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地球へ途中下車夫婦のピースボート11/26 シンガポール 「昭南島」と呼ばれた歴史を学ぶ

シンガポールです!

シンガポールといえば、マーライオン(現在修復中で見られませんでしたが)や、マリーナベイサウンズ、セントーサ島など、日々変化していく華やかな観光都市のイメージが強いですが、今回は、シンガポールがかつて日本軍による占領で「昭南島」と呼ばれていた歴史があったことを訪ねるツアーに参加しました。。。

1942年、マレー半島をわずか55日で侵攻してきた日本軍はシンガポールに到達するとたった1週間で攻略、それまでシンガポールを植民していたイギリスを追い出し、3年半にわたって、「昭南島」として日本の支配下におきます。

東京日日新聞に掲載された
当時のシンガポールの地図

チャンギ収容所は、かつてイギリス軍が要塞として築いた建物に、日本軍がイギリス軍兵士、一部オーストラリア兵士たち捕虜と、シンガポールに在住していたイギリスの民間人合わせて3000人を収容し、強制労働をさせていた施設で、現在、チャンギチャペル&ミュージアムとして、公開されています。

ここで捕虜の彼らがどんな悲惨な収容所生活を強いられていたか、それでも信仰心を失わず、どのようにして彼らが生き抜いてきたかを記録しています。枕木一本人一人、と言われるほど大きな犠牲のもとに作られた泰緬鉄道の建設にも駆り出されています。

つづいて訪れたのは、シンガポールの高級住宅地の一角にある、日本人墓地公園です。
ここは第二次世界大戦で亡くなった日本人兵士たちや過去からこの地で亡くなった日本人を弔っているのですが、もともとは、からゆきさんたちの遺骨が葬られることなく、家畜の骨を処分する場所に捨てられていたものを、拾い集めて弔ったことがはじまりとされています。現在910の墓標があるうちの、半分がからゆきさんのものです。からゆきさんのお墓はみな他のお墓に比べてちいさな小さな墓石だったり、単なる盛り上がった土だったりします。

住宅街の一角にある

それから、まちのど真ん中にある「血債の塔」。日本の占領下で半日民間人に対する大虐殺がおこなわれた犠牲者を弔う慰霊碑です。

まちの真ん中にある

このとき殺されたシンガポールの人々は、5000人とも5万人とも言われています。
私たちはこうした事実を教科書で習っていないし、そういう歴史があったことも「昭南島」という名前すら、十分に伝えられてはいません。

ピースボートを代表して花を供える

ピースボートは過去からシンガポールへの寄港がもっとも多く、毎回、この昭南島の歴史を学ぶツアーを催行しているそうですが、現地在住歴の長い日本人ガイドさんがほんとうに熱心で、これからの国際社会での多民族国家、シンガポールの発展の展望の話まで、とても勉強になりました。

今回のピースボートでは、航行中にイスラエルによるガザ地区への攻撃がはじまりまり、現在の戦争に対して抗議するアクションと、そして今日は、日本人として過去の戦争に向き合う機会を得ました。

私たちにできることは、小さいかもしれないけれど、まず知ること、知らせること。周りの人と手をつないでいくこと。

それが世界の未来の平和につながっていく、と信じたいです。。。


乗客の21歳の女の子が、毎回、寄港地のたびにいろんな乗船客にその寄港地の絵を1枚描いてもらって、その絵と一緒に写真を撮る、というマイ企画をやっており、シンガポールの絵を頼まれたので、描いた幻のマーライオン


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