前で話すのが怖い

発表会の劇や演奏は決められたことを
やるだけ。これは問題なかった。

一方で、小学校の児童会役員選挙候補に
推せんされたときは、泣くほど怖かった。

「カワ」がいなかったらと思うと
今でもゾッとする。

大声、ケンカ腰、皮肉、上から目線、
早口でのまくし立てが怖い

そして現在。
役員、部長、関係部署が集まる出図検討会や
事前に行われる設計検討会をはじめとした
打合せ。

上記の怖い人が必ずいるのだ。
今までは大抵が年上で役職が上だった
こともある。
長年の経験で知見もあるだろう。
この地方の気質もあるのだろう。

開催するたび何を言われるのか、ただ怖かった。
スケジューリングするときから怖いのだから
ちょっと異常だなとも思っていた。

心拍数は毎回上がり、胃はキリキリした。

それでも、納得した仕事は腹をくくれた。
その製品を一番よく知っているのは
本来、線を引いた僕なのだから。

これら怖い人は、なんの責任もなく
ただ重箱の隅をつついて仕事を増やす
生産性を落とす人ばかりだった。

結局、同じ人間なのだ。
的確な指摘のできるスーパーマンは一握り。

冷静になれば、何を怖がるのかと思う。

でも、当日目の前にすると、誰であろうと怖い。

納得できない仕事は不安が増幅される

上司が指示した仕事は、僕が納得して
いなくても僕の仕事として進む。

納得していないプロジェクトを
得意先に売り込むほどつらいことはない。

 日程はお構いナシにどんどん進む。

 検討会は形式的に行われ、課題だけ増える。
 (これも上司の意向で追加)

 売り込みで得意先からの疑問が正論で
 答えられない。

 いつまでも上司とはかみあわない。
 細かい報連相も上司が嫌うからやめた。

 自分達の作った新ルールを理由に
 動かない関連部署。おかげで仕事が止まる。

課題が山積みになり、絶対に日程が
間に合わないと確信したある夏の夕方。

こころの何かがぷつんと切れた

あ、心療内科に行こう。
40年の人生で考えたこともなかったのに
即断した。

恐る恐る自宅近くの心療内科に電話予約したが
1ヶ月待ち。どの病院でもそれが普通らしい。
そんなに待つのか。

初診日まで耐えた。
1ヶ月は果てしない時間だった。

初診日を迎え、やっと診断を受けた。
診断名は不安障害。
不安神経症とも言われた。
なぜかぼやかされたのは気になった。

とにかく安定剤、頓服との共存が始まった。

しばらくは薬で何とかなっていた。
少しだけ、楽になった。

当時、このつらさがうつ病のような
病気だと思っていた。

しかし、うつ病は根本から違った。


3.うつ病

仕事はどんどん悪い方向へ進んでいく。

人が抜けると僕が引き継ぎ
新人が入ると先輩の下に配属された。

なぜ?抜けたのは3人だよ?

また僕1人で仕事をさせるの?

係内の仕事を回すのに必要な
替えのきく都合のいい技術者。
上司は僕をそう見ていたのだろう。

そして、引き継ぎほど
「プライド 大義 納得」のない仕事はなかった。

設計承認まで受けた後に引き継いでいるのに
評価で何も合格にならない。
どういうこと?

評価部隊から不合格の要因を教えろと
突き上げられる。

責任を取るのは僕。設計してないのに?

当時設計承認したのは上司。
じゃあ、上司はなんのためにいるんだろう?

替えのきく技術者だから、軽い扱いでいいのか。

上司からの扱いがどんどん雑になる一方
細かい指摘が多くなる。
マイクロマネジメントはやらないって
言ったのに。

「結論から言え」
「ほらまたできてない」
「直るまで指摘するからね」

解決の為に出来る努力はした。
おかげで製品として形になった。
さすがに上司の協力は得られたが。

それでも評価は下がっていった。
聞きたくもない評定会議の内容も聞かされた。

「仕事」がしたい。
尻拭いをしに、ここにいたいわけじゃない。

そんなことを昼休みに先輩に吐露していると
上司から
「係の士気に関わるからネガティブな話題は
やめろ」と注意された。

本来ならもっともな注意だ。
ただ、正常な判断ができる状態を過ぎつつあった。

さすがに頭にきて抗議したものの、
のれんに腕押しだった。

いつしか、就寝時に朝起きるのが怖くなった。
目覚めると、体が鉛のように重い。

それでも抗って起き上がり、時間ギリギリまで
ソファに横たわりながら、体調と向き合う。

重い体を持ち上げ、会社に向かうか。
諦めて、上司に休養の連絡をするか。

後者がどれほど情けなかったか。

そして少しずつ消えていく有休。

ある時、元上司(上司の上司)が異変に気づき
話の場を作ってくれた。

以前、品質不具合の原因を見つけ
「でかした!」と最上級の評価を
してもらった人だ。

「何も負荷の高い仕事ないじゃん。どうした?」

この時、涙があふれた。
言葉が言葉にならなかった。

 今思えば、うつ病と診断されうる領域に
 入っていたと思う。

「引き継ぎして、少し休め」

この温かい言葉に、今でも感謝している。

それでも診断は不安障害のまま。
きっと症状をうまく伝えられなかった。
今となっては痛恨の気持ちでいっぱいだ。

不安障害には療養の意味がない。
薬でごまかすか、考え方を変えるしかない。

10日ほど休んで復帰すると、引き継いだ
はずの仕事が手つかずのままだった。

後任の先輩に緊急性の高い仕事が入ったのが
理由だった。
先輩の苦労を考えれば理解できる。

だが、これだけは急ぎでとお願いした
設計変更もまさかの放置だった。

本当に代役は調整できなかったのか?

上司は相変わらずだった。

結局僕が対応した。全部仕事が戻ってきた。

ただの対応の遅れとされ、関係部署から袋叩き。
それに対する上司の反応は「やっぱりね」

休むんじゃなかった。後悔した。

ここで、上司の上司に相談すべきだったか?
いや、状況は変わらないだろう。

朝の不調に頭痛が増えたのは、この時からだ。

その後の半年、同じような苦しい状況下で

 脳神経外科への通院

 疎遠だった父の死去

 突然の担当製品変更(異動)

いろいろなものに振り回された。

16年携わった製品とのあっけない別れ。
ともあれ、くだんの上司から解放された。

新しい仕事。全く違う製品。
親身に話を聞いてくれる上司や同僚。

これで体調はよくなる、仕事ができるはず。

だが、目論見は外れた。
すでに手遅れだった。

さらに半年、
同じように朝の苦痛の選択をする日々。
症状が改善するのを期待していた。

日に日に減っていく有休。
日に日に増えていく些細なミス。
進まない仕事に焦った。

ただただ、空回りしていた。

そうしているうちに夏休みが明けた。

 通勤で毎日聴いていた音楽が聴けなくなり

 小学生から観ていたF1中継が観られなくなり

 家の雑草が気にならなくなり

 家事ができなくなり

 喜怒哀楽がなくなった。

限界を超えた。

そして運命の日がやってきた

起床して頭が冴えているのに、鉛どころか
タングステンか?全く起き上がれない。
こんなの初めてだ。

まさに絶望だった。命運尽きたと思った。

奇しくも有休日数が底をつくタイミング。

ついに「うつ病」の診断が出た。
翌月からの休職が決まった。

起き上がれない、何もやる気がない。
起きて、少し食べて、薬飲んで、寝るだけ。

なんのために、いきているんだろう。

答えのない問いをぼんやり考える。

体重は入社時のピークから15kg落ちていた。

会社は、同僚は、助けてくれない。
心配はしてくれても、それだけだ。

ただひとつ、嬉しかったのは
もう、朝の苦痛の選択をしなくていいと
いうことだけだった。

一方で、妻には心配をかけた。

 のちに、日々が不安だったと明かされた。
 家事の負担は、まだかけっぱなしだ。

 でももし、独身のままだったら?
 この苦しみとひとりで対峙することになる。
 消えたら楽になるんだろうかと
 考えたかもしれない。

そばにあなたがいてくれてよかった。
心配かけてごめんね、ありがとう。

うつ病のつらさ

診断を受けた後から、考えていたことがある。

うつ病のつらさはどういう言葉で
表現できるだろうか。

ずっと症状のつらさをイメージしていたが
症状は罹患者の感じ方それぞれだ。

今回の執筆で、やっとたどりついた答え。

うつ病の本当のつらさは「命がけの絶望」だ。

うつ病は誰でもかかりうる病気だ。
10人にひとりはかかるといわれる。

もはや、運、不運の世界だ。

そして風邪とは違い、年単位の療養期間が
必要となる。

僕は今のところ、会社に籍を置いたまま休職
できている。
おかげで生活できている。

 一方で
 休職期間をギリギリまで使っても治療の
 終わりが見えない人もたくさんいる。

 休職が叶わず退職せざるをえない人もいる。

 障害年金や生活保護を何とか取得し
 必死に食いつなぐ人もいる。

 休職した為に転職が厳しい人もいる。

 転職したはいいが、さらに苦しい労働条件に
 さらされ、苦しむ人もいる。

 それを、繰り返す人もいる。

まさに死活問題、命がけだ。
その命がけの行動が、なかなか実らない絶望。
消えたいとまで思う、絶望。

これがうつ病のつらさ。

うつ病は治らない。
いや、どこで治ったと言っていいのか
医師でもわからない。
再発するリスクも高い。

発症前の自分にはもどれないのだ。

これから、そんな現実と戦っていく
覚悟が必要になる。


4.精神医療

前置きとして、僕は医師じゃない。

だから、医学的な知識なんて大学の研究室で
学んだ背骨の構造くらいしか知らない。

でも、言えることがある。

精神疾患は脳の病気だ。
一部を除けば可視化、数値化はできない。

だから、精神医療は難しく、遅れている。

治療も、患者さんの言動に合わせた対症療法
(投薬、カウンセリング)しかない。

 対症療法で症状を何とか安定させている人が
 大勢いる。

 一方で、薬がなかなか合わなかったり
 その時々で診断が変わる患者さんが
 いることも事実だ。

 また、薬の副作用に悩まされている人も
 大勢いる。
 抗うつ剤なのに副作用が抑うつなんて薬もある。

それでも精神医療は日々進歩している。

合う薬がなく、絶望の淵に立っていた同期に
新薬が合い、劇的に回復しはじめた。

そして日々、医療研究、新薬開発は続く。

少しずつ、少しずつ医療研究者、製薬研究者の
皆さんが患者のつらさを取り除こうと
「プライド」と「大義」を貫いている。

そんな皆さんに頭の下がる思いだ。


5.さいごに

僕は、不幸にもうつ病になってしまった。

休職し始めて11ヶ月がたとうとしている。
その間、社会的な貢献が一切できていない
後ろめたさをつねに感じている。

社会人としての僕の時計は11ヶ月前から
止まったままだ。

もうこれ以上の昇進のチャンスはないだろう。
見たかった景色が見えないまま
終わることになりそうなのは残念だ。

このまま会社に残れれば幸運だと思っている。

さらに
不意にやってくる不調に今も悩まされている。

それでも、まだ40代。
平均寿命まで生きられれば折り返しだ。

そのタイミングで1年近い療養生活を
送ることができたのは、考え方を変えれば
幸運だったのかもしれない。

家族と接する時間が増えた。
子どもの成長を間近で見られる期間が
増えた。

また、生き方に選択肢が増えた。

noteというプラットフォームを
見つけ、今までの人生では出来なかった
発信や交流ができるようになった。

フォロワーさんと文字や音声で
交流することもできるようになった。

自分の振る舞いで相手を傷つけた代償も
勉強代として払ってきた。

いつかはエッセイで副業をする夢もできた。

うつ病は僕にとって「人生の転機」
なりつつある。

諦めるのはまだ早い。
選択肢は上ではなく、横に増えたんだ。
ゆっくり僕と家族の未来を決めよう。

復職までには、まだ時間がある。


幸運にも精神疾患と無縁の方々へ

精神疾患が認知されるようになり
罹患者も増えてきているように見える。

しかし、実際は「甘えの許されない努力と
根性の時代」が本当の罹患者を覆い隠して
きただけなのだろう。

精神疾患は一般的にパワハラや過剰労働で
引き起こされるイメージをお持ちかも
しれないが、僕の場合はそうではなかった。

 「先輩ー後輩」としての付き合いの長さもあり
 「上司ー部下」で同じ付き合い方をし
 お互い勝手な期待をして、すれ違ったこと。

 結局その上司のもとで一度も納得のいく
 仕事が回ってこなかったこと。

 人工としての扱いしかされなかったこと。

そうして、どんどん苦しい立場に追い込まれた。

係としての事情もある程度あったことが
理解できるから、上司の言動がパワハラに
当たるとは思っていない。

ただ、それでももう少しメンバーを
見てほしかった。

その反省から、僕を含め読者の皆さんには
特に職場での人間関係は大事にしたいし、
してほしい。

 普段のあいさつ。

 プロジェクト開始時の上司と部下との
 納得いくまでの話し合い。

 引継ぎ時の後任に対する配慮。

 事あるごとの「指摘」ではなく「声かけ」。

少しの配慮で皆さんのメンタルヘルスが
保たれる。

縁あってここまで読んでいただいた方には
職場での自分の振る舞いを再考いただく
機会になれば、それ以上のことはない。

最後まで読んでいただき、感謝申し上げます。


(了)

#創作大賞2024
#オールジャンル部門
#とことこてー

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