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東京大学2020年国語第4問 『詩を考える言葉が生まれる現場』谷川俊太郎

 詩をつくる人がことばに対してもっている感性について書かれた文章を題材としている。文系のみを対象としている問題とはいえ、多くの受験生にとってなじみがあるとはいえず、文章も簡明とはいえない。
 このような問題文に共通する対処法として、問題文中に出てくることばを無理に解釈しようとせず、もっぱら記号論理的にあつかい、解答を組みたてていくことが有効であるように思う。

問題文はこちら

(一)「作品をつくっているとき、私はある程度まで私自身から自由であるような気がする」(傍線部ア)とあるが、それはなぜか、説明せよ。
 筆者は、詩や絵本については「作品」、説明文のようなものは「文章」と呼んでいる。
 作品をつくるときについては、「そこでは自分を私的と感ずることはなくて、むしろ自分を無名とすら考えていることができる」のだとしている。
 また、作品については、「そこに書かれている言語の正邪真偽に直接責任をとる必要はない」と感じている。
 また、「作品においては無名であることが許されると感じる私の感じかたの奥には、詩人とは自己を超えた何ものかに声をかす存在であるという、いわば媒介者としての詩人の姿が影を落としているかもしれない」とある。
 以上のことから、「作品を作るときの自分は、自己を超越する存在との無名の媒介者だと考えられ、作品の真実性に対し直接責任を負う意識を持たずにすむから。」(64字)という解答例ができる。

(二)「そこで私が最も深く他者と結ばれている」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
 傍線部イの「最も深く他者と結ばれている」と同義なのは、第6段落の「自己を超えた何ものかに声をかす」と第7段落の「真の媒介者となる」であると考えられる。
 また、そうなるために必要なことが、第7段落の「その言語を話す民族の経験の総体を自己のうちにとりこみ、なおかつその自己の一端がある超越者(それは神に限らないと思う。もしかすると人類の未来そのものかもしれない)に向かって予見的に開かれていること」と「自分の発語の根が、こういう文章ではとらえきれないアモルフな自己の根源性(オリジナリティ)に根ざしている」とであると考えられる。なお、「アモルフな」とは「一定の形を持たない」という意味だとする語注があるので、それを解答に反映する。
 以上のことから、「民族の経験という一定の形を持たない自己の根源性に根差した発語の根を持つことによって、自己を超えた存在との真の媒介者となるということ。」(66字)という解答例ができる。

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