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昔書いたものたち。

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昔(7~8年ぐらい前以降)書きためた諸々を、置き場所に困って某ラノベ専用投稿サイトに片づけていたのが、いくつかあります。 そういうのをこっちに移す、いわゆるお引越用に立ち上げたも…
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記事一覧

例の応募作の原文(第5部のつもり⑤)

      41 「あの、柏木さん…… 俺もちょっと酔っぱらってしまっていて。これは酔っ…

中野徒歩
2週間前

例の応募作の原文(第5部のつもり②)

      38  その日はとりあえず、小笠原君を引き留めて話を聞くなどということはしな…

中野徒歩
2か月前
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例の応募作の原文(第5部のつもり①)

      37  昭和24年3月。  仲間の奮闘を労うつもりで開いた宴の席で「いい加減に描…

中野徒歩
2か月前
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例の応募作の原文(第4部のつもり⑨)

      36  夕暮れ時の少し前、平澤君父子が散歩から帰ってきた。途中で小笠原君と行…

中野徒歩
5か月前
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例の応募作の原文(第4部のつもり⑧)

      35  梅雨明けの数日後。「ぶらいと」夏号と、小笠原君が挿絵を手がける新連載…

中野徒歩
5か月前

例の応募作の原文(第4部のつもり⑦)

      34  梅雨入りの少し前。「ぶらいと」は父の言葉どおりに、神田界隈の女の子の…

中野徒歩
5か月前
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例の応募作の原文(第4部のつもり⑥)

          33   神田でしか買えぬ素晴らしい本     未来にはばたく少女を磨く雑誌          「ぶらいと」愈々創刊!!  私は大判の紙にこの文言を大書し、墨も乾かぬうちに店頭の一番目立つところに貼り出した。その手前には、我々が刊行を待ちわびた本が、作り手が朝一番で納品してくれた本が平積みになっている。  昭和22年、春。ようやく、武村さんと飯村君の雑誌「ぶらいと」が創刊にこぎつけた。  ふたりは「ぶらいと社」という小さな出版社を前年のうちに立ち上

例の応募作の原文(第4部のつもり⑤)

       32  平澤君と小笠原君が帰って、武村さんも夫人との約束があるとかで店を出…

中野徒歩
6か月前
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例の応募作の原文(第4部のつもり③)

       30  その後、柴田さんと店舗兼住居の賃貸契約を済ませた武村さんと飯村君は…

中野徒歩
6か月前
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例の応募作の原文(第4部のつもり②)

        29  昭和21年の年が明けた。我が家はまだ本業の書店を再開してはおらず、…

中野徒歩
6か月前
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例の応募作の原文(第4部のつもり①)

        28  想像はしていたし、新聞に載った写真であらかた分かってはいた。しかし…

中野徒歩
7か月前
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例の応募作の原文(第3部のつもり⑫)

       27  目を開けた時、視野に飛び込んできたのは真っ白い天井だった。「気づいた…

中野徒歩
7か月前

例の応募作の原文(第3部のつもり⑪)

       26  8月に入ってすぐに長岡が空襲で焼け野原になり、さらに広島と長崎で落と…

中野徒歩
7か月前
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例の応募作の原文(第3部のつもり⑩)

        25  梅雨明け直後の、ある夕方。この日は近郊で夏祭りが行われ、昔に比べればはるかに小規模だがお神輿も出る、と青海君のお母さんから聞かされていた。ぎりぎりの状態でも、団子など作ってささやかに祭りを楽しむだけの余裕はあった。私もそうだったが、当時の新潟の人達はたまに来る敵機の姿や機雷投下の話などに慣れてしまえば、実害があまりなかった分だけ呑気に日々を過ごしていた。空襲などの噂も噂どまりで、市街地にはなんの被害も出ていなかったからなおさらだろう。  信濃川沿いを