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私の近況

ご無沙汰してます。
初めて、私のことを知っている人の目に触れる想定で文章を書いています。
書こうと思った理由には様々あるのですが、とりあえず割愛します。

私は現在、京都大学経営管理大学院観光経営科学コースというところで大学院生をしています。
所属名はえてして長くなりがちですが、要はMBAを取得するためのビジネススクールの中の、観光に特化したコースです。

なんでまたそんなところに、といった経緯を綴ろうと思います。

就活生の葛藤ーありきたりなやつ

そもそもの話は5年前の就活の頃まで遡ります。
業界研究とか業種とか、自分が何をしたいかに月並みに思い悩んでました。
とにかく接客で人と話すことが好きだったし、自分がスーツを着てBtoBでオフィス勤めしてる姿も想像できなかったし、どうしようって感じでした。

そうなるとまあ、自己分析みたいなことをするわけです。
ご存知の方もいると思いますが、大学4年間のほとんどを浅草で人力車のお兄さんとして駆けずり回っていました。
自己分析として振り返ってみれば、自分にあったのはそれくらいのものでした。
「外国人観光客、めっちゃ来るな。」
「よく知らなかったけど日本の文化っておもしろいな。」
「自分のガイドで驚いてくれる瞬間って嬉しかったな。」
私が働いていたのが2018年までなので、まさに東京オリンピックを目前に、空前のインバウンド向け観光ブーム真っ只中なご時世でした。
そんなわけで、漠然と観光業界を考えるようになりました。

衣食住としての「文化」を全部ありのまま感じてもらうなら宿泊施設だな、と思い至り、宿泊業界を志すことになります。
ようやっと今に至る「発心」の部分にたどり着くのですが、大学4年の私は、
「五つ星ラグジュアリー旅館つくろ。」
と思い立ちました。宿泊業からどうしてそうなったかは、長くなるのでまた別の機会にでも書こうと思います。

追記:割愛したところをよりMBA的に書きました。お目通しいただければ光栄です。

ロードマップー雑すぎるプラン

何をしよう、がなんとなく固まったので、次は方法です。
Whatが決まればHowを考えないと行けません。
4年間主に走っていたので、専門知識もへったくれもあったもんじゃありません。
観光はバイト以外で専攻していたわけでもないし、商学、経済学、経営学を学ぼうにも、大学4年の6月では遅すぎます。
確か観光MBAができたのがその頃で、どっかで耳にはしたのですが、「実務経験3年以上必須」とあったためそれも選択肢にはなり得ませんでした。
私が安直に考えたのは、
「とりあえずホテルに就職しよう、3年目で東京オリンピックだから、その後覚えてれば観光MBA学ぼう」くらいのまあお粗末なプランでした。

すっとこどっこいホテリエ奮闘記

そんなわけで学部を卒業した私はホテルに就職します。
企業名でご存知の方もいるかもしれませんが、コンプラ云々がセンシティブな時代なので具体名は伏せます。
外資系なので総合職も一般職もありませんでした。
同期は私と同様に4年制の大学を出た人もいれば、専門学校、短大、高卒と様々でした。
私が配属されたのは宿泊部のベル/ドアという部門です。
前提として、ホテルは労働集約的なサービス企業なので、同じ社内でも様々な部門があります。大きく分けるとFOH(Front of House=接客する)とBOH(Back of House=接客しない)の2つ、FOHはさらに宿泊、料飲、宴会、婚礼なんかに分かれ、BOHは人事、経理、営業、広報なんかがあります。
そんなこともよく知らないまま、人事に配属希望をきかれて「どこでもいいです。」と答えたんですが、今思うと本当にベルでよかったです。
私の仕事は主に玄関周りに関わること全てです。
一番イメージしやすいのは荷物持ちだと思います。
「お荷物お預かりいたします。」
と言ってお客様のお荷物をお部屋にお届けしたり、逆にチェックアウトの時にはお部屋からお荷物をお運びするお手伝いをさせていただいたりしていました。
その他、ホテルを家だとすると、玄関口で起きることのほとんどが担当業務になります。
人の出入り、荷物の出入り(宅配便とか)、車の往来、新聞、などなど。
どこぞの国の偉い人たちのご一行が団体で来た時には、人が入りそうなサイズのLouis Vuittonのスーツケースを何ダースも運んだり、宴会場で名の知れた企業の会長様方が会合をするときは、運転手つきの車を正面玄関で誘導したり、著名人有名人がレストランに訪れたり、それはもう非日常の日々でした。
こうして書いてみるとたくさん出てくるのですが、今回はホテルでの日常は割愛します。
そんな日々を送りながら、数年が経ちます。
私も単純なので、数年のうちに「フルコミットしてマネージャーにでもなってやろう」と息巻いておりました。
さて、ご存知の通り、東京オリンピックはパンデミックで一年先送りになります。
私の職場はホテルを閉館し、従業員はほとんど在宅になりました。
BtoCのサービス業にリモートでできる仕事があるわけもなく、3ヶ月ほど何もすることがない日々を過ごしました。
時間が生まれると人はいらんことを考えてしまいがちで、御多分に漏れず私も今一度自身の身の振り方を考えさせられました。
そこでふと思い出すわけです。
「そういや東京オリンピック終わったら観光MBA受けようと思ってたな。」
そう思い出し、東京オリンピックと並行する2021年、院試を受けるに至ります。

限界大学院生のサバイバル戦略-人生最大の苦境

そんなこんなで今に至るわけですが、文量が結構なことになってしまっているので、これもまたの機会に詳しく書こうと思います。
とはいえマジで忙しさがえぐいので、いつになるかはわかりません。


こんな殴り書きみたいな駄文に目を通してもらってありがとうございます。
気がつけばもう26歳、いろんな人に支えられながら、なんとか日々を生き延びています。
マジで、十人十色、人生いろんなストーリーがあるなと思ってまして、皆のいろんな話をどっかで聞いてみたいものです。


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