私と温泉と湯治②【ゆじゅく金田屋〜沢渡温泉】
<※前回はこちら>
老神温泉に2泊した後、みなかみ町にある湯宿温泉に行きました。この旅は行程も何も決めておらず、出たとこ勝負で当日又は前日に楽天トラベルやじゃらんで宿を取るという具合です。
湯宿温泉は私に湯治というヒントをくれた最初の温泉地です。
「金田屋」は玄関に「旅人宿」という彫り物が掲げられており、旧来から一人旅を歓迎してくれる御宿でした。私が今まで一番通ったお宿でもあります(滞在日数は他のお宿が多いです)。
温泉にハマり始めた頃、今ほど一人客を受け入れてくれる宿は少なかったです。食事処でカップルや団体客に囲まれての一人旅ほど虚しいものはありません。
蛇の道に蛇でこちらは私同様、一人旅の客が多いです。居心地がよく多くのシングル達が定宿にしていったことと思います。
この宿には「湯治ノート」が置いてあります。宿泊客が自由に湯治の記録を残していきます。いつも湯上りにフロント横の待合に座り、汗が引くまでパラパラと捲って読んでいました。
中には白血病の末期症状の方の記録があります。徐々に回復する様子が綴られていて、今も見ることが出来ます。
一人旅、そして連泊。観光も湯巡りもせずに、宿の中と石畳の小さな温泉街で静かに過ごす。7~8年くらい前のことですが、初めて経験した「湯治」と言えます。
隣県でもある群馬県。今でも群馬で一番好きな温泉街を問われると「湯宿」と答えます。続いて沢渡温泉、四万温泉の順です。
いつもは該博なご主人と交流を楽しみますが、この時はほとんど会話をしませんでした。食事も一日一食、すぐ近くの「やまいち屋」でもりそばやかけそばをいただきました。
私の身体は最重量の時は80キロ近くありましたが、この頃61キロまで体重が下がっていました。会社の同僚からも「瘦せすぎ」と声をかけられることも多かったです。
今はやまいち屋に行くと、女将さんは私のことを覚えていてくれます。
最初に「前にもいらっしゃいましたよね?」と言われたのは5回くらい再訪した頃です。
確かここの女将さんは金田屋さんの御主人と同年代。75歳を超えているはずです。私が行く御宿の経営者や温泉街の飲食店のママはご高齢の場合が多いです。「どうせ私のことなんか覚えてないだろうな、」と思い受付をすると、意外と記憶されていることが多いです。
予約サイトの管理画面で再訪か否かの情報は取れるかと思います。ですがその時会話をした内容を正確に記憶している大女将なども結構います。やはりリタイヤせず、頭を動かしている方がボケないのでしょうか。
蕎麦屋でそんなに店主と会話をすることもありませんので、たまに行くやまいち屋さんの女将が私の顔を覚えていた時は本当に驚きました。
湯宿温泉を出た後、草津温泉で2泊しています。記憶が曖昧ですが、恐らく私は途中「沢渡温泉共同浴場」に寄っていると思います。
こちらも大変気に入っている場所。運転の体力を勘案し、この辺りで一度身体を休めたはずです。この頃は1時間に一度は必ず休憩、立ち寄り湯があれば湯に浸かって身体を温めていました。
草津の仕上げ湯と言われる沢渡温泉。若山牧水も立ち寄ったとされる「龍鳴館」は、私にとっても思い出深い御宿です。
この旅を終えた半年後、私はこちらの御宿で5日間ほどテレワークを行いました。入口すぐのフロントの横に、カフェ&バーの様なスペースがあり、この場所を使用させてもらいました。
部屋で座卓では身体に痛みが出てしまいます。昼間は私と女将さんしか館内に居ません。テーブル席で資料作成などの仕事を毎日していました。時折来客がありました。
この頃疫病拡大の影響もあり、隣の「沢渡共同浴場」は町民以外はお断り、その隣の「まるほん旅館」も日帰りは休止中でした。諦めきれない客の流れ弾が龍鳴館にやってくるのです。
御宿の10時~15時はお忙しいです。部屋の掃除に食事の仕込み、平日は女将さんがほぼ一人でこなすので、帳場にはいません。ここは私の出番です。丹前を着て頭にタオルを巻き、「すいませーん」と聞こえると、玄関へヨロヨロと向かいました。
「申し訳ございません、今は日帰りはやっていなくて、」とお断り申し上げました。一日数組捌いていました。
何が面白いか分からないという人も多いと思いますが、温泉ファンであれば一度は旅館で働くことに憧れを抱きます。家族経営で小さくて、勿論自分の好きな御宿。
「龍鳴館」もちょっと年季が入っていて、床がギシギシしたりしますが、誰が何といおうと素晴らしい御宿です。かけがえのない思い出が詰まっているのです。
話がそれましたが、ここで暫し休憩をした後、草津へと向って行きました。
つづく
令和4年10月12日
<次回はこちら>
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