中野徒歩

「新潟ネタを書く人」になりたい人です。 街歩き・地酒・ラーメン・日本画鑑賞・そして猫が…

中野徒歩

「新潟ネタを書く人」になりたい人です。 街歩き・地酒・ラーメン・日本画鑑賞・そして猫が好きです。 (2021.5.11)

マガジン

  • 昔書いたものたち。

    昔(7~8年ぐらい前以降)書きためた諸々を、置き場所に困って某ラノベ専用投稿サイトに片づけていたのが、いくつかあります。 そういうのをこっちに移す、いわゆるお引越用に立ち上げたものです。 手直し等を経て、順次こちらに上げていく予定です。

最近の記事

例の応募作の原文(第5部のつもり⑤)

      41 「あの、柏木さん…… 俺もちょっと酔っぱらってしまっていて。これは酔っぱらいの戯言というか、そんな感じで聞いてもらえればいいんですけど。  ひらく会が創設される前、『戦争画をどう捉えるか』についてしっかり討論をした。そして『ひらく会は、これから絵を描いていく者のための団体である。戦争画は過去のものとして捉える』と結論づけた、と聞いていますけど」 「そうだよ。あの分野に足を踏み入れたか否かも『不問に付す』。画家が過去にああいうものを描いたかどうか、そんな色

    • 例の応募作の原文(第5部のつもり④)

            40  私が所属する美術団体「ひらく会」は終戦の翌年、新田修哉さんという画家はじめ7人が「戦争で止まってしまった日本画の歩みを再開させ、さらに新しい道(可能性)を『ひらく』」を合言葉に創設した日本画専門の団体だ。会員は芸校の卒業生が多く、母校の先輩格や後輩、あるいは在学中に終戦を迎えた若手らとともに、年2回の団体展を軸とした活動を行なっている。  新田さんも芸校の卒業生で、島崎先生の2期先輩にあたる。卒業後は銀行員として働きながら制作活動を続け、その中で展

      • 例の応募作の原文(第5部のつもり③)

              39  小笠原君自身が言っていたように、一連の話に矛盾を感じないでもなかった。でも矛盾があって当たり前というか、彼自身きっと矛盾や葛藤、混乱の中でもがきつつ描いているうちに、逃げに徹した私などが知りえない境地に達した瞬間があったのだろう。 「一閃」を描いていた時、激情に駆られて叫びそうになるのを口に手拭いを突っこんで押さえた、と話してくれたことがあったが、あれは「こんなに怖ろしい絵を描いているのに、面白いと思ってしまっている」という混乱からだった、と彼は補足し

        • 例の応募作の原文(第5部のつもり②)

                38  その日はとりあえず、小笠原君を引き留めて話を聞くなどということはしなかった。締切間際で時間がない人間をつかまえて自分の知りたいことを聞き出すなんて真似はできないし、そんな配慮をする以前に案の定、担当編集が来てしまった。 「もう勘弁してくださいよ。今夜じゅうに上がるんでしょうね!」と声を上ずらせる担当どのに連れられて帰っていく小笠原君の後ろ姿を見て「いやはや、大変だ」と同情してしまったのと同時に、彼自身の「戦争の後始末」は順調すぎるほど順調に進んでいる

        例の応募作の原文(第5部のつもり⑤)

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        • 昔書いたものたち。
          40本

        記事

          例の応募作の原文(第5部のつもり①)

                37  昭和24年3月。  仲間の奮闘を労うつもりで開いた宴の席で「いい加減に描くことに本腰を入れないか」と発破をかけられてから、1年半以上が経っていた。  その後私は、島崎先生の伝手で美術団体に加入した。半年に一度、春と秋に開かれる団体展に出品する作品を制作し、「見られること」を念頭においた作品に向き合い完成させては人目のつくところに晒してみる。団体展以外にも大規模な展覧会への入選を目指すこともできるが、それはもう少し腕を上げてから、というところだ。  作品

          例の応募作の原文(第5部のつもり①)

          例の応募作の原文(第4部のつもり⑨)

                36  夕暮れ時の少し前、平澤君父子が散歩から帰ってきた。途中で小笠原君と行き会って、「ぼうけんブック」の連載の話なんかをしながらゆっくり歩いてきたという。 「さあ、小笠原のお兄さんが絵を描いたっていうお話だぞ。見てみようか」 平澤君は椅子に座って喜久雄君を膝に乗せ、「ぼうけんブック」を開いた。連載のタイトル「水底巨岩城」を音読し、その後は読み聞かせてやるつもりだったのだろうが、ざっと目を通した段階で固まってしまった。  小笠原君の絵は主役といってもいいほどで

          例の応募作の原文(第4部のつもり⑨)

          例の応募作の原文(第4部のつもり⑧)

                35  梅雨明けの数日後。「ぶらいと」夏号と、小笠原君が挿絵を手がける新連載「水底巨岩城」を巻頭に据えた「ぼうけんブック」が我が店の店頭に並んだ。その奥で、私と父、平澤君の妻の富枝、そして陽子は3人の激励会の準備を始めていた。富枝と一粒種の喜久雄君を連れてきた平澤君は、机を出したりなどの手伝いを終えてから子どもを連れて散歩に出た。  平澤君は「とんでもないご馳走が出てくる」などと言っていたが、このご時世で卓上をにぎわすような食材が用意できるわけもない。かといっ

          例の応募作の原文(第4部のつもり⑧)

          例の応募作の原文(第4部のつもり⑦)

                34  梅雨入りの少し前。「ぶらいと」は父の言葉どおりに、神田界隈の女の子の間であっという間に評判になった。  例えば、学友からその噂を聞かされた女学生が本を求めて神田を訪れたものの、とっくに売り切れで…… といったことが、我が店をはじめ「ぶらいと」を取り扱った店のほとんどで起きていた。また、創刊号を買い逃した層からの問い合わせ、級友から借りて読んだと思しき少女からの「次号が楽しみ」という便りなどが、編集部に続々と寄せられた。  読者の存在、彼女らからの反響は

          例の応募作の原文(第4部のつもり⑦)

          例の応募作の原文(第4部のつもり⑥)

                    33   神田でしか買えぬ素晴らしい本     未来にはばたく少女を磨く雑誌          「ぶらいと」愈々創刊!!  私は大判の紙にこの文言を大書し、墨も乾かぬうちに店頭の一番目立つところに貼り出した。その手前には、我々が刊行を待ちわびた本が、作り手が朝一番で納品してくれた本が平積みになっている。  昭和22年、春。ようやく、武村さんと飯村君の雑誌「ぶらいと」が創刊にこぎつけた。  ふたりは「ぶらいと社」という小さな出版社を前年のうちに立ち上

          例の応募作の原文(第4部のつもり⑥)

          例の応募作の原文(第4部のつもり⑤)

                 32  平澤君と小笠原君が帰って、武村さんも夫人との約束があるとかで店を出てから、私と父、それから飯村君の3人で話し合った。  私は、彼がこれまでのことを語りながら泣き出した時、うっかり怒鳴りつけそうになったことを打ち明けた。彼の、変わっていないようで「変わり果てた」といってもいいのかもしれないほどのたたずまい、醸し出す雰囲気。そういうところから、彼が背負う羽目になってしまったものの大きさ、怖ろしさを感じ取り、「とても受け止めきれない」と思ってしまったのかも

          例の応募作の原文(第4部のつもり⑤)

          例の応募作の原文(第4部のつもり④)

                31  ついさっき再会したばかりだという小笠原君と平澤君を椅子に座らせ、さっそく質問責めにしてやろうか、というところではあった。しかし懐かしい顔が一度にふたつも揃ったものだから、どこからどう攻めていけばいいのか、まるで見当がつかない。当然ながらふたりそれぞれの話をじっくり聞きたいし、こちらだって近況報告をしなければいけない、話したいことは山ほどある。おまけに再会の嬉しさもあり、すっかりわけが分からなくなってしまった。  お茶を持ってきた父に「ご無沙汰しています

          例の応募作の原文(第4部のつもり④)

          例の応募作の原文(第4部のつもり③)

                 30  その後、柴田さんと店舗兼住居の賃貸契約を済ませた武村さんと飯村君は、入居準備などのために頻繁に神田を訪れるようになった。柴田さんは早くも身の回り品の整理を始めていたが、それを手伝う中で不要品を引き取る話などもしていたし、柴田さんのほうで近隣の店などに連れて行ってくれることもあるという。 「柴田さん、『気が早いかもしれないけど、今のうちに挨拶を済ませておけば、あとあと楽だから』って。もう5軒ぐらい行ったの」 「『本屋だけじゃなくて、本を作る側の知り合い

          例の応募作の原文(第4部のつもり③)

          例の応募作の原文(第4部のつもり②)

                  29  昭和21年の年が明けた。我が家はまだ本業の書店を再開してはおらず、「まずは人助けを」という父の方針に従って諸々動いているうちに、井戸端会議場あるいはよろず相談所的な機能も持つ場所に変わり始めていた。  尋ね人の貼り紙を受け付けるのは相変わらずだったが、そのうち探す人と探されている人がこの場で再会を果たし喜び合う、といった場面に立ち会うことも増えた。父が「人が集う場所があってもいい」と言い出し、すかすかになった本棚の一部を片づけて小さなテーブルと椅子

          例の応募作の原文(第4部のつもり②)

          例の応募作の原文(第4部のつもり①)

                  28  想像はしていたし、新聞に載った写真であらかた分かってはいた。しかし実際に見ると、やはりそれらの比ではない、と思い知らされた感があった。上野駅前はじめ東京に広がっていた光景のことだ。街並みは「変わり果てた」という言葉など薄っぺらく感じるほどだったし、通りには子どもたちが、「これからどうすれば」などとのんびりしたことなど言っていられないほどに追いつめられた子どもたちが溢れている。  飢える子らにとって私の鞄なども盗みの標的になる、と思い知らされるようなこ

          例の応募作の原文(第4部のつもり①)

          例の応募作の原文(第3部のつもり⑫)

                 27  目を開けた時、視野に飛び込んできたのは真っ白い天井だった。「気づいたかね?」という声の後に見覚えのあるほっそりした顔が私を覗き込んだ、近くの診療所の鶴巻先生だ。彼もまた街に留まったひとりだった。  先生は「君が寝った間に、戦争が終わったれ」と笑顔で告げた。 「え? 終わったんですか」 「ああ。昨日、ラジオで天皇陛下直々に発表しなさったんだ。今日は8月16日らよ」  私は丸2日間眠り続け、先生に命をつないでもらっていた。その間に玉音放送が流れ、太平洋戦争

          例の応募作の原文(第3部のつもり⑫)

          例の応募作の原文(第3部のつもり⑪)

                 26  8月に入ってすぐに長岡が空襲で焼け野原になり、さらに広島と長崎で落とされた新型爆弾でみんな戦々恐々となっているようだったが、私のほうはそんな噂話の怖ろしさにもついていけなかった。真柄さんと話してじゃがいもを食べた日があったが、あれだけで私の食欲や心が元に戻るはずもない。さらに暑くなるにつれて、心身の軸のようなものがどんどん削ぎ落とされていった感があった。仲間との食事の場面もほとんど思い出さなくなったが、一方で「一枚ぐらい描きたいなあ」などと思っていた。

          例の応募作の原文(第3部のつもり⑪)