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レコード、CDとカセット、そして写真と手紙

今回のテーマ: 断捨離
by  萩原久代

モノに執着せず、必要品と最低限の嗜好品で満足する性格だと自分で思っている。いらない物は捨てる即決主義。それで、断捨離には関心を寄せてなかった。

しかし、ニューヨークに引っ越した時に実家の自分の部屋に置きざりにしたモノがあることを忘れていた。高齢の母親が老人ホームに入り、実家の整理という課題が視野にはいってきたからだ。部屋は1990年代で時間が止まっているタイムカプセルである。ニューヨークに持って行かず、もう30年触っていないモノ達がある。今更ニューヨークに持って行くつもりはないので、やはり処分しかない。

でも処分をためらうモノがある。その筆頭が古いレコード、カセットとCDだ。ほとんどが大学時代に聞いた青春時代の音楽だ。今となっては日常的に聞いて楽しむ代物でない。懐かしいが、今さらニューヨークに持って行く意味はない。それに、もうレコードプレーヤーもないし、古いラジカセも処分してしまった。
 
友人によると、レコードとCDは下取り買取業者に相談すべしという。メリカリやイーベイで売る方法もあるとアドバイスしてくれた。うーん、面倒くさい。一方、カセットテープは売れないから可燃ゴミの日に出して捨てるしかない。実家のある自治体に聞いたら、レコードとCDも可燃ゴミで処分する規則だという。

今年の春、勇気を奮って、高校・大学の時に聞いていたロック音楽のカセットテープを可燃ゴミ収集日に出した。でも、友人が作ってくれた音楽テープや、思い入れのあった曲のテープはまだ処分できないでいる。持っている意味はないとわかっていても捨てられなかった。次の来日の機会に持ち越しだ。

さらに、処分に悩むモノに写真と写真アルバムがある。可燃ゴミ処分の対象だが、生ゴミなどと一緒に家族写真を焼かれると思うと切ない。他界したお婆ちゃんや叔父さん達、そして父。。。彼らの生きていた証のような写真を私の手で処分するわけか。胸が痛む。譲る人がいないから処分するしかないが、決断できないでいる。今年はひとまず部屋の片隅に置いておくことにした。

そういえば、フランスの蚤の市で、古い写真とアルバムが売られているのを目にしたことがある。1930~40年代くらいの白黒写真が多い。写真館で撮ったポートレート写真や、家族アルバムにあったと思われる写真が売られていた。写真に写っている子供が高齢で世を去り、子孫がいないで処理されたか、はたまた子孫がこんなのいらな~いと処分したのか。なんか寂しいなあと思っていた。

パリの蚤の市で売られる写真や絵葉書など

思い出いっぱいの一部の写真だけはデジタル化して保存することにした。が、写真とアルバムそのものはやはり処分しかない。みんなどうしてるのだろう。

そして、もう一つまだ捨てられないモノ、古い手紙類だ。古い年賀状は決心して捨てたが、若い頃の友人からの手紙はどうしよう。つい読み返してしまって整理に時間だけ使ったが、その多くを可燃ゴミ袋に入れられなかった。これも、次回の来日時までに決断せねばならない。

母はホームに入る前、古い写真と手紙類などを可燃ゴミ袋に詰めていた。一度目撃したことがあった。彼女は潔かった。「もう皆んな死んじゃったからね」とぼそりと呟いた。

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萩原久代
ニューヨーク市で1990年から2年間大学院に通い、1995年からマンハッタンに住む。長いサラリーマン生活を経て、調査や翻訳分野の仕事を中心にのんびりと自由業を続けている。2010年からニューヨークを本拠にしながらも、冬は暖かい香港、夏は涼しい欧州で過ごす渡り鳥の生活をしている。

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