例の応募作の原文(第4部のつもり⑥)

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  神田でしか買えぬ素晴らしい本
    未来にはばたく少女を磨く雑誌
         「ぶらいと」愈々いよいよ創刊!!
 
 私は大判の紙にこの文言を大書し、墨も乾かぬうちに店頭の一番目立つところに貼り出した。その手前には、我々が刊行を待ちわびた本が、作り手が朝一番で納品してくれた本が平積みになっている。
 昭和22年、春。ようやく、武村さんと飯村君の雑誌「ぶらいと」が創刊にこぎつけた。
 ふたりは「ぶらいと社」という小さな出版社を前年のうちに立ち上げていたが、その看板だけ、という状況は長いこと続いていた。彼ら自身のたくわえで何ができるわけでもなく、銀行に相手にされず、例のカンパもとても足りず…… という中で、作家陣の何人かがこの雑誌のためにたんす・・・預金的な積立を始めたりもしてくれた。しかしそれらのお金をかき集めても、まだ足りない。
 そんな話を聞かされた小笠原君が、彼が今後関わっていくことになる出版社にかけ合おうとしてくれたが「ぶらいと社」のふたりはそれを固辞した。やはり前に言っていたように「子飼い」にはなりたくない、制限のない中で今までになかった本を作り、世に問うてみたい。そのこだわりをふたりとも捨てようとはしなかった。
かたくな過ぎやしないか」と、私はつい言ってしまった。しかしここで父が「まずは私家版しかばんていどに、というところから始めてみればいいじゃないか」と提案した。「我々は首を長くして待ってるんだ。これ以上待たされたら、ろくろ首になっちゃうよ」
 まず素晴らしいものを作る、君達には朝飯前だろう。そしてでき上がった本を、まずはこの本屋街のみで取り扱うようにし、評判になるのを待つ。「本当に素敵な本だ」「次の号が楽しみ」から始まって、「どんな本なんだろう」「私もほしい」という声が広がれば、おのずと販路も開拓されるだろう。ここは本の街・神田だ、君達が作る「いい本」の発信地に、きっとなるはずだよ。
「もう、しょうがない。1ページ1ページに心血を注いで、中身をうんといいものにすればいいんだ。
 とにかく、中身! 手にとってくれる女の子たちの心を揺り動かすものなら、あっという間に評判になるはずだよ」
 これでようやく、彼らの構想を形にするための本格的な準備が始まった。もうわがままは言わせない、とばかり我々も「完成はまだか」と矢の催促を続け、でき上がった版下を知己ちきの印刷屋に父自ら持ちこんだ。
 かくして、ようやく「ぶらいと」創刊、と相成った。
 仙花紙せんかし(当時よく使われていた、粗悪紙の代名詞のような代物しろものだ)を使った薄い冊子ではあったが、まず表紙を飾る絵が見る者の目をいた。武村さんの真骨頂しんこっちょう、大きな瞳の少女のイラストは新たな時代の空気をまとって、まっすぐにこちらを見つめている。女の子なら手にとらずにはいられないだろう。
 ページを繰ってみれば、もちろん飯村君、さらに彼らの大先輩である塚野虹輝先生や森田寛太郎先生も健筆をふるっていた。どの挿絵の子も雑誌のタイトルどおりに輝いて、大きな瞳に希望の光を宿らせている。そんな口絵ページの後の見開きでは、武村さんがなぜこの雑誌を作ったのかが分かる一文が、清楚ながらりんとした印象も与えるワンピース姿の少女を描いたイラストとともに掲げられていた。
 
 あの恐ろしい戦争が終わって、1年半が過ぎました。みなさんもきっと、つらい思いをたくさんされたことでしょう。悲しいお別れも、苦しい経験もあったでしょう。
 日々の生活も学校のようすもがらりと変わってしまいましたから、まだまだ戸惑いもあるはずです。しかしそのかたわら・・・・には、私たちがずっと手ばなしていた、自由があるのです。
 あのようなおろかな戦いをくり返してはならない、おだやかな日常やあたたかな心まで奪ってしまう戦争は二度とくり返してはならない。日本は誓いをたてて、生まれ変わりました。
 もう、我慢してばかりのさびしく味気ない暮らしを強いられるような世の中に戻ることはありません。あの頃に我慢していたこと、しりぞけられたものを取り戻し、未来に向かって自由にはばたくことができる時代が来たのです。あの時代にはなかった自由を大いに活用して、すばらしい未来へ向かってその翼を広げましょう。
 可能性に満ちているみなさんが明るく輝けば、世の中も明るく輝く。そんな未来をイメージして、大人の女性に一歩ずつ近づいていってください。
 みなさんには、明るくしなやかで思いやりのある女性、なにより自分でものごとを考えて行動できるすてきな女性に成長してほしい、と思っています。そのお手伝いを「ぶらいと」ができれば、これ以上のよろこびはありません。
 
この言葉は「ぶらいと」のターゲットである少女達だけでなく老若男女すべて、これからの時代を生きるすべての人に贈られたものなのだろう。私自身、読んでいるうちにこちらに向かって語りかける武村さんのまなざしを思い浮かべるほどだった。
 今の私が輝いているかどうか、輝く未来をイメージしながら日々過ごせているかどうか。そんなことを考えるのも照れくさいが、手前みそながら本屋街やその周辺、かつて芸校で切磋琢磨した仲間達が輝きを増すための貢献ならできていると思う。
 店頭で売り物の本を読みながら感慨に浸っていると、平澤君が「駄目だろ、本屋のお兄ちゃんが立ち読みなんか」と軽口をたたきながらやって来た。
「ほら、ようやくだ。待ちに待った創刊だよ」
「ほんとだな。大したもんだ」
 せっかくだから店頭の様子を描いてくれよ、と、私は平澤君に紙と鉛筆を手渡した。「お前が描けばいいだろうが」とこぼしながらも、平澤君は紙を受け取ってすぐに描き始めた。こういうことをやってもらったりすれば、彼の心にもいい影響が出るはずだ。もっとも、年が明けた頃から少しずつ上向いているようだと、彼の表情などから感じ取ることができていた。
 描き上げてくれたスケッチ(ご丁寧に、立ち読みしている私の後ろ姿まで描きこんでいた)をさっそく店内に貼った後、私は平澤君にいた。「仕事、どうだ?」
「ああ、お陰さまで順調そのものだ」
 私が心配したとおり、神田に初めて来た頃の平澤君はまだ働いていなかった。芸校卒業後すぐに結婚した富枝の内職仕事と深川の人に助けられながら、「ぶらぶらしている」と表現する他ないような毎日を過ごしていた。そんな中で、暇にかまけて(というのもひどいが)浅草に出て小笠原君を探し出し、この店に連れてきたわけだ。
 それを期に、彼はちょくちょく神田に来るようになった。不自然なほど饒舌じょうぜつな日もあったし、二言三言喋っただけで黙りこんでしまう日もあった。それから少しずつ明るさを取り戻すきざしはあったが、例の「疲れ」の原因になっていること――戦地でのことは、一切語ろうとしなかった。私達も、その辺「聞くだけ野暮」の姿勢に徹していた。
 そして年末のある日、こんな話をした。
「富枝のやつ、『まだ、なんとでもなる。あなたはしばらくゆっくりしなさい』って、裁縫の仕事を家でやってたんだけどさ。そのうち、あいつ『こういうのを所帯やつれっていうのかなあ』みたいな感じになっちゃったんだよ。でも、俺のことを怒らないんだ、全然。俺がおかしくなっちゃってるのをあいつだって分かってただろう、だからなおさら、なのかなあ」
 それから、彼は卒業制作で描いた富枝の像を思い出した。作品は空襲で焼けてしまっていたが、もう一度見たい、と強く思った。あの頃の富枝ではなくなっている、その一因が自分にある。そう気づいたのだろう。「それでやっと『いい加減に働かなきゃ』って思えたんだよ。『俺もあいつも、元に戻らなきゃ』って」
 この話をして以来、彼は我々には涙を見せなくなった。年が明けてから、地元の人に「職を世話してほしい」と頼んでみたらあっという間に決まった、先方でも平澤君が働く気になるのを待っていてくれたようだ。
「自転車屋だったな」
「それがさ、最近になって自動車のほうも始めたんだよ。米兵相手の仕事だ、ジープの修理なんかを請け負うんだよ。その辺、いちから勉強していかなきゃいけないんだけど、楽しいもんだよ」
「やっぱり、商売をやりたいんじゃないのか?」
「まあ、そういう気持ちもあるけどな。『そのうち、車の修理だけじゃなくて車一台売ってみるか』なんて、仲間と笑ってるよ」
 すっかり元どおり、といえるのかどうかは彼自身にしか判断できないことだろう、とは思う。でも、ひとつ壁を乗り越えた、といってもいいのではないか。
「何か辛いことなんかがあったら、遠慮せずに言ってくれよ」
「うん、ありがとうな。
 それにしても、大畑がそんなことを言ってくれるなんてなあ。芸校時代のお前の頼りなさといったら……」
 そう笑いながらも少しだけ目を潤ませた後、平澤君は「ところで、小笠原のほうはどうなんだ?」と尋ねてきた。
「彼のほうも、もうすぐだよ」
 小笠原君に、平尾君が「人物画を教えてやる」と言っている旨を伝えたら、やはり最初は「今さら芸校の敷居をまたぐなんて」云々と言ってはいた。しかし彼の中で引っかかっている点などを改めて聞き出して後ろ向きな気持ちを払拭ふっしょくさせ、1週間後の夕方にふたり揃って芸校に足を運んだ。平尾君はもちろん他の講師達もあたたかく迎えてくれたし、その後週1回行なわれた放課後の人物画教室では、早い段階でその成果をみせ始めた。
「でもさ。彼の人物画、覚えてるだろう?」
「うん、覚えてるよ」
 私も平澤君も、失礼ながら笑いをこらえながら振り返るしかなかった。機械を描かせれば写真と見まがうほどの出来なのに、人間の顔を描くと彼のなんともいえない「癖」が前面に出る。そのせいで浅草で似顔絵を描いては素人にからかわれ、おかしな形で収入を得ることになっていたわけだが。
「『その癖を克服したい。まともな絵が描けるようになるまでは連載なんかできない』って、腕を上げた後も言い張ってたらしいんだけどさ。平尾君は『小笠原君なりの味ってことでいいだろう』って言って、俺にも『これで大丈夫だ』って自信を持たせてやってくれ、って。
 本人はそれでも納得できなくて、一時へそを曲げて『やめようか』なんて言ってたけどさ。編集部にもせっつかれたし、『ぶらいと』創刊が発奮材料になったんだろうな」
 実はもう描き始めている、連載が始まるのは夏になってからの予定だ。空想物語風の原作は結末まで書き上がっているから、小笠原君のほうは頑張ってなんとか追いつかないといけない。
「あらすじをちょっと聞いたんだけど、なんだか奇想天外な話だったな。その点でも今までになかったものといえるだろうね」
「小笠原にいわせれば『読んでからのお楽しみ』ってところか」
「『争いごとや国粋こくすい主義的な要素は入れないように』っていう指示がGHQからあったっていうんだ。昔あったような戦記ものは論外、『平和が一番。争いごとをしない人間が一番賢い』っていうオチに持っていかなきゃ駄目なんだ、って。それもあって、なんとも不思議な物語世界に行きついた、ってことらしい」
「小笠原も、新しい時代の絵に携わろうとしてるんだな」
「そうだな。彼も武村さんも、本当にすごいことをやってるんだよな。
 それでさ。先週、小笠原君が芸校に行った時にさ。あの陽子ちゃんが来ていたっていうんだよ」
「本当か! あの子も元気にしていたのか、よかったな。
 それにしても小笠原のやつ、ちょっと気まずかったんじゃないのか?」
 芸校の元モデルであり、青海君の婚約者でもあった陽子の名前を小笠原君の口から聞いた時はとにかく驚いた。まさに彼女がモデルを務めていた授業の最中に、彼は当時抱えていた苦悩をぶちまけるようなことをやって仲間を心配させたのだから。陽子にとって、それはかなり面白くない出来事だったはずだ。
「描いていた顔を墨でぐしゃぐしゃって塗りつぶして、飛び出していったんだもんな」
「やっぱり、当時のことをちくちく言われちゃったってさ。でもそのあとは普通に接してくれたっていうけど」
 それから、私と平澤君で「ぶらいと社」と小笠原君の激励会みたいなことをやろうか、と話し合った。会場はもちろんここで、これから光の当たる場所に行こうとしている3人と仲間達を集めてささやかなパーティーを開こう、と。
「そうだ、芸校組の引率係を小笠原に頼もうか。あいつと陽子ちゃん、道中どんな話をするのかなあ」
「ちょっと意地悪だな、発ちゃん。あの出来事があったからってわけじゃなく、小笠原君は元々、ああいう感じの子には苦手意識があるんじゃないかと思うよ」
 小笠原君からその名前を聞かされるまでは、正直なところ陽子という名前を半ば忘れてしまっていた。懐かしい仲間のひとりではあるが、青海君との死別という悲しい思い出を共有する者どうしでもある。だから無意識のうちにその面影に背を向けていた、というのもあるかもしれない。
 それでも、元気でいることが分かった。安心したのと同時に、これまでの道のりがどんなものだったか、ちょっと勝気だが心根は優しい彼女のままで歩いてこれたのかどうか。そんなことを知りたくなっていた。

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