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東京大学2002年国語第4問 『転校生とブラック・ジャック』永井均

 入試の受験会場で初めて読まされ、短時間で解けと言われたら途方に暮れるような難問。
 こういう抽象度の極めて高い文章は、用語の定義と論理展開を丁寧に押さえていくしかない。具体的にイメージできれば多少楽だが、イメージしにくい場合は抽象的な言葉をそのまま数式にでもあてはめるようにして整理していくしかない。

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(一)「ここでは、記憶が誤っていることは、ことの本質からして、ありえないからだ」(傍線部ア)とあるが、なぜ「ありえない」のか、説明せよ。
 傍線部アの理由は、第2段落において「記憶」がどのように説明されているかをたどれば明らかになる。「(青い鳥と共にすごした楽しい幼児期の)記憶は、確かな実在性をもつ。なぜなら、それが現在の彼らの生を成り立たせているからだ」とあり、また「彼ら自身を成り立たせている当のものであるその記憶」ともある。つまり、記憶は自分自身を成り立たせている基盤なので、確かな実在性をもつということだ。
 さらに補充となる理由が傍線部の直前にある。「もし彼らに自己解釈の変更が起こるとしても、それは常に記憶の変更と一体化している」という部分である。仮に自己解釈が変更されることがあるとしても、それに合致するように記憶も変更されるので、どちらにしても記憶が誤っていたということにはならないのだ。
 最後に、これらのことはあくまでも解釈学が前提であることを忘れてはいけない。傍線部の「ここでは」とは、解釈学の見地では、ということだ。
 以上から、「解釈学的見地では、自分自身の成立基盤である記憶は確かな実在性を持ち、仮に自己解釈が改まる場合もそれに沿って記憶も改まるから。」(62字)という解答例ができる。

(二)「いまそう問う自己そのものを疑うがゆえに、それを問うのである」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、わかりやすく説明せよ。
 傍線部イを含む文は第4段落の最後の文だが、段落中途の「それに対して系譜学は~を問う。」という文からの続きである。段落中のこれ以後の文は、重文となっているものも含め、すべて「系譜学は」である。(さらに言えば、述語はすべて「問う」となっているので、「系譜学は、~を問う。」という文がリフレインされていることになる。)
 これらの文を参照して、解答の骨組みを「系譜学は、Aであるがゆえに、Bを問うということ。」とし、AとBそれぞれに当たるものを説明すればよい。もっといえば、「系譜学がBを問うのは、Aだからだということ。」とした方がよりわかりやすい。
 まず、Bから考える。文をたどると、「いつから、どのようにして、鳥がもともと青かったということになったのか」「解釈の成り立ち」「記憶の内容として残ってはいないが、おのれを内容としては残さなかったその記憶を成り立たせた当のものであるような、そういう過去」「(現在の自己の)成り立ち」とされている。つまり、「現在の自己の解釈がいつ、どのように成り立ったかという経緯」ということである。
 次に、その経緯を問う理由となるBを考える。これについては、同じ第4段落に「ある時点でもともと青かったということになった視点」とあるので、その視点を導入するから、と考えることができる。これを言い換えたものが、「これまで区別されていなかった実在と解釈の間に楔を打ち込」むから、ということになる。
 つまり、解釈学が現在の自己の実在についての解釈は自明のものであり、過去から現在まで不変のまま継続したものであるという視点に立つのに対し、系譜学は現在の自己解釈は自明ではなく、過去のいずれかの時点で成立したものだという視点を導入するものだということである。
 以上をまとめると、「系譜学が自己解釈の成立経緯を問うのは、現在の解釈は自明ではなく過去のある時点で成立したものだとする視点を導入するからだということ。」(65字)という解答例ができる。
 なお、本問については、入不二基義著『哲学の誤読』(筑摩書房)に興味深い別解が紹介されている。これについては、追記において触れることにする。

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