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「ラク」ってなんだろう
先日、ボスから「ラク」じゃないとうまくいかない、続かないと言われた。
この「ラク」っていうのがすごく自分の中で引っかかる。 そんなラクについてのちょっとした考え事をしてみる。
人から学ぶ、人と出会う
私は塾講をしている。 そこで学ぶのは人に対する言葉が自分に返ってくるということだ。
例えば、結果を求めることによって、何か本質を見落とし、良い結果が出ないこと。 これは、まさに受験生が模試の点数ばかりを気にして学問とはどのようなものなのかについてわからず、がむしゃらに演習だけをしている状態に他ならないだろう。 いろんな問題集に手をつけ、ただその不安感のみによって突き動かされひたすら脳死での演習を繰り返す。
そう、考えないことこそが、物事を失敗する鍵となることであろう。 しかし、盲目的な状態でどうやってその本質を捉えるのだろうか。
これを執筆しながら、それはきっと人の出会いではないかと考えた。 確かにボスも人との出会いを大切にしている。
では、自分なりの努力をして、人と出会った時、どのようにすれば変われるのだろうか。 それは、もしかすると失敗し自分を見つめ直す勇気なのかもしれない。
浪人をした時、自分について毎日ノートに何かしらのことを記した。 その1年間はどんな時よりも成長した。これは間違いない。
だから自分を見つめること。 考えることが、もしかしたら重要なのかもしれない。
物理とラク
もう1つ今日は考えてみたいことがある。 それは、私が高校時代にハマった物理のことだ。
なぜか、物理は異常なほどラクにできた。 定期テスト前なんて予想問題を作るぐらいだ。
でも、なぜだかがわからない。 センスがあったから?そんな簡単な言葉で事象を説明することを怠る大人にはなりたくない。
実は物理は1つの問題集しかやっていない。 1つの問題集を何回もやり、その先に何かを見出したのか。 またこれか。どうせこういうふうにやったらいいんじゃないか。 そのような思索と答え合わせを繰り返す中で自然と物理のセンスが身についてのかもしれない。
「どうせ」 これは非常に大切な言葉だ。
先日の研究でも一気に進捗を産んだのは、こうやったら、うまく行くんじゃね。 そのような「いいかげん」な目論見だった。
このような思索(試作)と擦り合わせができるへの第一歩なのかもしれない。
そうであったら、「ラク」とは非常に遠い世界だなぁ。 一見するとそう感じる。
でも、もしかすると、「ラク」っていうのは、簡単であるとかそういうことじゃなくて楽しいという意味のラクなのかもしれない。 そうか、物事うまく行くためにはラクじゃないといけないのかもしれない。
そんなことを考えていた今日この頃だ。
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