例の応募作の原文(第4部のつもり②)

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 昭和21年の年が明けた。我が家はまだ本業の書店を再開してはおらず、「まずは人助けを」という父の方針に従って諸々動いているうちに、井戸端会議場あるいはよろず・・・相談所的な機能も持つ場所に変わり始めていた。
 尋ね人の貼り紙を受け付けるのは相変わらずだったが、そのうち探す人と探されている人がこの場で再会を果たし喜び合う、といった場面に立ち会うことも増えた。父が「人がつどう場所があってもいい」と言い出し、すかすかになった本棚の一部を片づけて小さなテーブルと椅子を置き、残った本を自由に読んでもらえるようにした。父が言っていたような茶菓でもてなす店などとはまた違うが、楽な気持ちでひと時を過ごせる場所を提供するつもりで作ったこの小さな空間に、地元民のみならずいろんな人が訪れるようになった。
 正月の2日、近隣の顔なじみで同業者の柴田さんが我が家を訪れ、小さな年始会を開催することになった。彼は還暦過ぎで出征を免れ、店を閉じて縁故疎開をしていたが年の暮れに戻ってきたばかりだった。帰京する時に疎開先の人が餞別に持たせてくれたという梅酒を持参し、我々に飲ませてくれた。
「どうだ、やっぱりちょっと物足りないだろう?『5年ものだ』なんて言ってたけど」
「いや、旨いですよ。なにより、このご時世でお屠蘇とそをいただけるなんて思ってませんでしたから。ありがたいです」
「そうか、よかった。まあ、お屠蘇っていっても梅酒だけどな。こういうのはどうしても砂糖を入れなきゃ駄目なんだそうだな、糖分がないと梅のエキスが出ないから味気ないものになるんだってさ。
 梅の当たり年があって、疎開先のおかみさんが初めて作ったっていうんだけどさ。焼酎しょうちゅうしかなかったから元は梅の焼酎漬けでしかなかったんだ、でもさっき言ったように糖分が必要だってことで、味醂みりんが残ってたのをちょっとだけ入れたんだとさ」
「砂糖類も、今は自由に手に入らないもんなあ。それでもさっぱりして、これもまた旨いよ。
 ところで柴田さん。今後、店はどうする?」
「店か。本当のことをいうと、このたび戻ってきたのは店を整理するため、みたいなもんなんだ。戦争で振り回されたし、俺ももういい年だしさ」
「寂しいことを言うなよ」と父は柴田さんに言ったが、彼の年齢を考えればそういう選択肢も出てくるだろう、とは思う。当時の出版業界は空前の創刊ブームといってもいいほどだったが、本を読者のもとに届けるという形でブームを牽引けんいんしているのは我々こと書店ではなく、ヤミ市の連中だ。店を構える者が店を開ける、という普通のことができない状況がいつまで続くのか分からないが、ここで奮起して…… という気持ちにならない、というのはなんとなく理解できる。
「うちはね、世の中が落ち着くまでは人助けに精を出すつもりなんだ。でもいつかは店を再開させる、そう決めてるんだよ。なあ、隆一」
「お宅は隆ちゃんがいるからいいじゃないか。うちは娘婿も『店はやらない』って言ってるんだし、娘夫婦に厄介になって楽隠居らくいんきょしたってばちは当たらないだろう」
 発破をかける父をちょっと鬱陶うっとうしく思ったのか、柴田さんは話題を変えた。疎開先のおかみさんというのがとんでもない下戸げこだった、アルコールを一切受け付けない体質なのに梅酒などを作り、その出来ばえを確かめようとひと口味見しただけでひっくり返ってしまった。旦那さんが帰宅した際には真っ赤な顔で横たわり、か細い声で「お父さん、どうしよう」と助けを求めたという。
 そんな笑い話を聞かされている時、店の外で「こんにちは。新年早々すみません」と声がした。ちょっと高めの声に、聞き覚えがあった。
「ああ、薫ちゃん!」
「隆ちゃん、久しぶり! ごめんね、いきなり来ちゃって」
「君は隆一の同級生だったな、学生時代に遊びに来てくれたじゃないか。さあさあ、中に入りなさい」
 声の主は、あの飯村君だった。18年に時局画展でばったり会い、悲しくなるような対話をして以来の再会だ。彼はなんと、学生時代彼が慕った武村さんを伴っていた。
 飯村君は徴用で神奈川県内にあった軍事機器の工場に回され、やはり戦争賛美のポスターなんかをさんざん描かされていたが工場は終戦の前月に空襲に遭った。そのまま終戦を迎えて東京に戻り、武村さんと再会したのだという。
「それにしても、こうやってみんな元気な顔で会えるなんてね。武村さんもうちに来てくれるなんて」
「うん。あのね、僕達、新しい本を作ろうって話をしてて。武村さんが編集長で、僕は助手になるの」
「そうなのか! どんな本だ?」
「スタイルブック、っていうのかな。女の子がきれいになるための本」
「武村さんと薫ちゃんが、本を作るのか。すごいよ。それはすごい」
 再会の嬉しさに加え、わくわくするような話をいきなり聞かされて、高揚した気持ちをどう収めればいいか分からないほどだった。こんな喜びを感じるのはいったいいつ以来だろう、と思っていると、武村さんが言葉を継いだ。
「僕らの絵と、ファッションや身だしなみに関する随筆ずいひつを柱にした本を作りたいんだ。僕の在学中からの夢だった。戦前に活躍していた先生方にもお声がけしていこう、と思っている。最終的には月刊化を目指すつもりだ」
「素敵な本になりそうですね。うちの店にも、武村さん達が作った本をぜひ並べたい」
「うん、その時はよろしくね。
 まだほんとに大変だけど、僕達や世の中の人みんなが、それぞれできる限りのことをやっていいものを作ればその大変さも減っていくでしょう、きっと。みんなそうやって頑張ってれば、きっといい日が来る!」
 興奮気味にまくし立てる飯村君を、相かわらず冷静な武村さんがさえぎって私にこう訊ねた。
「大畑君、突然押しかけて図々しいお願いをして申し訳ないんだが…… 雑誌の創刊を準備する場所が必要なんだ、もしお宅に使っていない部屋があったら貸してもらえないだろうか。
 神田は空襲にやられなかったしこういう土地柄だ、書店だけでなく出版社も多いじゃないか。本を作る場所、つまり僕らのオフィスを構えるにはうってつけだと思ったんだ」
「うーん。残念ながら、うちは…… もしあれば、喜んで提供するところですけど」
「ああ。それなら、うちに入ればいいよ。この近くで、二間にけん間口まぐちの小さな店をやってるんだけどさ」
 初対面のふたりの話を黙って聞いていた柴田さんが、いきなり言った。「俺はもう年だし、このどさくさ・・・・を乗り越えて本屋を再開するのはちょっと難儀なんぎだし、閉めようかって話をさっきしていたところだよ。
 隆ちゃんの親父さんは『寂しくなる』なんて言うけどさ、あんたらのような若い力でもってこの神田を盛り上げていくっていうんなら、そっちのほうがいいだろう」
「いいんですか? まるごと1軒?」
 武村さんが彼らしくもなく興奮した様子で柴田さんに尋ねると「もちろんだ」という答えが返ってきた。
「元は、娘夫婦ともども店の上の階に住んでたんだけどさ。今は、娘婿の仕事の都合で若い者は郊外に住んでいる。俺とかみさん・・・・も、そこに引っこむつもりなんだ。あんたたちの仕事場だけでなく、寝起きする場所も確保できるよ。
 そうだな、春の彼岸の頃を目途に明け渡すってことでどうだ?」
「はい。よろしくお願いします」
 建物を賃貸で使わせてもらうことになり、柴田さんの引越しの際に手伝うことや、不要な家財道具を武村さん達が引き取ることも約束した。大きな話だが、お互いの望みがかなえられるとあって、あっという間に決まってしまった。「ただ口約束でというわけにはいかない、近所の不動産屋に詳しく聞いて、契約書類が必要なら作ってもらわなければいけない。後日またここで相談を」という話までして、柴田さんは帰っていった。
「いやあ、びっくりした。柴田さんがいなくなるのは寂しいけど、神田に新しい風が吹こうとしてるなあ」
「そうだね。父さんは『神田の街を盛り上げたい』と思って柴田さんに残ってほしいって言ったんだろう? でも柴田さんが言ってたとおり、こんどは若い力が神田を盛り上げてくれるよ。
 それで、武村さん。入居は春の彼岸の頃、創刊の目標はいつ頃ですか?」
「え、なんだか昔の隆ちゃんと違うね」
 飯村君も驚いていたが、私自身も先輩にそんな確認をしていること自体、私らしくもないと思ってはいた。でも確認したくてたまらなくなっていた、彼らの本が創刊される前に書店を再開すること、彼らの作る本を店頭に並べることが、新たな目標になったからだ。
「そうだな。それなら、今年の夏創刊を目指すか」
「じゃあ、うちは5月までに店を再開します。
 父さん、それでいいね? 露店の連中だけにいい思いをさせておくのは悔しいじゃないか、本の需要はあるんだからそういう希望にも応えていかないと」
 
 飯村君と武村さんの来訪以来、私の内面にも明らかな変化があった。父が標榜ひょうぼうする「人助け」の素晴らしさ、楽しさを、私自身がようやく実感できたからかもしれない。旧友と柴田さんの橋渡しをしてやったことこそが、父がいう「よろず相談所」の名にふさわしい行動だったのではないか、とさえ思えていた。
 そんな喜ばしい、飯村君達にとっては幸先さいさきのいい出来事があった正月が過ぎて、街頭からはそれらしい雰囲気が消え去ったある日。
 私は九十九里に食糧調達に出向くため、神田駅に向かっていた。通りには相かわらず戦災孤児の群れと、ジープの荷台から彼らにチョコレートをばらまく米兵の姿があった。「ギブ・ミー・チョコレート」の大合唱を聞くとやはり胸が塞ぐような思いがして、つい先日の心おどるような出来事を思い出せば、あの高揚感に包まれたことが申し訳なくなるほどだ。
 孤児の群れの中には、もちろん女の子もいる。希望に満ちた我が旧友、飯村君と武村さんがやろうとしていることは、いつかあの子らにとっても光明こうみょうといえるものになるのかどうか。いや、きっとそうなるはずだ、そうであってほしい。
 そんなことを考えながら歩いていたら、数メートル先に何やらおかしな雰囲気の男がいるのが目に入った。中肉ちゅうにく中背ちゅうぜいのその男は放心状態で路傍ろぼうたたずんでいるように見えたが、眼鏡のレンズの下から涙がこぼれ、頬を伝っているのが分かった。
 小笠原君だった。学生時代に比べれば随分ずいぶんやせてしまっていたが、牛乳瓶の底のような分厚いレンズの眼鏡と、小脇に抱えた大きな帳面で彼だと分かった。あれはきっと画帖だろう。もちろん声をかけようとしたが、彼のほうは私と目が合うとすぐにそっぽを向き、雑踏ざっとうの中に消えてしまった。
 人違いかもしれない、というのもあり得る話だが。まず、彼は無事だったようだ、というのが分かった。それでも、なぜ彼は神田にいたのか、神田まで来たのならなぜ我が家に顔を出してくれないのか。我が家に来た時の彼は店のレジスターを一心不乱に描き写していた、父もその様子を見て「天才肌だな」と驚いていたものだ。
 そして。彼はなぜ、道端で涙を流していたのか。彼は今、何を思っているのか。

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