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未開民族ゴッコ In China

こんばんは、虚無・ラ・ガエリです。

突然なんですが、小学三年生にもなると「ギャングエイジ」なんて大仰な名前の「クソガ期」がやってくるって教育学で聞くでしょ。

わたしのそれはちょっと遅く始まって、だから間延びしてまして、大体小学六年生から中学二年生までギャングでした。コルレオーネだっておどろきだ(中学二年生のクソガ期についてはまた今度)。

じゃあどんなギャングだったのか。Chinaなんてタイトルにあるわけだから「トライアド」とかだろう、と諸賢ならお思いになるだろうが、それはちがう。小学生はトライアドなんて知らない。その名も「未開民族」だ。名前も一般名詞なあたり、まだまだこだわりが薄いのが残念でならない。まあ小学生(そして中学生男子の一部)は国名で肌が黒いやつを渾名すくらい抽象的思考が得意なのだから当然だ。


小学校はどうして体育館裏があらゆる「ウラ」になるのだろう。

DSソフト『おいでよ動物の森』の村間交流会だって「ウラ」で催されていたし、「公然の秘密基地」という「あったかい氷」並みに矛盾しながら「プロレスごっこでケンカになる可能性」くらいあたりまえの存在だって「ウラ」にあったし、誰かがそこからイモリを連れてくる現場だって、決まって「ウラ」だ。面白いものは何でもあるようでないそんな場所。実は集まってきてる児童そのものが面白い存在なのだということを彼らは知らない。

わたしたち「THE 未開民族」も「ウラ」でその尊い産声を上げた。たまに誰かが飛んできたドッチボールの玉を拾いにきていた気もするが、わたしたちは未開民族なのでドッチボールなんてものは目に入らなかった。ほら、たしかレヴィストロースが言ってたことだけど、その共同体の生活に関心の向かないような存在はそもそも「認識」されないし、「名前」だってないのだ。わたしたちだって梅干しに生えてる毛の存在も名前も知らないだろう。そういうこと。

ところでその民族はアマゾネス的だったのだ。つまり、わたし以外は二人共女の子だった。さながらわたしは外の世界から連れてこられた「オス」でしかなかった。高まるよな。

しかし中国要素はどこにあるのだろう?中国でアマゾネスが流行ってたわけではないし、民族料理がお湯にウェイパァーを入れたものだから中国「未開民族」だというのではない。

その村の公用語がなぜか「中国語」だったのだ。

もちろんクソガキが本当の中国語をしゃべっているはずはない。アメリカ人が日本人を忍者にさせたがるように、日本人は日本語を話す中国人の語尾を「アル」にする。だからわたしたちはひたすら「ウラ」に転がっていた木の枝や木の実を弄びながら「Oh~キョウノショクリョウコレダケアルネー」と鼻にかかった声でつぶやくのだ。

ただそれだけならアジアを勘違いしたヨーロッパの巨匠でしかないが、このアマゾネスたち、くっっっそかわいいの。片方なんて初恋の子だった。ただそれだけでこの体育館ウラは「ハイブリッドアジア」から「チャイナドレスの無いチャイナキャバレー」になった。「名前の無い音楽会」みたいな響きだが、何も共通点はない。こりゃアルアルなんていくら言ったって足りない。大アリだ。あの子の少し低めの猫なで声、あれは脳トレなんかよりも刺激受けてる。この場合はアハ体験ではなくアル体験だが。

わたしの小学校の「ウラ」は、小さな生命の神秘のきたねえビオトープだってあったし、どうぶつの森の集落まであったが、キャバクラだってあったのだと銘記したい。あなたの「ウラ」にはどんな「秘密」があっただろうか?


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