晩秋の上州を、格安宿で巡る①【紅葉の老神温泉へ】
本旅も、思い立ったのは数日前。
毎週続いていた大学病院での検査と治療。筋肉注射の効果もあってか白血球や鉄異常などの採血結果も安定してきていた。持病の低白血球とIgg抗体の異常値は免疫力の弱さを意味する。この一年半、人一倍疫病の感染には気を付けなければならなかった。
遂に東京でのコロナ感染者数も一桁台に乗り、病症も鑑みた上で勤務先への出社も医師より容認された。勿論、病が完治した訳ではないが。
10月下旬。約一年振りに都内の事務所へ出向いた。闘病という事情があったにせよ、席を残してくれた会社の高配に深謝。
くれぐれも無理をしないようにと上席。引き続きの可能な範囲での出社、そしてフレックスタイム制と遠隔地での勤務も認可された。当然、成果を出すことが条件だ。
数年前では考えられなかった勤務形態。怪我の功名、私の勤め先においてもこの1年で働き方改革が急速に進み、介護や持病を持つ者が随分救われる形となった。まさかその恩恵を自分が受けることになるとは存外だった。
上司がワーケーションを容認してくれたのには、やはり「線維筋痛症」という診断を下したリウマチ膠原科の主治医の後ろ盾が大きい。
大学の教授でもある先生の治療報告書には「温泉療法を指示する」、と記されている。フランスでは罹患者への温泉療法は広く推奨されており、保険も適用されるそうだ。
適正や業種によるだろうが、家で出来る作業は今やどこの温泉地でも出来る(一部の秘湯を除く)。仕事と治療と湯治、研鑽の日々はこれからも続きそうだ。
通勤を再開して数日。やはり恐れていた全身痛は再発してしまう。
一定時間同じ姿勢でPC作業をしていると、背中にまず痛みが出る。やがて全身に広がり、指の動きも悪くなり始めた。
肘から下は血が通っていないかのように冷たくなり、ペットボトルに温水を入れ手を暖める。時折トイレに立とうものなら初代アシモのように社内を徘徊。流石に同僚にも笑われた(気を遣われるより余程楽だった)。
脊柱起立筋が凝固し始めると睡眠にも大きく影響があり、導入剤もほとんど効かなくなってしまう。鍼治療などで急場を凌ぐことは出来るが、根本治療にはならない。
私のとってベストな労働環境は、やはり痛みが出た時にすぐに源泉に浸かれる湯治場であることは間違いない。
ガチガチに固まった関節と筋肉を何とかすべく、通院と出勤の調整を付け、少々忙しないが2泊3日で源泉を追った。群馬県東部、尾瀬の入口沼田片品エリアへ。
この一帯で目立つ温泉街と言えば「老神温泉」くらいしかない。だが水上や中之条エリアとも印象の違う美しい空気と水が、無性にこの時期恋しくなるのだ。
いつものように出立直前に旅行予約サイトで宿を探すと、ここ数年見られなかったある現象が、、
「宿がない・・・」
ようやく自粛という呪縛から解放された日本国民。週末の1人を受け入れる宿は極端に少なかった。考えればこれが本来の温泉街の姿。
昨年病臥し、東北甲信越まで足を伸ばし数週間単位の湯治を数回敢行した。元々堅調とは言えなかった温泉業界。私が選ぶ格安の湯治場にはいつもほとんど客がおらず、予約に困ることなどなかった。不謹慎だがある意味私は恵まれていたのかもしれない。
そんな中でも、老神に行くと必ず宿泊する「楽善荘」はいつも通り空いていた。週末とあり千円ほど割高だったが、平日は一泊素泊り四千円台の格安宿。館主も自認する老朽化した母屋だが、私にはこのボロ宿が身の丈に合うようだ。
格安の値段にかけ流しの源泉、ワンコインの朝食も有難い。だがこの旅館の魅力を一つ挙げろと言われれば「女将さん」だ。
各社旅行サイトの口コミでも、そのパワフルな声量とお人柄を絶賛するコメントが散見される。気落ちした際も、この方にお会いすると元気が出る等々。
15時過ぎの到着。もうご主人も女将さんの顔見知りだ。
女将 「いつもありがとう。暫くぶりね」
私 「1年振りです。それにしても、凄い人ですね。」
「老神にこんなに人がいるのは初めて見ました笑」
女将 「今日だけよ、明日からまたからっきし」
「紅葉が綺麗だから、橋のほうに行ってみな」
紅葉シーズンと自粛緩和が相まって、鄙びた老神温泉街への人出は凄かった。
前訪は昨年12月の末、退院しリハビリも兼ねてこの地に来た。
温泉街には人影は全く見当たらず、凍結した路面を歩くのが危険と判断し散歩を諦めるほどだった。それほど誰もいなかった。
片品川に架かる橋梁から渓谷を見渡すと、それは見事な紅葉絶景。激痛のことばかりが胸中にあると、季節の移ろいにも疎くなる。
尾瀬から吹く冷たい空気を鼻から吸い、ゆっくりと息吹を吐き出すと心胸までも洗われるようだ。
旅の始まりを存分に感受し、錆付いた五感を研ぎ澄ますべく、いざ源泉へと向かう。
令和3年11月6日
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