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私と温泉と湯治①【車椅子に乗った日〜老神温泉へ】

 ※この記事はまだ私が線維筋痛症と断定される以前、病に伏せ入院した後に長期で湯治に出た際の記録です。記憶がうっすら残っているうちに、備忘録として残しておきたいと思います。


 体調に異変を感じるようになったのは、今から15年ほど前のことです。常に体のどこかが痛い、立っていれば踵が痛い、椅子に座っていれば背中に激痛が走ります。

 会社員になり外回りの営業マンだった私は、昼休みの間に針治療をしたり、外科やら内科やらあらゆる病院に罹りました。「体が痛いから」と言って会社を休むことは出来ません。何故こんなに体が痛いのか、早く病名を知りたかったのです。

 ですがどこに行っても「特に何もない」と診断されてしまいます。線維筋痛症患者のほぼ全員が経験する“たらい回し”をご多分に漏れず喰らっていました。

 「いつか必ず壊れる」という恐怖と戦いながら、仕事には穴を空けず働きました。30歳を超えた頃、とうとう体が全く動かなくなってしまいます。

 ベッドから上肢を起こすことすらできません。為す術なく、埼玉県内の大学病院に運ばれます。独歩ができないので、院内で車椅子生活が始まりました。点滴を打ちながら、全身を検査をしますが、予想通りの結論となります。「原因不明」です。

 この大学病院においても線維筋痛症は断定できないと総合内科の主治医に告げられます。退院し通院に切り替えてからも、病状を哀訴しますが「何もない」の一点張りです。

 のちに転院した先の院長から知らされた話ですが、埼玉県内で線維筋痛症を断定できる医師はほとんどおらず、私を診断したクリニックも新規の患者を2年間断っていました。私が2年振りの線維筋痛症患者となりました。医師からしても相当厄介な病なのでしょう。

 大学病院を退院した私の心は凄絶なまでに厭世的になっていました。
会社の上司と人事部に辛うじて電話ができました。この時、10年間ほとんど使っていなかった有給と、ストック休暇(病気や介護の際に行使できる)が合わせて80日近くあることを知ります。

 上司からは、とりあえず「全部使っていいからとにかく休め」と言われました。この時点で、「休んでもどうせ治らない」と考えていた私は、とりあえず多少身体の痛みが少し落ち着いたら温泉に行こう思いました。

 人間到る処青山あり。唯一と言える趣味であった湯巡り、放蕩生活の途中でどこかに消えてしまおうかと思っていたほど、長期にわたって傷めた体のダメージは大きかったのです。
 
 それまでの私は温泉にたくさん入れば病が治ると信じていました。とても愚かでした。この旅をきっかけに、私と温泉の関わり方は大きな転換を迎えます。


 晩秋の頃、運転が辛うじて出来るようになり、私は群馬県老神温泉に行きました。泊まったのはこの地で毎回投宿していた「楽善荘」です。お世辞にも綺麗な宿とは言えません。鉄筋コンクリート造、いまだに部屋に灰皿が置いてあり、何とも言えない金気匂とタバコの染み付いた匂いが漂います。

 風呂は2階に内湯があるだけです。ここも鉄筋の匂いなのか源泉の香りなのか区別が付かない微妙な匂いがします。先日温泉に明るい親しきフォロワーさんに「あれは源泉の匂い」と教えていただきました。
 常に旅行鞄の中に温泉本を数冊忍ばせているほどの方です。おそらく間違いないと思います。理由は「隣の宿の風呂も同じ匂いがする」からだそうです。
 
 この宿の自慢は声の大きな女将さんと、500円朝食で出てくる舞茸ご飯です。半年に一度くらいのペースで投宿していましたが、いまだに声のボリュームに慣れず最初は驚かされます。

 いつものように食事処で舞茸ご飯を食べた時、「舞茸の味がする」と思いました。この頃は何を食べても味がせず、毎日おにぎりを咀嚼するだけの生活だったのです。なぜか涙がポロポロ出てきました。

 
 源泉にしても部屋にしても、多くの方は他の宿の方が魅力的に映ると思います。ですがなぜかこのボロい宿は中毒性があり、私は「老神温泉に行こうかな」と思うと必ず楽善荘を予約してしまいます。

つづく
                          令和4年10月11日

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老神温泉街 紅葉の時期
楽善荘の内湯 独特な源泉の香りがします
反射で良く見えませんが昔の老神温泉
館内のロビーに掛かっている写真を撮りました
今も面影はありますね 
涙の舞茸ご飯(500円) これは美味しいです
多分またここに行ってしまいます

<次回はこちら>

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