Fukuro-

一人で暮らすを模索中

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最近の記事

魚をたべて変わったこと

山から海へ 生活の拠点を変えるとまず変わるのは水だと思う。山での暮らしは基本的に献献と流れる湧水や清水を飲んでいた。 昔の人は、水が変わると子を授かるだとかよく言ったものだ。多分あると思う。僕は相手がないからそれはないが。 肉や魚の保存文化に長けた奥山の暮らしは、タンパク質をナマモノから補充することは現在少ないし、わりと多めの塩と、楽さゆえ肉食に偏る。知り合いの山の猟師は獲物を狩ったときくらいはその肝臓を生のまま食べたりもしていたが。それも昔だ。 海辺の暮らしに変わり

    • 人と人が出会う

      人が人と出会い いろんな出来事をへて いろんな思い出ができる いつしか恋し愛しあい 結婚などをして 子を授かり家族となり 日々、歳ゆくまで互いに愛しあう なにものにもかえがたい充足と幸せ でもそれともちがう 幸福も ある

      • 強欲な大人たち

        人の痛みをなんとも思わない大人がいる 大人の皮をかぶっている素振りで 若者たちにいいたいことは 必死に自分の人生を 少しでも高みに ひとりでも多くにそれを伝えようと 頑張っているのに それを平気で なにくわぬ顔で 強奪するものもいる ということ 知っておいて損はないし そんな人に一生出会わないことだってある 常に、予防線を張ること 自分が傷つかない方法も考えておくこと 相手の平気な嘘に気づけること 人に対して過度な期待をしないこと これはとても大事なことだよ

        • 何かをデザインしてみること

          自分の頭の中にあることをスケッチして、設計して、手作りして、運用していくこと。 一貫してデザインすることはおもしろい。 決めること、決めなきゃならないことが連続していく。 空間なのか、行為なのか、商品なのか。 それとも、お客さんなのか、意思なのか。 そう言う取り組みを日常的に経験してきて思うことは、結果人に支えてもらっているということ。 もちろん小さなことで心を傷めたり、一歩足りなかったり。 積み重ねることでのみ次へいける。 何かデザインするというのは、その人の生

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          金輪際、生涯もう車は買いたくないという気持ち

          前に乗っている車が壊れて、あれよあれよと半年以上が過ぎた… 最終移住には、車も家も、何もかも一切を処分しないと踏み切れないことを目標に掲げている以上、これ以上余分なものを買うことはもう無しにしないといけない。 でも、その前段階。 友人の言葉に甘えて、いつまでも代車生活を送るわけにもいかず、まだ、大きく移動することは楽しみのひとつにしなければならない。 スキーをするにも、旅行をするにも、ライブに行くにも、まだ身体は動きたいと言う。 島暮らしをするようになり、前まで生活し

          金輪際、生涯もう車は買いたくないという気持ち

          炊きたてのさましたて

          お米農家さんの大変さや苦労をよく聞く。 海の家すぐの稲穂も立派に垂れて順番待ちになった。春になって田に水が張られ、いつのまにか苗が植えられて、青く青く、そして草刈りに勤しみ、黄金色に染まるまで、毎日見ているけど、一瞬に思う。 大変さや、苦労話の中身は金銭的なものが多くて、歯痒い。 そんなことは露とも知らず僕は食べる専門で、肩身は狭く申し訳ないがここ何年も普段から一緒に過ごす人のお米をいただいている。 硬めの炊き加減が好きで、かつ、炊きたてをすぐさま冷まして少し冷たく感

          炊きたてのさましたて

          Biohazard について

          新型ウイルスで、その都度大騒ぎ。 そういう状況はまたきっと繰り返す。 たとえ何十万人、何百万人の命を奪う風邪だったとしても、やはり、まだこれくらいで済んでよかったよね。 ということなのではないか。 と、思うべき。 致死率90%だとかのウイルスがやってきたとしたら、こんな暮らしはもうできていないだろ。 優しいウイルスだったんだよね。 くらいに振り返る方が無難だろう。 メディアも、ちょっと騒ぎすぎたかもしれませんね。くらいの振り返りがあってもいいだろう。 次、また強

          Biohazard について

          愛想笑いすらしない生き方

          もう愛想笑いもしない。 にこやかな時は本当に気分がよいだけ。 それ以外は真剣なだけ。 もう人に疲れている。 そんなわけではない。 あなたが自分とたのしくいられる人かどうか。 ただ、それだけ。 お店でも、お店じゃなくてもそれは同じ。 どんどん明らかになる正直な自分。 それでいい。 誤解されてもいい。 やすやすとニコニコとしない。

          愛想笑いすらしない生き方

          素手でフクロウを捕まえた話

          元気なフクロウをを森の中で素手で捕まえた。 これには実に地道な積み重ねがあって、そして…結果から先に言えば、実に簡単に柔らかく両手で包み込むように手にした。 大人しく僕に抱えられたフクロウは、森の王者でもあり、神でもあり、聖者である。 食物連鎖の頂点にいるものは汚れていない。 人は別に食物連鎖の頂点にいるわけではないことをもう少しよく理解しておかないといけない。 実に美しい生き物たち。 僕は生き物たちが大変に好きだと思う。

          素手でフクロウを捕まえた話

          酔いどれローズマリー

          朝6時に、小さい子供の声で目が覚める。 すいませーん。 目の前に3人の男の子。 3人の絡みと寝惚けたおじさん。 騒がしい朝に、まだひんやりする浜にキャッキャと賑わしい声がしたと思えば、唇を紫にしたチビ達がまとわりついて、仕方がないから朝から焚き火。 あったまってもう一回入ってこいと言っているうちに、漁師の先輩がやってきて、そうなると、焼酎である。 朝から酔いどれ焼酎に、お隣さんの庭からむしったローズマリーが旨さを増す。 ローズマリーも太陽の陽を浴びて酔いどれである

          酔いどれローズマリー

          あれこれ

          そんなにいろんなことをキチンとする必要なんてあるのかねぇ。 キチンとしようとしている頭のいい人が戦争をするんでしょ。それに気がついてない人がキチンとしようとしてるんでしょ。 頭がいいのか悪いのかわからないよ。 わからないけど、船の上で、1匹の魚を奪い合う海猫たちは、相手を蹴倒し、頭を踏みつけたりと、喧嘩のようにみえるけど、徒党を組んだ戦争まではしない。 僕は、あいまいに、いい加減に生きる。 それくらいがちょうどいい。 あれこれ難しいことはわからない。

          あれこれ

          書けない悩み

          SNS。 自分がお商売をしていると、これは大変便利だったように思うし、日記の代わりにしておくと、記憶の悪い自分にとって時系列にいつごろどんなことをして、何を思っていたのか過去をさかのぼる道具としては大変に優秀だったように思う。 いつの頃からか、辛辣な心の内を明かす文章を書くのもたのしかったし、自分が何者であるのかを知らしめるのにも役に立った。 ただ、多くの人がその行為に触れ、誤解も招くし、プラスにもマイナスにもはたらくのがこれまでの自分のSNSの利用の仕方だった。 し

          書けない悩み

          視覚動物化

          僕たちは、兎角視覚に頼りすぎる。 時には目をつむって、風を感じ、匂いをかぎ、手触りを確認しなければならないし、そのまま歩いてみたりしないといけない。 映像コンテンツが隆盛を極め、クリエイターの熱はそことばかりに注がれていく。 2次元の動く画像にとらわれていると、本当に大事なことを見失うかもしれないし、トレンドの先端ばかりを眺めていると、もしかしたら時間の消失に気づけないかもしれない。 死ぬ間際になってそれに気がついたら。 生きている時間を。 ゆとりのある時間を。

          視覚動物化

          かき氷機は買ってはいけない

          大学を3年で中退して、 ほんの少しだけ社会人して、 もう一度学生をした。 我ながらろくでもないと思う。 海外に行ったり、ちょっと素敵な飲食店で働いてみたり、珈琲に目覚めたり、釣りをしたり。 どういうわけか、本分に身が入らず、横道に逸れるというのが趣味のような生き方をしていたわりに、僕のこの危うい紙一重な生き方を肯定し、温かく見守ってくれる人が本当にたくさんいてくれる。 もう一度学生をしたいというのは今でもずっと思うし、なんなら、四年生大学に入り直したいというのはこの歳

          かき氷機は買ってはいけない

          ぱっちりお目目

          もっとイケメンに生まれてこれたら。 もっと高身長で生まれてこれたら。 そんなふうに思うことはしょっちゅうで、いつも自分の姿を鏡でみたり、不意にガラスにうつりこむときなど、見飽きた姿形に、枯れ葉がひらりひらりと地面に落ちて、ぽつんとしばらくそのまま佇むような、そんな気持ちになる。 それでも病気ひとつせず、健康そのものなことを思い出し、いやいや、最善を尽くそうではないかと気をとりなおす。 僕は男に生まれてきていてその性については何の不満もなく、左目がふたえで、右目がひとえ。

          ぱっちりお目目

          だいたい1日15分遅れ

          今の暮らしは水平線と向き合っている。 山小屋に暮らしていた時、ひたすら毎日気にしていたのは今日と明日の天気くらい。それと、日の出と日の入りと、月の出と月の入りくらいだろうか。 よく露天風呂につかり朝日を眺め、月や星を眺めた。 数年を経て、山の暮らしを懐かしむ余裕も出てきたこの頃。まさに、同じような暮らしを取り戻した。 焚き火をしながら月の出を眺め、日の入りをねぎらう。日の出は概ね、船の上から眺めることがほとんど。 そんな暮らし。 よいと感じている。 特に、毎日およそ

          だいたい1日15分遅れ