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 二戸駅から電車で数分。いよいよ金田一温泉駅に着いた。駅の渡り廊下から改札を抜けた駅の正面まで、どこを見ても「座敷わらし」の文字が目に入る。町のシンボルとして地元の人たちがその不思議な存在を大切にしているのが伝わる。

金田一温泉駅。
歓迎ムードの駅前。

 駅から緑風荘へは送迎バスが出ているが、今回は土地を踏みしめ感じる為に少し歩いてみることにした。ちなみに、私の歩行スピードでは到着まで凡そ二十分は掛かったので、地図を見て行動するのが不安な人は無難に送迎バスをお願いした方が良いかと思う。
 駅前の交差点を曲がる。しばらく歩くと、静かな村に川音が響き渡る。幅が広く村を縦断するのは馬淵川。橋を越えて進んで行くと、割られた薪が積まれた空き地が目に付いた。家庭菜園をしている様子の住宅。林に囲まれた一本道。このような場所にあの旅館があるのかと疑問を抱く。数分に一回、車が通り過ぎていく。農家で生計を立てていると思われるビニールハウスも点在している。プレハブ小屋もあった。Google Mapに間違いはないと思ってはいても、流石に初めての土地で十分も経過すると道を間違えていないか不安になってくる。
 道なりに進んで行くと、私が目指す緑風荘は控えめに姿を現した。

緑風荘の玄関。

 二〇〇九年(平成二十一年)の火災により、「座敷わらし」を祀る敷地内の祠以外が焼失したが、二〇一六年(平成二十八年)に営業を再開した経緯もあって、建物はまだ新築の印象である。入口へと続く石畳を、宿泊客と思われる浴衣を着た年配の男性が、こちらに歩いて出てきた。既に一風呂浴びて、散歩している様子だ。五時チェックインの予定通り、無事に辿り着くことができた。

 中に入ると、正面に受付がある。元気な若い男性の係員に名前を伝えチェックインを済ませると、隣にいた笑顔の素敵な女性が歓迎して下さり、部屋まで案内してくれるとのこと。

「当館には初めてお越しですか?」
「初めてです。ようやく予約が取れまして、楽しみにしてました。数年前に火災があったとのことですが、できたてホヤホヤみたいに木の匂いが素敵ですね。」

 そんな会話をしながら、部屋へ行く前に、座敷わらしが出やすいと話題の「槐の間」を紹介して頂いた。

槐の間。

 嘗てはこの間に宿泊可能であったが、予約が殺到していたこと、座敷わらしは至る所に出現するとされていること、火災で全焼したことなどをきっかけに、今は宿泊はできない。しかし、二十四時間見学できる空間として開放しているとのこと。後でじっくり検証してみようと、まずは部屋へ向かった。

客室が並ぶ廊下。

 客室にはそれぞれ名前が付けられており、私に割り当てられた部屋の名前は「やまぶき」であった。案内された部屋へ入り、一通り旅館の説明を受けると、腰を下ろしてホッと一息つく。これからが怪異と向き合う本番だ。

宿泊した部屋。和洋室である。

 軽く休憩を取った後、槐の間へ行ってみた。「夢」と書かれた掛け軸が印象的な部屋だ。その真下には、座敷わらしを模した木像があり、その周りには宿泊客が持参した思い思いのお土産が供えられている。念願叶って宿泊できることに感謝して、私も小さな玩具と絵を置いてみた。

お供物がたくさんある。左は私が描いてみた絵と玩具。

 この間に来たからといって、私は特に何かを感じるわけでもない。引き戸を取っ払った二間の座敷の反対側は、ハンガーに掛けられた半纏や宿泊客の不思議エピソードが記された日記帳やフォトアルバムが展示されていた。寄せられた話に目を通してみる。皆さん、やはり不思議な体験をされる方は少なくないようだ。そこで写真を一枚撮ってみる。

来てすぐに撮影。画面左に薄いオーブが写る。

 おや、と思った。薄っすらと、所謂、オーブが写る。私はこれまで、オーブというものを生まれてこの方、撮ったことがないのだ。急いで連写を試みた。

直前より濃く写ったオーブ。

 一枚前よりやや中央にオーブが移動している。しかもさらにはっきりと写った。

 ここで、オーブについての私の見解をはっきりさせておきたい。基本的に私は、写真に写るオーブと言われている球体に関しては、体感として八割方はただの埃だと思っている。何故、八割なのか問われれば、これまで撮影してきた感覚として、割合、そんなもんだろう、ぐらいの感覚としか言いようがないのは申し訳ないが、本当にそれぐらいに思っている。特に、暗い部屋でフラッシュを焚いて撮れば、目に見えない埃に光が反射して写ることはよくある。何でもかんでも霊体だとか騒ぐ必要はないと思う。しかしながら、稀に色が付いたオーブや明るい部屋で撮れた異様な大きさのそれが写ることもある。このような場合は、直ちに埃だと判断もできない。また、霊魂だと言うこともできない。何か不思議なものだなあと思う程度で良いだろう。重要なのは、「わからないことはわからないで良い。わからないことを、さもそうであるかのように断言することは無意味で、それは時にカルトになってしまう」ということだ。このあたりの問題意識については、「第一回 オカルトとカルトの違い」で詳述したので、是非、読んで頂きたい。

 そこで、もう一枚、撮影してみた。

同じ状況で同じ角度から撮ってみた。オーブは写らず。

 同じ状況で連写したにも関わらず、僅かな時間差でオーブが写らないこともある。正体不明だが、人生で初めての体験であり、自宅とは違ってやはり不思議な空間なのかもしれない、ぐらいには思った。
 続いて、敷地内に設けられた亀麿神社へ向かった。(続く)

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