【コラム】第八回 霊能力の拡大解釈
霊感や霊能力、予知能力というと、人智を超えた目に見えない力、というような印象を持つ。しかしながら、私たちオカルトファンは、その解釈の幅を明確に定義せず、漠然と話を進めることが多いように思う。
そこで、今回のコラムでは、霊能力とは何か、どこまでがそれを指すのかについて、考えてみたい。
読者の皆様は、霊能力を発揮する人とはどのような人が思いつくだろうか。おそらく、霊能者、霊媒師、占い師、超能力者、神仏関係の職に従事する者などが候補に挙がるのではないだろうか。その根拠として、予兆を感じたり、未来予測を行ったり、霊視ができたり、祈祷をしてくれる人だから、と答える方は多いはずだ。
私の考えでは、生まれながらにして霊能力が強い人や、修行を積んで能力が強化された人に加えて、「霊能者がありそうな人」がごちゃ混ぜになっているように思う。例えば、①霊能力はないが業務的に伝統としてその能力があるような立場を受け継ぐ者や、②統計的に占いを仕事にしている者、③心理カウンセラー的立場でズバズバとアドバイスをくれる者、④祈祷をするだけで特に霊能者でもないのにそれっぽく思われている者などが当て嵌まる。
それゆえに、真偽のほどはともかく、本当に霊能力を持った人が埋もれて霞んでしまい、本来の意味での霊能者ではない人がメディアに取り上げられることもあるだろう。
もう少し具体的に考えてみる。先述の①業務的に伝統を受け継ぐ者とは、例えば、青森県で有名なイタコである。彼女らは霊能力があるかないかは問わず、その存在自体が、風習のなかに溶け込む文化の生き証人として貴重だ。もちろん、なかには本当に先祖の霊を自らに憑依させて、口寄せを行える人もいるのかもしれないし、かつていたのかもしれない(イタコの数は全盛期に比べて減っている)。ただし、イタコの場合は霊能者というより土着の相談役という印象を私は抱く。
②は、言葉通りの意味だ。水晶玉を目の前に置いて、「はあー!あなたの未来が見えますー!」という人はマスコミが作り出した占い師の典型であり、そんな人はゴロゴロ転がってはいないだろう。多くの占い師は、「易学」として、学問的に占いを行っているはずだし、それは私も参考程度に見聞きするので占いは好きなほうではある。霊感の強い人が占い師を兼ねるケースもあるが。
③は、心理学や精神医療を専門にして、相談者にアドバイスをする者である。重ねて述べるが、霊感が強い人は世の中にいるだろうから、対面で霊感を発揮してアドバイスをするカウンセラーも、いないとは言い切れない。相談者を励ましたり、社会復帰を促すために、優しい言葉をかけるのが仕事になるので、ときに霊能者のような見え方をされることもあるだろう。
例えば、身内に不幸があり立ち直れない遺族の相談者には、「供養をしっかりすること」「墓参りに行くこと」など、そんな表現はつい、してしまう可能性だってある。そのような表現がカウンセラーの経験となれば、相談者の立ち直りを加速させるパターンとしてのスタイルが自己に確立され、心を許す相談者もいるだろう。そうなれば、信用、信頼が厚くなり、霊能者的なアドバイザーの側面が出てくる。
④は、①と近い立場であるが、少し異なる。土着の信仰など狭い範囲ではなく、一般的な祈祷やお祓いをする寺の住職や神社の神主がそれにあたる。本人には霊能力や除霊の能力がなくても、寺や神社を受け継ぐ立場として、作法を学び、受け継ぎ、日々、経典を読み解き、その職に従事しているわけだ(神仏の世界に身を置く方は、職業という言い方も適切ではないかもしれないが)。
これらの立場の他に、ヒーリングや「気」を得意とする人たちも存在する。相談者に音楽を聴かせて、リラックスしてもらったり、手を患部に翳して「気」や波動のような力で治療を行うなどが、その処置法である。
超能力の類のような気がするが、霊能者と横並びで語られることもあるようで、では霊視と同じかというとやはり異なる。人間の精神的な部分を利用して治癒を促すというだけかもしれないし、本当に気を放つ人なのかもしれない。
ここまで霊能力について、一括りにされがちな立場の人や能力について考えてみたが、読者の皆様はどのような見解をお持ちだろうか。私の結論としては、霊能者と呼ばれる人が拡大解釈されすぎており、散らかっている印象を持っていた。
本来、霊能力が強い人は割合としては少ないはずだ。みんなが当たり前のように力を発揮できれば、そもそも霊感があるないの話は話題にならない。第一回コラム(オカルトとカルトの違い)でも記したように、悪徳霊能者に騙されないためにも、「これは霊能力なのか?」という猜疑心を持つように心がけていただきたい。
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