観光資源のサプライヤーとしての伝統工芸産業と、その供給をインバウンド需要につなげる「流通の場」としての宿泊施設

前回割愛したので、どうして「外国人観光客に日本の魅力を伝える瞬間が楽しい」から「五つ星ラグジュアリー旅館を作ろう」になったかをもう少し記したいと思います。

今、必須科目でマーケティングの授業を受けています。その中で、事業というものは、「誰に(顧客)」「何を(機能)」「どのように(技術)」提供するかによって定義されるといいます。学生の頃の私にとってそれは、「外国人観光客に」「日本の魅力を」「ガイド(話術)で」届けるというものでした。このうち、私は自分の進路を考えるに際し、「外国人観光客に」「日本の魅力を」『どうやって』伝えるのかを考えていたんだと思います。

学部で、"Arts and Lifestyle of Japan seen in Traditional Crafts"という講義を取っていました(ガイドに活かせそうだな、と思ったから)。フィールドワークとしていろんな美術館や博物館を訪れ、伝統工芸と呼ばれるものを目にしたのですが、その中で感じたことがありました。
「インバウンド観光需要のわりに、伝統産業が潤ってる感じしないな。」
「文化を実用から切り離してショーケースにしまってたら死ぬな。」
感覚だったので統計的な検証とかはしませんでしたが、仲見世通りの土産屋でプラスチックの扇子を買って喜ぶ観光客の姿を見て、そう思いました。
需要はあるのに供給と繋がっていないのです(少なくともそう見えました)。国内で普及しないのはわかります。大量生産大量消費が当たり前の世の中では、高額な職人の手仕事の一点ものは価格競争に負けます。そこにどんな技術の粋が散りばめられていても、中にいるローカルの人はその価値に盲目です。江戸時代、海外に輸出する品々の緩衝材として使われていた浮世絵が、海外から評価されて初めてその価値を見出されたように、比較からしか自国の魅力は認識できません。今も、ともすると江戸時代以上に、”クールジャパン”に注目が集まっているのに、本物にお金を使いたい外国人の需要と日本全国の工房の供給が繋がっていないのかもしれません。

「高い伝統工芸品を」「外国人に」売ることができそうだな、というのがすごくざっくりした直感でした。問題は需要と供給が出会う流通の場がないことです。クールジャパンという曖昧な魅力に惹きつけられて日本にやってくる外国人に、いかにして文化としての工芸の魅力を伝えるかが問題です。博物館じゃダメです。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」にもあるように、日本の漆器と蒔絵の美は、真っ白な蛍光管のライトの下ではなく、薄暗い燭台の明かりの下でこそその真価を発揮します。そして、「文化」というのは人々の生活に根ざしたものです。切り取ってジップロックで保存できるようなものではありません。ではどうやったら文化と工芸の魅力をありのまま存分に外国人観光客に伝えることができるでしょう。スポット的には色々な方法があります。工房に訪れて体験型アクティビティに参加したり、人力車のガイドとともに寺社仏閣を訪れるのも「文化」触れる方法でしょう。ただそういったアクティビティはオプトイン方式なので、元からある程度の興味がある人しかそもそもその機会に触れることはありません。

文化と一口に言っても様々です。生活、宗教、価値観、歴史、文学、芸術、人の営みに関するあらゆる事象を文化と呼ぶことができてしまいます。私が考えたのは、「衣食住全部ひっくるめて包括的な文化体験を売るなら宿泊だろう、そうなったら宿泊業だな」ということでした。

ということで、「文化としての衣食住を包括的に体験として”売る”ために、宿泊施設を用いる」という方法の目処が立ちます。

しかし、ただ古民家で宿をやればいいというわけではありません。なぜなら私はそこで需要と供給をつなぐために観光客に高い品を買ってもらって、観光需要を工房に還元したいからです。そうしないと私がかっこいいと思う文化は死にます。となると、ある程度の価格帯を想定しなければビジネスとしては成り立たないでしょう。

そこでまた安直に思い至ったのが、「宿泊そのものに付加価値をつけるなら外資系ラグジュアリーホテルがブランディングの成功例っぽいからそこに行こう」というわけで、卒業後の私のホテリエとしての生活が始まります。

なんだか読み返してみるととてつもなく乱筆になってしまいましたが、大学4年生の頃の私の思考のプロセスはだいたいこんな感じでした。

そういえば輸出業としての観光って内容で似たようなことを書いていたのでせっかくだからぶら下げておきます。

これを書くことを休憩時間にしていたので、また勉強に戻ります。

みなさま素敵な休日の夜をお過ごしください。

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