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隊員総会でほんとは言いたかったこと/欲しかったもの

海パンとTシャツのバケーションの気分で入国した昨日とは、違って今日は総会。ホテルで朝食を食べ、プールで泳ぎ、悠々とJICA事務所へ向かった。

はじめに、青年海外協力隊の隊員総会が何かを説明しておくと、半年に1度管轄するJICA事務所に集まって、帰国が近い隊員は最終発表というかたちで取り組みや成果をプレゼン、その他の隊員も同じように進行中の取り組みや成果を紹介して互いの活動のヒントになればいいな、という情報共有の場である。ここセントルシア事務所の場合は、午前中にそれらをどっと詰めてやりきって午後からは所長講和や、大使館の方からの安全管理、健康管理やら、事務所連絡やらなんやらがあって4時半ごろに終わる。

それで、ぼくは赴任4カ月で初の総会でたかだか5分だし、「みんな適当だよ~、ここは緩いから~」って話だったので、そうかそうかと、パワポに写真を適当に朝少し起きて貼って、事務所までの道すがらどう話そうか考えていた。(当日の朝までだいたいのイメージしか持っていなかった)

蓋を開けると、みんなめちゃくちゃきっちりしていて、派遣先が抱える実際の課題を写真と言葉で見事に紡ぎだしていた。焦った。だってぼく全然語れるようなことやってないんだもの。

ぼくが当日発表したことというのは、こういう課題があります、SNSアカウント運用してます、少しずつ数字集まってきてようやく活動のベースとなる環境が整ってきましたっていうのを早足で紹介して終了。(※下部にプレゼン関連記事)

ぼくは思ったんだけれど、こういう共有会は誰に向けての、何の共有かって解釈は人それぞれなんだなぁと。

少なくとも大きく分けて2つのタイプがあるように見えた。いや、気づいたというのが正解かもしれない。

1つはとりあえず、やったこと全部発表して、経験したつらいことしんどいことっていう感情の共有を図るタイプ。承認欲求とか同情が欲しくて、共有することによって自分が満たされるタイプ。自分君と名付けよう。

他方は、自分の感情は抜きに現状の分析を淡々とやって、行った課題に対する施策の具体例は主なものをさっと紹介するタイプ。オーディエンスに向けて、解決したいコアな課題とそれに対する取り組みの共有をするもの。ロボット君。

ぼくは後者をやろうと思って、出来はどうあれやったわけだけだけど、全然満たされない。やってやった感がない。ドヤァができてない。

それはもちろん、前提となる活動がいまいちだというのもあるけれど、何かが足りないような気がした。

「最初、サッカーがしたいけど7人にしかいないどうしよう…って話で、じゃあとりあえずできることからやろう、フットサルをやりましょう!みたいな身の丈にあった提案して足元を固めて、あと4人どうやって集めるかを考える仕事を想定してたんだけど、ふたを開けると、メンバーは3人しかおらずフットサルもできる状況ではなかった」っていう、いかにセントビンセントの視覚障害者協会のマンパワーが足りないかを表現したたとえ話ができなかったことを悔いているのかなあ、なんて思っていたのだけど違った。

ぼくが求めていたものは慰めだった。

ぼくの後の隊次でセントルシアの視覚障害者協会に同じくマーケティング隊員が派遣されていて、どう障害者の人たちのモチベーションを上げるかとか、いろいろ聞きたかったのだけど、健常者スタッフが4~5人いるという話を聞いてぼくは心を閉ざしてしまった。

環境が…違い過ぎる…。

ぼくの勤めるセントビンセント視覚障害者協会はオフィスは廃墟のようだし、健常者はぼくを入れて2人しかいない。新しいことを始めようにも自分の業務量を増やすことにしかならない。誰かに立ち上げた仕事を任せたり渡せる環境じゃない。

さっきのサッカーのたとえ話でいうと、ぼくはボール持ったら1人でドリブル突破して局面を変えることができるタイプの選手ではなくてゲームメイカー(司令塔)タイプ。だから戦略を考える上である程度の人数は欲しい。けど、いないからどうしよう、うーん、うーんと悩んで、外部の協力者を探しているのが今なわけだ。

何が言いたいかというと、進捗がないからと言って何もしてないわけではないのだ。

これができればあれができるってパターンが頭の中にいくつかあるけれど、その「これができれば」の前提ができる目途が立っていないのが現実だ。

ぼくはなかなかに呑気でポジティブだけれど、基本は現実主義的だから、厳しいなぁと日々感じている。

そういうぼくの抱える心労が、総会後の飲み会の帰りポロっと調整員さんと話しているときにでた。「たぶん、あの状況だとPRイベント開催って無理ちゃうかと思うんですよ」と。

ー いやぁ、それは最高難度の案件だからねぇ。

その返答に救われた気がした。

慰めと同情があった。

身体が軽くなった。

この総会期間でぼくが求めていたもの、それは他の隊員の活動からのヒントではなく、然るべき人からの慰めだった。

ぼくは、何もないところから這い上がって来れた幸運なタイプの人間だと思っていて、基本的に何もできないという自負がある。才能がないなら作ればいいとも考えている。この考え方は結構自分を精神的に追い込むからしんどい。ぼくはやっぱり弱いダメな人間だ、と思いやすいのだ。

だから、然るべき人に自分の取り組みであったり、案件の難度を認めてもらうというのは非常に重要な意味を持っている。

身も蓋もない話をすると、みんなにそうやって言ってるのかもしれない。心の内はしらないけれど、それでも、それを飲み込んでも、ぼくの心は晴れた。

まだバーンアウトしてない。

まだ頑張れる。

また月曜日から頑張れる。



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