例の応募作の原文(第4部のつもり③)

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 その後、柴田さんと店舗兼住居の賃貸契約を済ませた武村さんと飯村君は、入居準備などのために頻繁に神田を訪れるようになった。柴田さんは早くも身の回り品の整理を始めていたが、それを手伝う中で不要品を引き取る話などもしていたし、柴田さんのほうで近隣の店などに連れて行ってくれることもあるという。
「柴田さん、『気が早いかもしれないけど、今のうちに挨拶を済ませておけば、あとあと楽だから』って。もう5軒ぐらい行ったの」
「『本屋だけじゃなくて、本を作る側の知り合いがいれば連れて行ってやるところだけど。申し訳ない』ともおっしゃってくださったんだ。本当に、いい人に巡り合えたものだ。大畑君には感謝するよ」
「いや、俺自身が何かをしたわけじゃありませんから。
 でも、本を作る側の伝手つてというのもあったらいいですね。企画が通れば、そこから一気呵成いっきかせいに事を進めていける」
「いや、僕達は自分の出版社を立ち上げることにこだわりたいんだ。柴田さんのご厚意を踏みにじることになるから彼の前でこんな話はできないけれど、どこかの子飼こがいでやっていたら窮屈きゅうくつな思いをしそうだ。僕らふたりとも、そういう状況への耐性が非常に弱い」
「ははは、なるほど」
 ところでね…… と私は、つい先日の目撃談、小笠原君(と思われる男)について話してみた。
「え!」
「追いかけようと思ったんだけどさ、向こうは俺に気づいて逃げていった、ようにも思えるんだ。せっかく神田で再会できたんだし、うちの店に連れてきてじっくり話したかったところだけど。それにしても、なんで逃げるかな」
「彼は、この店に顔を出したくて神田に来た。でも顔を出せず…… というところだったんじゃないのか」
「その可能性もあるな、とは思うんですよ。時局画に関わった後ろめたさがあるのかな、と。でも俺達はみんな、彼は小塚なんかとは違うって分かってるわけだし。『水くさいじゃないか、なんで逃げるんだよ。切磋琢磨せっさたくました同期生だろう』って言ってやりたいですよ」
「僕らは『小塚とは違う』って思ってても、誠ちゃんのほうで『俺なんか小塚と一緒くたにされてる』って思ってるかもしれないもんね。うーん。
 あのね。……幽霊だったんじゃないの?」
「馬鹿なことを言うなよ、薫ちゃん。なんで死んだことにしたがるんだ」
「したがってるわけじゃないけど。本所は空襲の被害が大きかったし、『国防』だってあれっきり出なかったんだし。
 軍のお気に入りだった時期もあったんだし、空襲では無事だったとしても、戦争が終わった時に『これからどうすれば』って思いつめちゃったり……」
「あのさ。想像力が豊かすぎる」
「大畑君の言うとおりだ。その想像力は今後の仕事に生かせばいい、文章を書く勉強でも始めてみてはどうだ? 少女小説と挿絵を君ひとりでやるんだ、4ページぐらいで」
「それも面白そうだけど、無理です。変なことを言ってごめんなさい。
 で、生身の人間っぽかったの? 体がけたりしてなかった?」
「もういいよ」
 想像力豊かな飯村君なりに推察してくれよ、とばかり、私は小笠原君が泣いていた理由について話をふってみた。しかし飯村君も武村さんも「それはさすがに、彼本人にしか分からないだろう」と言った。
 それはそうだ、あの涙の理由など彼以外に知る人はいない。いつかまた神田で小笠原君に出くわしたら、その時こそとっつかまえて店に連れてこよう。そして中退してからのこと、「国防」の挿絵や時局画を描いていた頃の彼の思い、これから彼自身はどう生きていくのか、その展望を、洗いざらい吐き出させてやるんだ。
 
 そして、春の彼岸の日。武村さんと飯村君が、旧柴田書店へ入居した。借主は武村さん、飯村君は世田谷の実家からこちらへ通うのは大変だということで居候いそうろうとしてここで寝起きするという。武村さんは戦前から交際していた舞台女優と入居を期に結婚することになり、彼ら夫妻の祝言しゅうげんも兼ねたお祝いを新居で行なった。
 しかし、浮かれていられたのは彼らにしてみればこの日が最後。次の日から、船出に向けた奮闘の日々が始まった。
 住む場所としての体裁ていさいを整えるのは武村夫人に任せ、ふたりは雑誌刊行の協力をお願いするための外回りを始めた。雑誌のテーマはとっくに決まっているし、戦前に名をはせた画家達も挨拶に出向けば協力を快諾かいだくしてくれる。しかし一番の難関が、資金面での協力者を見つけることだった。
 こればかりはさすがに、一筋縄ではいかなかった。「一緒に頑張ろう」と言ってくれた人ほぼすべてが、食うや食わずの生活をいまだに強いられている。「本当にどうにもならないと分かったら大手出版社に泣きついてみるが、動き始めたばかりでそんなカードを切る気などさらさら・・・・ない」とふたりは口を揃えていた。また応援する私達も、彼らにとって最良の形で創刊にこぎつけられるように、と願っていたし、近い将来のこととしてそれが実現した日のことを思い描くのは非常にたやすかった。
 そして私と父は、正月に約束したとおり5月になる前に、大畑書房を再開させた。「これも応援の一環といってもいいだろう」と父は言った。この店が再び本屋として機能し始めたのだから、創刊に向けた彼らの意気込みにも少なからず影響してくるはずだ。
 さらに父は、こんな提案をした。
「君達、なんでもいいから絵を10枚ずつ描きなさい。小さいやつでいいんだ」
 そう言って、絵の仕上がりを待つのと並行して、大工仕事を始めた。小さな募金箱を20個も作ったが、これらを近隣の店に置いてもらって後日回収するのだという。
「カンパか!」
「そう。できあがった絵と『雑誌創刊を目指す若者がいる』という説明文を貼りつけて、会計の時に目にまるような場所に置いてもらう。ちょろまかす奴もいるけど、そういうところには頼まないんだ。
 武村君達にも一応くぎを刺しておこうか、『生活費に充てたくなるかもしれないが、これは雑誌創刊のために使ってほしい。そう約束してくれ』って。彼らもかつかつ・・・・だろう、どこだって似たようなもんだけど」
「かつかつなのはたしかだけど、あのふたりは集めたお金の意味をちゃんと理解してくれるはずだよ。心配御無用だ」
 翌日、武村さんと飯村君は早くも小さな絵を描き上げ、我が家に持参した。
「いつか、こんな素敵な洋服を着て街を歩きたい」と女の子なら必ず思うはずだ、そんな少女をひとりずつ描いた絵が20枚。どれもさわやかで可憐かれんで、品のよさがある一方で身近さも感じられる。憧れと「手の届かないものではない」という希望を同時に抱かせることができる、素晴らしい小品ばかりだ。
 そこに「女性達、ひいては社会全体に明るい未来をもたらす雑誌になるはずです。何卒なにとぞご協力を」云々としたためた父の一文を添え、最後に私が大きめの筆書きで「厚意求む」と書き足した。
 それらを、ふたりは自らの手でカンパ箱に貼りつけた。絵などを貼り終えた飯村君は、自らの手から生まれた少女の像に小さな声で「いってらっしゃい」と語りかけ、箱の上面を軽くぽんぽんと叩いてやった。
 
 カンパ箱が我が家はじめ町内のあちこちの店に置かれてからも、彼らの奮闘はやはり続いた。「このご時世でおしゃれを推奨する雑誌を作りたいというのか」などと反発する人もあってカンパは思うように集まらず、大口の出資者も現れず、で資金面の壁をどうしても越えることができない。夏頃の創刊は厳しい、ということになってしまったが、ふたりから「まずたゆまず」の精神が消えることはなかったし、我々も初志貫徹の日が必ず訪れると信じ、ある時は愚痴を聞き、ある時は発破をかけてやっていた。
 そうしているうちに夏が過ぎ、秋の彼岸を迎えようとしていたある日。浅草方面に出向いてきたという武村さんが、こう切り出した。
「小笠原君のことだが…… 彼、浅草にいるかもしれないぞ。ちょっと面白い話を聞いたんだ」
 武村さんいわく。雷門からちょっと離れた通りを根城ねじろにする絵描きがいて、米兵に「ドロー・ユア・カー」と声をかけては、ジープの絵を見事に描き上げる。しかし似顔絵となると素人に毛が生えた程度の腕前で、「下手だ」と笑うと怒り出す。それを面白がってわざと似顔絵を描かせる者もいるほどで、「笑わせてくれたお礼だ」などと投げ銭をもらう始末。だが、皮肉なことにそういった金でその男は糊口ここうをしのいでいる、という状況らしい。
「中には、その男に『車の絵は上手うまいのに、なぜ人の絵が描けないのか』なんて尋ねたり、絵の経歴について聞き出そうとする者もいるそうだが、そういう時には怒鳴りつけることもあるというんだ」
「うーん。小笠原君だったらなあ、とは思いますけど。人を怒鳴りつけたり、かっかするような人間ではなかったんですよねえ」
「しかし、芸校時代から10年近く経っているんだ。人柄にいくらか変化があったとしても不思議ではないだろう。スケッチ会で会った時は『人嫌いなのかもしれない』と思ったものだが、いつまでもそんな風ではいられないんじゃないか?」
「僕も、誠ちゃんじゃないかと思ってる。一時は人気者になったわけだし、ちょっとは自信がついて言いたいことが言えるようになった、っていうのもあるんじゃないの?」
「死亡説はどこに行った?」
「もうそんなことは言わないの」
「いやあ、でもなあ。俺はちょっと、にわかには信用できないかな。武村さん、申し訳ありません。実際に会ってみて、確証を得たいところです」
「それなら、尋ね人の貼り紙でも作ってみればいいじゃないか。いまや、我が大畑書房のお家芸だ」
 黙って聞いていた父が話に入ってきた。「しばらく会ってないけど昔なじみの仲間がいるんだ、そこに頼んで紙を貼らせてもらえばいい。武村君、こんど浅草のほうに行くことがあるかい?」
「はい、ある先生が浅草に住んでいますから。先ほどの話も、その先生から聞いたんです」
「それなら、悪いが頼まれてもらえないか? あとで店の地図を書いてやるから。『大畑の紹介で』と言えば、断られることはないよ」
 それから父にかされて、私は貼り紙を書き上げた。
   小笠原誠君 来訪待つ
     神田 大畑書房 大畑隆一
「見てくれればいいね」「見てくれたとして、顔を出す気になってくれるかどうか心配だな」などと言い合っていると。
 ふたつの人影が店に入ってきて、それに気づいた飯村君が「きゃあ! 出た!」と叫んだ。噂をすれば、の小笠原君だ。
「なんだよ、死んだと思ってたのか?」
 私も息をのんだが、喜びの再会を果たしたついでとばかり、軽口をたたいてやった。
「薫ちゃんは君の死亡説を展開したんだ。まったく、ひどい奴だよ」
 それでさ、と言いかけて、涙が出そうになってしまった。ふたつの人影のもうひとつというのが、発ちゃんこと平澤君だったからだ。
「すごいよ、みんな揃っちゃったじゃないか。びっくりさせるなよ」

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