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まいにちの 暮らしのなかに 在る言葉


あまりにありふれた言葉なので
ふだんは
深く考えず使っているものの、

よくよく見つめてみると
その言葉の持つやさしさに
はっとすることがあります。

**


急ぎの用事のために、私は
小走りでアパートの廊下を渡り、
階段へ向かいました。

低いヒールをカツカツカツと鳴らすようにして
階段を下り終え、
勢いよく道へ出たときです。
アッ! と思いました。

目の前に、女のひとです。
こちらに向かって来ていたそのひとと
ぶつかりそうになったのです。

そのひとは、いつも、このアパートの
お掃除してくださっている清掃員の方でした。

幸い、すんでところで
ぶつからずに済みましたが
お互い、おどろき顔です。

「すみません!驚かせてしまって」
私があわてて言うと、

「いえいえ、大丈夫ですよ。
  気をつけて、いってらっしゃい」
とやさしい笑顔が返ってきました。

「はい!いってきます」
私は、また、歩きだしました。

先を急ぎながらも、
「いってらっしゃい」という
やさしい声が、まだ
耳に残っています。

実家を離れ、
主人とふたりの生活が始まったものの
気づけば私はいつも見送る係。
こんなふうに言葉をかけてもらったのは
いつ以来のこと、、、
そんなことを考えていました。

怖がりで泣き虫だった、幼いころ。
「いってらっしゃい」と
母の明るい声で送り出されると
そっと背中を押してもらっているような、
すこし勇気が湧いてくるような、
そんな心地がしたものでした。

今思うと
ほんの短いやりとりのなかに
見守ってくれる人がいる安心感を
自然と、感じ取っていたのだと思います。


そしていま、
胸のあたりがぽおっと
なんとなくあたたかなのは
通りがけにもらった、その言葉が
あの頃の記憶と一緒になって
心に作用したからなのだ
と思いました。



本を引いてみると

「行ってきます」というのは、
「行きます(が、必ず帰って)来ます」
という言葉を省略したもの。

「行ってらっしゃい」は、それにこたえて
「行って、(無事に帰って)いらっしゃい」
という言葉を短く言ったものなのだそうです。

小さい頃からあたりまえに使い、耳にしていた
この言葉は
無事と再会を願う、
日本の、やさしいことばなのです。




ひとりで暮らしていたり、
周りに親しいひとが居ないような生活を
送っていたりすると
この言葉は、
遠いものになっているかもしれません。


「いってきます」
「いってらっしゃい」


まいにちの暮らしのなかで
何気なく交わしていた
この言葉を、もっと
大切にしたいと思った出来事でした。




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