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数字を使って説明したり説得したりする行為は、ときに詭弁を弄している場合がある。騙されるな、数字のトリックに。『デタラメだもの』

人に何かを説明したり説得したりするとき、数字を用いると分かりやすいよ、伝わりやすいよといった定説がある。とどのつまり、「この道を真っ直ぐピャーッと走ったら、あっちゅう間に着きますねん!」という感覚に頼った説明よりも、「この道を真っ直ぐ3分ほど進むと到着しますよ」と、クレバーに数字を交えて説明したほうが伝わりやすいよね、という話だ。

とは言え、数字を駆使して説明したり説得したりする行為は、ときに詭弁を弄しているように思えて仕方がない。例えば多数決なんかが分かりやすい例だろう。

100人に好きか嫌いかを問う、人気投票のアンケートを実施したとしよう。51人が好きと答え、49人が嫌いと答えた。過半数が好きと答えればオーディションに合格という条件だった場合、見事、合格だ。華々しく芸能界にでもデビューできるのかもしれない。

しかしだ。ちょっと待ってくれ。過半数は好きと答えたかもしれないが、49人には嫌われているんだぞ。嫌いと答えた人が49人もいるんだぞ。それほどまでに嫌いと答えた人が多い状況、素直に喜べるのか? 49人が好きと答え51人が嫌いと答えたアンケート結果によって不合格になってしまったライバルと、ほとんど差がないわけだ。この状況、いったいどうしてくれるんだ。

十万人に1人の割合だから大丈夫、などと諭されることにも違和感を覚えてしまう。仮に、とてつもなく美味だけれど、人によっては食中毒を起こす食材があったとしよう。「大丈夫! 食中毒を起こす確率は、十万人に1人の割合だから、食べちゃおうよ!」などと背中を押される。

考えてもみて欲しい。十万人が一堂に会し、一斉にその食材を食べるイベントを実施したとしよう。「それでは、一斉に食べてくださーい!」という司会者の合図のもと、全員が同時にそれを食べる。咀嚼する。そして、完食する。すると、そのうちのひとりが確実に、「ウッ……」と言って腹を押さえ、悶絶を始めるわけだ。十万人に1人の割合と聞けば可能性は低く感じるかもしれないが、自分に白羽の矢が立つ可能性は、等しく全員が持っている。これのどこに安心できる要素があるってんだ。

効果効能を謳う際に用いられる、「一部の人は効果が得られない場合があります」といったフレーズ。一部の人っていうのは、いったいどこの誰のことだ? 仮に全員に等しく効果が現れなかったとしても、各人それぞれは「そうか……俺って、一部の人間だったんだ。しょんぼし」と泣き寝入りするしかないわけだ。そんな卑怯なことってあるかい。ぷんすか。

「私が代表を務めるようになってから、得票率は1.1%もアップしました!」と聞くと、なるほど、すげーじゃん、と思うかもしれない。が、このコメントが伝えている事実は、数字がアップしたという事実に過ぎない。それは紛れもない事実だ。ただし、1.1%のアップという伸び率が、すごいかどうかはまた別の話。捉え方によっては、「たった1.1%しかアップしなかった」と考えてもいいわけだ。ほうら詭弁だ。危うくなってきたぜ。

ビジネスの世界では、こういった詭弁が横行している。自社の貢献を他社に示す際。自身の頑張りを上席に示す際。とかく、事実を伝えるためだけの数字というものに、ギラギラした衣装を着せてみたり、魅惑的な下着を穿かせてみたりと、とにかくみんな必死なわけだ。

「基本的に我が社のソリューションを導入いただければ、一般的なケースで2.4%の改善が見込めます。もちろん各社、条件によって改善の数値は異なりますが、98%のクライアントは満足できたというお声も頂戴しております。導入後、早ければ2週間後、遅くとも3ヶ月後には数値改善の効果が現れます。過半数を占めるおよそ60%の企業が、2週間程度で効果が現れたと回答いたしております──」などなど云々かんぬん。

さぁて、紐解いてみようか。まず、冒頭の基本的にという言葉。基本以外の状況、すなわちイレギュラーな状況は果たして起こりうるのか? イレギュラーな状況になった場合、このソリューションは効果を発揮しないのか? 説明願いたい。
一般的なケースというのも同様。例外のケースはどれくらいの確率で起こるのか? 10社の企業が導入した場合、例外のケースはどの程度の割合で発生するのか説明願いたい。

2.4%の改善が大きいか小さいかは、他の指標と複合的に考えれば判断がつくので良しとしよう。ただしその後の、「条件によっては」が気になる。どういった条件の際に、改善数値が落ち込んでしまうのだろうか。その説明がない。

そして、98%のクライアントは満足しているかもしれないが、残りの2%の企業は満足しなかったという事実が出ている。なぜ満足しなかったのかが気になるところだ。何をもって満足とするのか、アンケートの設問がどういった内容だったのかも気になるところ。

効果が出るスピードも気になる。40%近い企業は、2週間では効果が確認できず、3ヶ月という遅々としたスピードで効果が現れたのかもしれない。それは褒められるべきものなのかどうか、判断がつかない。

と、このように、数字をツラツラと並べられると説得力があるようでいて、実は、印象を操作されているケースもあるということだ。気をつけなければならない。ついつい超高額な壺や絵画を、言われるがまま購入してしまうタイプの人は特に気をつけたほうがいい。あとは、ついつい言われるがまま、知人の借金の保証人になってしまいがちな人も同様。

しかし、数字のトリックなど通用しない猛者が世の中にはいる。それは、女性だ。世間一般の女性は、男が詭弁を弄しようが振りかざそうが、ビクともしない。

仮に、休みの日にゴロゴロダラダラと過ごしている亭主がいたとしよう。横になりながらテレビを見て、ブーッと屁をこいた刹那、妻は言う。「トドみたいにゴロゴロしてないで、家事でも手伝ってよ!」と。
ここで亭主が数字の刀で斬りかかろうとする。「世間の亭主の89%近くは、休みの日はゴロゴロダラダラ過ごしてるらしいぜ。だから俺は世間の亭主と同じなんだ。責められる筋合いはない」と。すると妻。「世間は世間、ウチはウチ。さっさとテレビ消して、掃除機あててちょうだい!」。ほうら、数字なんて通用しない。

「あんなの浮気のうちに入らないって。だってテレビのアンケートでも、二人で食事に行くくらいなら浮気に入らないって、世間の女性たちも言ってるぜ」と、異性との疑わしい行為を弁明している男性がいるとしよう。「あなたが付き合ってるのは、アンケートに答えた女性じゃないでしょ。この私と付き合ってるんでしょ。私が浮気って言ってるんだから、アレは浮気なの」ということになる。

なるほど。感情はときに理屈を押さえつけるというわけだな。そういえば、冷静に「安心してください。80%の確率で成功しますから」と背中を押されるより、「絶対に大丈夫だ! 君ならやれる! 絶対にやれる!」と、凄まじい熱量で背中を押されたほうが、説得力を感じるケースもあるわな。なるほどな。感情か。

ということに気づき、絶対にやれると信じながら念じながら小説のコンテストに応募してみた。成功は確率なんかじゃない。信じ抜く力が成功を引き寄せるんだ。そんな思いで投稿した作品は、大賞を獲るどころか、佳作にも選ばれなかった。入選作品のリストを3度ほど確認したが、どこにも名前は記載されていない。きっと、入選する確率は49%だったんだろうなぁ。半数を下回ってたんじゃ仕方がない。諦めるとするか。

デタラメだもの。

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