例の応募作の原文(第4部のつもり①)

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 想像はしていたし、新聞に載った写真であらかた分かってはいた。しかし実際に見ると、やはりそれらの比ではない、と思い知らされた感があった。上野駅前はじめ東京に広がっていた光景のことだ。街並みは「変わり果てた」という言葉など薄っぺらく感じるほどだったし、通りには子どもたちが、「これからどうすれば」などとのんびりしたことなど言っていられないほどに追いつめられた子どもたちがあふれている。
 飢える子らにとって私の鞄なども盗みの標的になる、と思い知らされるようなこともあった。肩かけ鞄のひもに伸びてきた細い腕をつかみ「見くびるなよ。兄さんは足はこんな・・・だけど、腕っぷしは強いんだ」と凄んでやったが、少年(どころか、背丈だけをみれば幼子おさなごといっていいほどだ)の目を見たら、なぜかこちらが泣けてくるような感があった。
 新潟をつ時にキクイさんが握り飯を持たせてくれたが、汽車の中でとっくに食べてしまっていたから恵んでやることもできない。「新潟の米で作った握り飯だ。旨いぞ」と汚れた手のひらに乗っけてやるところを想像しながらその手を振り払い、立ち去るしかなかった。
 こんな目に遭った時に、ほんの半日前まで滞在した新潟という街と今の東京との差を否応いやおうなく実感させられた。あの街で私なりに苦しみはしたものの、やはり「運がよかった」と捉えるべきだろう。
 そうだ、私は運がよかったのだ。まず戻る場所があるし、立て直さなければいけないものもあるじゃないか。それで、これからどうするのか。
 
 神田の実家には、既に父が帰っていた。もちろん店を再開できる状況ではなかったが、それでも戸だけ開けておけば顔を出してくれる人がおり、家族と離ればなれになった人が他の街からやって来て「尋ね人の紙を貼らせてもらえないか」と頼んだり、ということもあるという。私が帰京した時、我が家こと神田の大畑書房の店頭は、そういった貼り紙で埋め尽くされていた。
「戦災孤児に鞄をかっぱらわれ・・・・・・そうになったよ」などと言いながら家に帰りついた私を、父は白湯さゆを出してねぎらってくれた。
「お茶っ葉が手に入るのは、いつのことになるだろうな。貼り紙を頼みに来る人なんかにこうやって出してやると、『白湯でもありがたい』って喜んでくれるんだよ」
「お人好ひとよしの父さんらしいな。『茶菓子でもあれば、なおよかった。申し訳ない』なんて言い出しそうだ。現に、俺自身が今ちょっと甘いものを食べたいと思っちゃってるから、こんなことを言うんだけど」
「そりゃそうだ。父さんだって、長旅で疲れてるお前に白湯一杯だけなんて可哀想だと思っているしさ。それに、ここを頼って来てくれた人をもてなしてやりたい、と思うのは当然じゃないか。
 ああ、本屋もいいけど茶菓さかを出してもてなす店というのもいいなあ」
「それも悪くないけど、まずは本屋の再開を考えなきゃ。
 って言いたいところだけど、あの孤児の群れを見たら再開の目途めど云々うんぬんするなんて、な」
「そうだな。今はまだ本を読むどころじゃないよ、みんな。本を作る側は動き出しているようだけど、それを手にとる人が果たしてどのくらいいるか」
 出版界が息を吹き返すのは、驚くほど早かった。7月には特攻隊を美化する特集を組んでいたかと思えば次の月には終戦の詔書しょうしょを全文掲載し、戦没者の家族に寄り添うような企画を打った雑誌もあったし、休刊を余儀なくされた雑誌でも早いところでは秋頃に復刊を果たしたものもあった。切り換えの早さにはちょっと呆れないでもなかったが、いうまでもなくこんどはGHQの目を気にしながら作っていかなければいけないし、愚かしい過去を一刻も早く振り切りたい、という意識も作り手側にあったのかもしれない。
 一方で、本を売る側はどうだったかというと。
 戦中は店主の応召のため閉店せざるを得ない店は多かったし、残った者は軍需工場や国策関連の奉仕活動に駆り出され、開店休業状態となった店がほとんどだった。例の松永老人の件で閉店するまでの我が家のように、それまでどおり本を仕入れて店を開け客を待つ、という店は少数派だった。
 しかし戦争が終わり、すぐに商売ができるようになるかというとさにあらず・・・・・、だった。実店舗を持つ普通の店が経営再開にこぎつけることができず歯がゆい思いをするのを横目に、活字に触れたいと願う人々に本を提供したのは、ヤミ市だった。商店経営の立ち遅れは本屋に限ったことではなかったが、その代わりに露店が人々のさまざまな需要と、モノを提供する(本を作りたがる)側の熱意に応えることになった。地べたに古新聞を敷いただけの店に並んだ本は粗悪な紙で作られた薄っぺらなものだったが、とにかくよく売れていた。
 しかし世の中には「それどころではない」という人が溢れかえっている。人のいい父なりに、本業をさしおいて手がけるべきことがある、と考えたのだろう。
「まあ、今は本を読んでもらう前に、本を読めるだけの余裕がある状態になってもらわないとな。尋ね人の貼り紙だって、その手助けになる。父さんはそう思ってるんだ、本屋の軒先が貼り紙だらけになったって、そんなのは一時いっときのことだろう」
「なるほどな。神田は空襲の被害が出なかった分、余力があるともいえるんだし。貼り紙ぐらいどうってことないよな。
 それにしても、神田はよく残ったもんだね」
 見晴らしがよくなり過ぎてしまった街並は、神田川を境にがらりと変わった。私の実家がある界隈は空襲をまぬがれて昔と変わらぬ姿で残ってくれていたが、他の街を見やると神田が無事だったことを申し訳なく思うほどだったし、こちらが被害に遭わなかったことが不思議でたまらなくなる。川が延焼を防いでくれたのだろうが、本屋街の上に見えない屋根でもあって落ちてくる爆弾をすべて受け止めてくれていたのか、とおかしな空想が浮かぶほどだった。
「この辺だけは昔と変わらないけど、貼り紙もしかり、逃げてきた人の姿もしかり、だ。前と全く同じというわけじゃないよ」
「昔の街並みに、戦争が終わってからの混乱した空気が充満してる感じだな」
「うまいことを言うなあ。さすが絵描きさんだ」
「いや、俺は絵描きになれたわけじゃなかった。これからだってどうなるか分からないんだ、今『本を読むどころじゃない』って話をしたばっかりだろう? それと同じだよ」
 そう、私は時局画に背を向けることで、絵描きになることを結果的に拒んだ人間だ。絵を描く人としての道が今後開けていくのかどうか、私次第ではあるがこの時点では皆目かいもく見当がつかない、という他ない。
 そんな話をしたら、上野駅のほど近くにある我が母校を思い出してしまった。広大な公園の端っこにある校舎はじめ周辺の施設は空襲の被害を免れていたが、島崎先生や助教に就任して学校に残ったはずの平尾君などの近況は分からないままだ。
 加えて、私があの学校で出会った仲間達はどうなったか。私の地元を含め以前と変わらぬ街並が残ったところは少なくないが、3月の大空襲で特に被害が大きかったのは城東地区だ。例えば平澤君が新居を構えた深川もそうだし小笠原君の住まいは本所だったはずだ、あの辺はいずれも壊滅状態だと聞いている。彼が挿絵を描いていた「国防」は新潟の本屋でも平積みになっていたが、大空襲を境にぷっつりと刊行が途絶えてしまっていた。
 小笠原君とは彼の芸校中退以来顔を合わせてもいなかったし、やはり気になった。それでも、調べてみたら悲しい知らせを得ることになってしまう気がする。そして平澤君は帰ってくるのか、家族は山梨のどこかに疎開したそうだが、じりじりしながら彼の帰還を待っているはずだ。
 だが、それすらも棚上げにするしかない。今はまず目の前のことひとつひとつを片づけつつ、日々がなんの心配も障壁しょうへきもなく回っていく、そこを目指さなければいけない。現に私は空腹をこらえつつ父との対話を続けていたが、腹が鳴る音を聞かれてしまったから一番気がかりなことに話題を移すしかなくなった。
「ところで父さん、食べるほうはどうしてるんだ? やっぱり九十九里か」
「ああ。まあ、そうなるな。奥の本棚を見てごらんよ、値打ちになるかどうかと思って持っていったけど、向こうさんもあわれんで、米だ野菜だって引き換えてくれるんだ」
 この界隈の学校に通う学生向けに置いていた小難しい本を持っていったそうで、それらが並んでいた棚は半分がた空いてしまっていた。
「あの家はにわとりもいるだろう、卵がもらえれば『しめたもんだ』って。当地らしく魚の干物なんかも持たせてくれるけど、そういうのは足がはやい・・・から、すぐ食べるか近所にお裾分けすることになるけどな」
「魚か。魚はちょっと、しばらくはいいかな」
 この呟きは聞こえていなかったようでほっとしていたら、「そういえば、ってこともないけど」と父が切り出した。
「戦死した増治のことだけどさ。お前が卒業制作の下描きに行って『結局なんにもならなかった』って戻ってきたことがあったじゃないか。あの後しばらく、あの子は『なんだか分からないけど、隆一を怒らせてしまった』って気に病んでいたっていうんだ」
「そうだったか」
「『ああ、この時に何かあったんだな』って思ったものだよ。この店を閉める時、お前に『九十九里に行けば』って言ったら、やっぱり怒っちゃったじゃないか」
 父に、あの海岸での増治との一件について話してやった。私はあの子の愚かさについて怒っていたわけだが、きっとあの子そのものに腹を立てていたのではなく、彼の背後にある軍国主義というものを激しく嫌悪していたのだ。当時の感情で考えれば増治などは軍国主義の権化ごんげといってもいいほどだが、あの子にはなんの罪もない、どころか被害者ということもできる。
「父さん。食料の調達は俺がやるよ、九十九里には俺が行く」
「いいのか?」
「うん。仏前に手を合わせておかないと、っていうのもあるし」
 ひょっとすると私は一生、九十九里の親戚への苦手意識を克服できないかもしれない、でも彼らへの感情の何分の1かは清算したい。まずはあの馬鹿に、魂だけがあのだだっ広い家に帰ってきているであろう増治に。
「避け続けてきた場所だけどさ、いつまでもへそを曲げてるわけにはいかないだろう?」
「そうだな。じゃあ頼んだよ。
 それでは、これにて家族会議終了! 晩飯にしようか、『しめたもんだ』の卵があるぞ。ご飯にかけて、盛大にかきこもうじゃないか」

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