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41 「あの、柏木さん…… 俺もちょっと酔っぱらってしまっていて。これは酔っ…
38 その日はとりあえず、小笠原君を引き留めて話を聞くなどということはしな…
37 昭和24年3月。 仲間の奮闘を労うつもりで開いた宴の席で「いい加減に描…
36 夕暮れ時の少し前、平澤君父子が散歩から帰ってきた。途中で小笠原君と行…
35 梅雨明けの数日後。「ぶらいと」夏号と、小笠原君が挿絵を手がける新連載…
34 梅雨入りの少し前。「ぶらいと」は父の言葉どおりに、神田界隈の女の子の…
33 神田でしか買えぬ素晴らしい本 未来にはばたく少女を磨く雑誌 「ぶらいと」愈々創刊!! 私は大判の紙にこの文言を大書し、墨も乾かぬうちに店頭の一番目立つところに貼り出した。その手前には、我々が刊行を待ちわびた本が、作り手が朝一番で納品してくれた本が平積みになっている。 昭和22年、春。ようやく、武村さんと飯村君の雑誌「ぶらいと」が創刊にこぎつけた。 ふたりは「ぶらいと社」という小さな出版社を前年のうちに立ち上
32 平澤君と小笠原君が帰って、武村さんも夫人との約束があるとかで店を出…
30 その後、柴田さんと店舗兼住居の賃貸契約を済ませた武村さんと飯村君は…
29 昭和21年の年が明けた。我が家はまだ本業の書店を再開してはおらず、…
28 想像はしていたし、新聞に載った写真であらかた分かってはいた。しかし…
27 目を開けた時、視野に飛び込んできたのは真っ白い天井だった。「気づいた…
26 8月に入ってすぐに長岡が空襲で焼け野原になり、さらに広島と長崎で落と…
25 梅雨明け直後の、ある夕方。この日は近郊で夏祭りが行われ、昔に比べればはるかに小規模だがお神輿も出る、と青海君のお母さんから聞かされていた。ぎりぎりの状態でも、団子など作ってささやかに祭りを楽しむだけの余裕はあった。私もそうだったが、当時の新潟の人達はたまに来る敵機の姿や機雷投下の話などに慣れてしまえば、実害があまりなかった分だけ呑気に日々を過ごしていた。空襲などの噂も噂どまりで、市街地にはなんの被害も出ていなかったからなおさらだろう。 信濃川沿いを