受注者になりたいなら、発注者になってみるといいと思う。

 先日偶然、末吉宏臣さんの note から、末吉さんと幻冬舎の箕輪厚介さんのラジオ番組「未来の作家のカタチ」に飛んだ。第1回と第2回しかまだ聴いていないけれども、(ああ、面白いな)と思った。お二人は本づくりに関わる人たちの中で「編集者」という立場から「作家」を語られている訳だけれども、(編集者の関わり方って、イベントの企画者と似てる感じなんだな)と思ったからだ。自分への引き寄せ方はその人次第で様々あると思うが(その辺は後ほどちょっと触れる)、今わたしが仕事でやっていて引き寄せて理解しやすかったのが「イベントの企画者」だったので、まず、そこが導入部。

 どこでそれを感じたかというと、ラジオ第2回の「本作りで一番最初に考える事」。箕輪さんは堀江貴文さんの「多動力」を手掛けられた際に、どのように着想してどのように堀江さんに繋げたかを語っていらしたのだが、その辺の、発端が糸を出してどこかに繋がり線になって太くなり現実化していく感じ、が、イベントを企画から開催に持っていく時の感じに似ていた。

 わたしはお仕事で結婚支援事業をしている。少人数を対象とした独身の人たちの出会いのイベントもやるし、「結婚って、そもそもナニ?」ということをテーマとした講演会もやった。まあ、田舎のことなので、範囲としては近隣市町村、拡がっても全県単位なので、規模としてはそれほど大きくはない、その程度のイベントだが。

 イベント企画と本の編集で共通するところは、「やりたいことはあるけど自分ではできない」というところなんだと思う。自分だけの力で、コンプリートできない。必ず、キーとなるプレイヤーが要る。語ってくれる人、とか、ワークやアクティビティやトークを主導してくれる人、とか、書いてくれる人、とか。企画者とか編集者とかができるのは、基本的に全体統括だけだよね。だから、オファーをかけて、お仕事を依頼する。例えばわたしのお仕事で言うと、わたしは「結婚」についてはそれなりに思うところは確固としてあるので、「結婚」や「男女」についてそこそこ共通の見解を持てる方と一緒にお仕事したいし、イベント内のアクティビティにもちょっと凝る。あと、田舎では「婚活」についてネガティブなイメージが伴いがちだから、明るくてかっこよくて可愛くて、「参加しても恥ずかしくない」イメージづくりも、大事。だから、そういう人選をする。声をおかけして、企画主旨を説明し、人選の理由を話し、オファーを受けてもらう。箕輪さんのお話では、「多動力」の本を作ろうと発想したこと、「書く人」として堀江さんとはあちゅうさんとイケダハヤトさんが浮かび上がったこと、そこからぽんっときっかけとしての雫を落としてみたこと、そこで立ちどころのレスポンスを得て、結果的に堀江さんになったこと、そういったことが語られていた。ああ、本づくりだとそういう風に線が繋がるんだな、進んでいくんだな、そういう感じなんだな、と分かって、面白かった。

 そういうことが分かると、今度はその裏返しで、お仕事を受ける側はどうやったら受注できるのか、が、見えてくる。つまり、発注者側はどういう人に発注したいのか、ということ。それは端的に言えば、「このテーマとこの人を掛け合わせたら、面白い」ということなんだと思う。そして、発注者は「どの人が面白いのか」は常にウォッチングしているので、受注したい人が取るべき第一戦略としては、「そのテーマ内において面白いこと、ユニークなこと、尖ったこと、突出したこと、をやり続けて発信し続ける」ことなんじゃないだろうか、多分。世間で注目されているテーマにフォーカスする必要もないのだと思う。なぜなら、「思いがけないテーマとテーマを組み合わせて面白さを生む」こともすごく面白かったりするので、(えっ、その分野からのオファーでございますか!?)という人にオファーをかけたりもするからだ。要は、「自分の好きな、やりたいテーマで、輝く」こと。

 だから箕輪さんは、「編集者とお知り合いになってもしょうがない」(第10回。断片的に聴いた)とか、「好きでもないのにコミュニティ運営とかやらなくてもいいと思うけど」(第1回)とか、おっしゃるんじゃないのかな。オファー側はオファーしたいとさえ思えば伝手くらい見つけて辿ってくるし(辿れない相手って、意外といない)、発信する内容で輝いてもいないのにファンだけ作ろうとしてもしょうがないし。本丸に魅力がないのに外堀をいっしょうけんめい埋めて(ドーゾ、攻め込んできて♡)っていう活動だけしても、武将は攻めてこない、というか。かといって、編集者に対してもファンに対しても「輝いてるわたしを拝受せよ」っていう、一見強気のようで弱気な戦略も、一方的な価値の授受を有難がるのは宗教の世界の中だけの話だから、難しいと思う。いずれにせよ、もはや丸抱えだの専属だの終身的に使う使われるだのといった膠着した関係性のお仕事は減っていく未来のような気がするから、これからは、面白いことをしている単体同士が、オファーしたりジョインしたり提供したり得たり、チーム型というかプロジェクト型というか、「一緒にお仕事をする」という関係性でやっていく方向性に、可能性があるんじゃないだろうか。企業活動にしろ、作家にしろ。

 だからわたしは、作家は本業を持っていた方がいいと思う。本業じゃなくてもいいかもしれないけど、とりあえず複業体制でいた方がいいんじゃないだろうか。それも、発注者側に立つお仕事をひとつ持っておくと、いいと思う。受注側に立つ時でも、発注者側の、押さえているポイントだとか、注目している部分だとか、受注者に求めていること求めていないことだとか、意思決定の鍵だとか、そういうことが分かるようになるから。仕事は何でもいいと思う。それこそ編集職だと直結なのかもしれないけど、イベント企画でも、ハンドメイド系のセレクトショップのバイヤーでも、システム開発発注担当でも、何でも。頭さえ使えば、どんな仕事をやっても、汎用性のある能力は、身につくから。あと、発注側のお仕事って、いろいろと裏方的な面倒くさい作業だったり調整だったり根回しだったり含まれているから、「それはわたしのやりたい仕事じゃない!」と思ってしまいがちだけど、そこにフォーカスしてイジェクトしてしまうと、かなり勿体ないと思う。

 と書いてきましたけれども、とりあえずわたしは、まだ、文章執筆系のお仕事の受注はしたことがありません(原稿料の発生するやつは)。それはそうね、そのうち、したい。もう少し準備して、環境を整えて、段階を踏んで。

 そして箕輪さんは、「タイトルを先に考える」とおっしゃっている。常識かもしれないけれど、意外と個人で文章を書いている人は、最後にしちゃったりしていないだろうか。「書いてみて、一番ぴったりなタイトルをつける!」って。でも、箕輪さんがおっしゃるには、タイトルは「作品に関わるいろいろな人たちが、あ、こっちの方向を目指すんだな、と分かってアイディアを出し合える」、料理で言えばその料理の名前なのだそうだ。あっ、そうか。一人で作るんじゃないんだもんな。そりゃあ、イベント企画でいえば、「目的」なり「方針」なり「メインコンセプト」みたいなところがなければメンバー困惑だし、キャッチ―なイベント名が最初からついていた方がみんなの共通認識もできやすい。そういうことなんだね。「わたしは一人で作品書くから!」って思っている人も、もしかすると自分の中に「脳内メンバー」がいるかもしれないから、やっぱりタイトル先は大事かもしれない。

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