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夏の湯治⑫【新潟~群馬 五十沢温泉と法師温泉】

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 魚沼を出発し、群馬方面へと南下。名山八海山を過ぎ六日町のほど近くにひっそりと湧く源泉宿に立ち寄った。

 遠刈田温泉(とおがった)、鹿教湯(かけゆ)、越前厨(えちぜんくりあ)、大歩危(おおぼけ)温泉などと肩を並べる難読温泉、「五十沢(いかざわ)温泉 ゆもとかん」へ。
地元の新潟出身の方でもこの読み方を知る人は少ないようだ。
 
 こちらはまだ歴史は浅く、開湯およそ50年前。消雪用の井戸を掘っていたところ予期せぬ形で源泉を当てたそうだ。
 到着してすぐ前訪の際からの変化に気付く。駐車場にコインランドリーが新築されている。こんなところで儲かるのかな、、と老婆心。連泊者からの要望が多かったからだろうか。
 宿を出た後に知ったのだが、旧館は現在でも3千円台で自炊湯治が出来るそうだ。ボロい、安いと聞くと無性に泊まりたくなる。

 館内には相変わらず大量のタレントのサインが。広い旅館なので講演などで訪れたのだろうか。受付をするとこの時間は岩風呂しか入れないとのこと。約2年振りのダイブへ。

 混浴の岩風呂(岩で男女スペース仕切りあり)は、なかなかのドバドバ系。硫黄臭含むアルカリ性源泉はすべすべ感あり。前回は激熱の印象だったが今回は適温、1時間程の滞在でジワジワと効かせる。難読漢字に名湯多し。


 ここから更に南下すると越後湯沢を過ぎ、三国峠を越え群馬県へ。
宿泊は「法師温泉 長寿館」。創業140年を誇り、言わずと知れた国指定の登録有形文化財の宿。その名を知らなくても、一度はポスターやメディアを通して目に触れたことがあるはずだ。
 
 この伝統的な建築物の雰囲気を損なわないよう、新築部分も敢えて近代的な造りにはせず、本館と同じような造りで増築したという。この拘りは、ここ長寿館館主に受け継がれているDNAなのだろう。

 初代岡村貢氏は明治中期に、現在の上越線にあたる区間に鉄道を通そうと会社を設立したそうだ。「上越線の父」とも呼ばれたそうな。国家レベル興行に私財を投じるあたり、かなりの好事家だったのかもしれない(結局断念してしまう)。
 
 その後、スキー場開発やダム開発の話が持ち上がるも、代々長寿館の湯守が反対の先頭に立ち退けているそうだ。ここへ繋がる一本道は見事に静寂に包まれている。

 またこの宿は、日本秘湯を守る会発足時のメンバーかつ初代会長。現在も秘湯界のトップに君臨する宿、再訪に期待が高まる。
 3年以上にわたり、秘湯の会のスタンプを貯めていた母のたっての願いで、ここをラストダイブに決めていた(10個スタンプをもらうとその中から1泊無料で招待を受けることができる)。

 
 この宿の「法師乃湯」では希少な足元湧出泉。湯巡りを始めた当初は、憧れの湯にと何度も日帰りでお世話になった。だが、徐々に足は遠のいていった。
 他の混浴宿と同様に頭を抱える「ワニ(※覗き)問題」が原因だった。
法的に混浴は新設が出来ず減る一方。残された混浴を追い、輩は集中する。ここに来るたびに利用者のマナーが悪化していることを顕著に感じていた。

 一昨年前のこと、会社の仲間を連れ10時半(オープン時間)に到着した。そこには長蛇の列が。既に30人程が並んでいる。純粋に湯を楽しんでいる方も多いとは思うが、先頭集団は決まって浴槽の一番奥へ。ここの湯は奥に行くほど温い。
 ペットボトルを片手に女性をジロジロ見る姿は見るに絶えず、30分程で退湯してしまった。
 このころの「法師乃湯」は土日は常に芋の子を洗う状態。とても治療に向く温泉とは言えなかった。

 だが疫病拡大の影響を受け、日帰りも暫く休み、現在は完全予約制になったそうだ。湯は人が入るほど当然汚れる、今回はフレッシュな源泉をいただけそうだ。追い打ちをかけるように悪天候が続いたためか、珍しくこの日は宿泊客がほとんどいない。奇跡的に法師乃湯をわずか数分だったが、独泉に成功した。

 足元からポコポコと上がる気泡に感動。見事オーバーフローを誰にも邪魔されず拝見した。この宿はやはり宿泊で行くところなのだろう。

 翌朝、母を連れ道の駅へ。その後上毛高原駅まで送りここで別れる。だがここからが湯治は本番。一時的かもしれないが、パニック障害やPTSDの症状はこの1ヵ月半は抑え込んでいる。上州温湯ゾーンに入り、仕上げへ。


                           令和3年6月27日

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