自分にOK を出さない気持ちの、根っこの、ところ。

 週末、彼氏のところに2泊3日してきた。花火大会に一緒に行った。楽しいし、怖いことも起こらない。関係は良好。いい感じ。なのになんか、時間の経過につれて落ち着かなくなってくる。1日目はいい。2日目の途中くらいまでは大丈夫。でももっと一緒にいると、そわそわする。不安になる。自分のやることや決断に自信が持てない。自由に振る舞うとダメ出しされるような気がする。ちいさな子どもになったような、心もとない感じ。なんだ、これは。

「抜け出せなくて何度も戻る、心の落とし穴。」を書いた時、

トラウマ時とは違う今の状況(場所は似てるけど暴力がない、など)をしっかり味わい、あ、違うんだ。と納得していくしかない

というコメントをいただいたので、心がけていたのだけれども、元夫とのトラウマ時とは今回は別に似た状況にはない。一緒に働いたりしてないし、長時間車の中に隔絶されたりもしていない。彼氏も怒ってない。

 帰りの車の中で、ずっと考えた。なんだろう、この、自分のやることに自信が持てない感じ。否定されるんじゃないかと不安になる感じ。いわゆる「自己肯定感が低い」というあれだ、多分。でも確かに、若い頃の自己肯定感はすごく低かった覚えがあるけど、もうそれは克服したと思うし、今はむしろ自己肯定感高い方だと感じるし、お仕事とかの決断は迷いなく自力で下すことができる。なんだろう、この、彼氏と一緒にいる時だけ、すごく自信がなくなる感じ。心もとない感じ。

 この、ちいさな子どもになったような心もとない感じ、が引っかかった。付き合い始めの初期から、この感覚には結構覚えがある。まるで、自分が幼い女の子になったような、頼りない感じになるのだ。わたしは年をとっていていろんな経験を経ていて頭がよくてたくさんのことができて決断力があって迷わなくて主体的な大人の女の筈なのに、彼氏と一緒にいると、子どもみたいに不安定な覚束ない気持ちになる。それは勿論、彼氏がわたしより大分年上で、下手したらわたしが彼氏の娘くらいの年代でもおかしくないから、だと思っていたけど。

……親か?と思ったら、不意にちいさい時のことを思い出した。多分、小学校1年生か2年生くらいの時のことだ。夏休みの始まり、あるいは終業式後だったと思う。成績表。こんな成績、持って帰れないなあと思った記憶がする。オール5だったから。持って帰れないなあと思ったということは、それが初めてじゃなかったのかもしれない。なんで持って帰れないのか。ご家庭の揉めごとの原因になるから。おねえちゃんが、泣く。記憶の中では、その時はおねえちゃんがベッドに潜ってしまったような気がする。おとうさんがおねえちゃんを慰めるために言った。おねえちゃんはちょっと成績が振るわないかもしれないけど、やさしいいい子だ。トーコは勉強がよくできるけど、ちょっと人の気持ちを考えないところがある。

 わたしはちいさな頃から頭が良かった。知的好奇心は強いし、いろいろなことに興味を持って手を出す。絵も上手だし、言葉も達者。保育園に入る前、お友達に絵本を広げ、字がまだ読めないから、即興で勝手にお話を作って読み聞かせをしたそうだ。いろんなことがある水準以上にできるから、オール5くらいは平気で取る。勿論、わたしは運動能力はあまり高くなくてスポーツはできないけど、小学校低学年の体育程度、そんなに運動能力が問われるような高度な競技はやらない。

 問題は、それがわたしのネイチャーだったことだ。「ありのまま」とか「素」とかいう日本語より「nature」という英語の方がこの際しっくりくるからこちらを使うけど、要するに、わたしの自然、天然、天性、本質、生まれ持った性質だったということ。無理して身に着けたものではないし、努力して獲得したものでもない。自然にそれができて、それをそのまま発揮しただけのこと。別にひけらかした訳でもないし、それを使って他人をけなしたり貶めたりした訳でもない。けれど、言われた。お前の「頭が良い」というネイチャーは、他人の気持ちを傷つける。

 しかもおとうさんは、「頭がいい」ことと「性格がいい」ことを二項対立のように表現したから、トレードオフのことのように表現したから、わたしはこのふたつの要素を両立できなかった。「頭がいい」ことはわたしのネイチャーだったから、それを手放して「性格がいい」方を獲得することができなかった。わたしは「頭はいいけど性格が悪い」ままで生きるしかなくて、さらにわたしのネイチャーは、そういう人間的な瑕疵を持つものとして、一段低いものにされた。だって、「頭がいい」より「性格がいい」方が、人間としていいに決まってるから。ずっと、「頭はいいけど人間性に欠陥がある」というのが、わたしの自己イメージだった。

 でも、わたしのネイチャーが傷つけたのは、誰だったのだろう?

 ずっと、それはおねえちゃんだと思っていた。でも、成績がいい方が優れている、という価値観を、おねえちゃんはどこから獲得したのだったろう?そして、その価値観に沿って、わたしをおねえちゃんの上に置いたのは、誰だったのだろう?そして、そのことでわたしがおねえちゃんを傷つけたという構図を作ったのは、誰だったのだろう?

 もしかして、わたしのネイチャーが傷つけていたのは、おとうさんだったんじゃないか?

 おとうさんは本当は大学に行って、考古学を勉強したかった。でも5人きょうだいの長男で、おじいちゃんが封建的なタイプでさらに仕事が長続きしなかったから、大学に行かずに働くしかなかった。地元から離れることもできなかった。働いて、親を養って、弟や妹の経済援助をして結婚させた。だから、子どもたちは全員大学に行かせた。好きなことをやらせた。わたしはきょうだいの中で抜けて頭が良くて、学校の中でも抜けて頭が良くて、同級生が片手で足る程の数しか大学に進まなかったこの田舎の町で、塾に行くこともなく、市販の教育資材を使うこともなく、するすると旧帝大に入ってしまった。おとうさんの期待の星だった。進路を決める時、考古学をやってくれないか?と言われたことも覚えている。でもおとうさんは、お前は頭は良くても人間としてダメだと言った。聞いてもいない知識の断片を注いでくるのに、本当に聞きたい突っ込んだ高次の知識は与えてくれなかった。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。知らないことを聞くのは、まったく恥ずかしいことではない」といつも言うのに、何か質問をすると、「えっ、そんなことも知らないの!?」と大袈裟に驚いて見せた。

 母娘関係の本で、「push & pull」という言葉を知った。矛盾するふたつのメッセージを同時に発すること。母との関係に問題を抱える娘の母が、往々にして発する、「わたしを越えなさい、でも、わたしを越えてはダメよ」というメッセージ。例えば、「自立しなさい、でも、わたしを頼らなくてはダメ」とか、「わたしのような主婦でなく働く女になりなさい、でも、わたしのように夫や子どもを支えなければダメ」とかいう、背中を押して同時に足を引っ張る、明示的でないメッセージ。わたしに向かって「push & pull」を発していたのは、おとうさんだったのではないか?「俺のできなかった、勉強する道を進め。でも、俺より賢くなるな」。おとうさんはおそらく、わたしの頭の良さが、知識欲が、向かおうとしている先が、自分のカバーできる範疇を越えていることを感じていた。だからわたしがその兆候を示すと、必ず足を引っ張った。「俺を越えるな」。わたしが傷つけていたものは、おとうさんの「賢くあれ、ただし俺以下であれ」という願望、もしくはプライドだったのではないか?

 結婚前、一時期地元に戻っていた時に、塾を自営したことがある。体を壊して、結婚する気配もなくて、勤めも難しいだろうから、一生家でできる仕事をした方がいいと判断したおとうさんに勧められたからだ。でも、すごく向いてなくて、辛くて、1年しかやらなかったし、もう二度とやる気はない。離婚して実家に戻って、お金もなくて、仕事を見つけなければならなかった時、おとうさんは、まだできる目途も立っていない町の資料館の学芸員職を勧めた。一笑に付してハローワークに行った。でも、本当は、そういう仕事をしたかったのは、そういう教養職というかインテリ職というか「先生」と呼ばれる立場になりたかったのは、わたしじゃなくておとうさんじゃなかったのか?そういう立場にある娘にアドバイスを与える位置に就きたかったのは、おとうさんじゃなかったのか?

 母娘関係の本を読んでもぴんとこない訳が分かった。父娘関係だったし、わたしはジェンダーの葛藤を抱えなかったし、ジェンダー化教育を経ていなかったからだ。わたしは女の子として女の子化される教育を受けなかった。望む人生を生きられなかったストーリーを語るのは、わたしの場合はおかあさんではなくおとうさんだった。わたしは母の人生をやり直す娘として期待されたのではなく、父の人生をやり直す娘として期待された。そして、本当はそうありたかった存在として嫉妬を向けられたのも、父の方だった。

 正直、そこなのかよ、と思った。そこまで戻るのは嫌だ、しんどい、と思った。遠すぎるし、深すぎる。戻っていきたくない。でも、そこを根源と考えると、いろいろ説明がつく。元夫のことは最近のことだし、分かりやすいし、考えるのも簡単だ。でも、結婚前も含めてたかだか3年しか関係のなかった存在が、そこまで影響するものなのかな、という疑問もあった。あと、ずっと不思議に思っていたのは、結婚を経て鬱が治ったことだ。離婚がきっかけじゃない。なんで暴力を受けて鬱が治るのかな、どうしてだろう、戸塚ヨットスクールみたいな、いわゆる矯正施設みたいなものだったのかしら、と、離婚直後から不思議だった。多分、結婚でいろいろなことがリセットされたような気がしていたのは、それを経て、父の娘、というものを終わらせたからだったのだろう。

 父の娘、であった時、わたしの自己肯定感は低かった。なぜなら、「頭が良いこと」を自分の価値として設定されつつ、それを自分のネイチャーとして全開に発揮することは、「人間性に劣ること」として許されなかったから。無加工の無作為のネイチャーが肯定されることがなかったから。今、わたしの自己肯定感が高いのは、それを終わらせたから。そして、もう、自分が様々な点で父を越えたことを分かっているから。父とわたしの力関係が逆転したから。現在の父との間には、わたしは問題を抱えていない。問題を抱えているのは、過去の、ちいさかったわたしとおとうさんの間なのだ。

 だから、彼氏との関係の中で、それが甦る。年の離れた彼氏と一緒にいて、ちいさな女の子に戻ったような気持ちになる時、自分のネイチャーへの信頼が揺らいで、ひどく頼りない気分になる。覚束ない気分になる。心もとない気分になる。そのままであることが、許されないような気分になる。多分、それが正解だ。あなたのセックスにしか愛情を信じられない、と思ってしまう理由も分かった。だって、おとうさんとセックスしたことないもん。だから、セックスする時は、おとうさんとの関係を繰り返すことがないんだもん。そう思い至ったら、超泣けた。

 でも、彼氏はおとうさんじゃないから、どんなに彼氏と一緒にいてちいさな女の子のような気持ちになったとしても、過去の関係と気持ちを繰り返す必要はないのだ。彼氏はおとうさんじゃないんだから。

 皮を剥いで皮を剥いで掘り下げていって、根っこのところにおとうさんがいるのを見た時、すごく驚き、そして気持ち悪い気がした。勉強することを奨励してくれて大学へ行かせてくれて、アカデミックな話もできる人、と思っていたおとうさんが、わたしに「俺を越えるな」という pull メッセージを発し続けていたことに、わたしは長いことずっと気づかなかった。おかあさんはおかあさんで、「大袈裟だ」という一言で、わたしが自分の感覚を信じることを阻害して、物事の我慢限度基準を失わせた人ではあるけれど、おとうさんもおかあさんも、どちらもいわゆる毒親ではない。普通の一般的な親だ。だから、子どもって本当に柔軟な可塑性を持っていて、ほんのちょっとした一手で、きゅっと形作られてしまうんだな、と思う。ろくろを回していて、ちょっと触れそこなっただけで、大きく形が変わってしまうような。

 あと、この稿では、何の注釈もつけずに「頭が良い」という表現を使ったけれども、この表現にいろいろな意味や劣等感ややっかみを付与せずに、「知的好奇心が強く、勉強に興味と意欲と関心があって苦にならず、その方面での能力も高い」くらいの意味に受け取っていて欲しい。というか、こういう断り書きをするのも嬉しくはない。日本では、特に学齢期の「頭の良さ」評価軸が飛び抜けているあまりに、「優れすぎるな」教育が横行しているような気がする。勿論「劣りすぎる」のもダメで、わたしたちは一様に「ほどほどに優れている」状態でなければならない。日本では突出するものは叩かれる。教師でさえ、叩く。彼らは、自分で点数をつけ、成績を与え、わたしたちを評価のものさしの上に並べながら、同時に、お前たちはできない者の、弱者の敵であると、優れすぎる者たちを叩くのだ。しかし、優れていることは誰かを傷つけるのだろうか?そしてまた、欠陥や弱点を併せ持つことは、その優れた点を帳消しにし、薄めるのだろうか?そうではないのだと思う。わたしたちを傷つけるのは、単一のものさしで直線状に並べて優劣をつける、その評価の手であって、ただ、たくさんの、いろいろな基準の、ものさしを使えばいいだけだと思うのだ。そのたくさんのものさしの上で、わたしたちは、あるところでは飛び抜け、あるところでは埋もれる。ものさし間に優劣はない。わたしたちはみんな、どんどんそれぞれで飛び抜ければいいのだ。自分のネイチャーのままに。おねえちゃんは結局、芸術と教育の方面に力を伸ばしていったし、わたしはそっちじゃなかった。そうなのだから。

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