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LGBT法案 拙速な議論は理解を遠ざける・・・という記事の紹介と、個人的な意見など。

ちょっと前ですが、どこかの介護施設で職員トイレと更衣室がジェンダーレスになって退職者が相次いでいる・・・なんてTwitterを見かけて、どういうこと???と思ってたのですが、それは実は捏造だったようで事実ではなかったようです。

県の担当者が当該施設に確認したところ、そもそもジェンダーレストイレとジェンダーレス更衣室を設置しておらず、直近で複数の職員が退職した事実もなかった。

埼玉新聞

聞いた時は信じられない思いもありましたが、もしかしたらやりかねない施設もありかもな・・・と思って妙に納得してしまったのも事実でした。
ですので、捏造でよかったです。

ジェンダーレスというと『男らしさ』とか『女らしさ』とかを共用しない・させない社会にしましょうよ、という取り組みの事だと思っていたので、それでなんで男子トイレや女子トイレがなくなっていく方向になるのか意味がわかりませんでした。

むかし洋ドラの”アリーマイラブ”で確か共用トイレが描かれていたと思うのですが、正直男子トイレの中ですら個室に入って用を足そうとするときはできるだけ気配を消している僕ですのであんな開放的なトイレは考えられませんでしたが、海外ではあれが普通のなのか?と衝撃を受けたのも事実でした。

多様性を認めましょう、という世の中の流れで言ってもジェンダーフリーやジェンダーレスという言葉があるようですが、こういう事を認める事は大切と思いますけど、それはいろんな人が生活する中で互いに互いを配慮した上で、互いの違いを認め合いましょう、という事だと思います。
けして他人にそれらを強要する事ではないはずです。

ジェンダー: Gender)は、生物学的な性(: sex)とは異なる多義的な概念であり、性別に関する社会的規範性差を指す[1]:499。性差とは、個人を性別カテゴリーによって分類し、統計的に集団として見た結果、集団間に認知された差異をいう[1]:500[2]:409。ジェンダーの定義と用法は年代によって変化する[1][2]。ジェンダーという概念は、性別に関して抑圧的な社会的事実を明らかにするとともに、ジェンダーをめぐる社会的相互作用をその概念自身を用いて分析するものである[1][2]

Wikipedia - ジェンダー -

ジェンダーレスとは、従来の女性観(レディース)にも男性観(メンズ)というジェンダー(社会性別)にとらわれない衣類・商品・表現を意味する言葉である。混同されやすいユニセックス男女両用[1])の場合は、男女兼用で身体性の差を問わずに着られるシルエットをしている[2][3][4]。ジェンダーレスは社会性別性差のない、またはなくそうとする考え方も意味する[5][6]。主に特定のファッションなどサブカルチャーを意味する日本独自の用語でもある[7]

Wikipedia - ジェンダーレス -

ジェンダーフリー: gender-blind , ラテン文字表記:gender-free)は、本来は「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること」と定義される[1]和製英語である。英語圏ではこの意味を指す言葉として、gender-blind、gender-equalityなどの語が用いられる[2]。本来は「社会的性別にこだわらない」という程度の平易な意味であるのに対し、日本で「ジェンダーフリー」という言葉は多くの外来語のように異なる意味で用いられるようになった。これを踏まえて、2006年には男女共同参画局より地方公共団体に対して「この用語を使用しないことが適切」との事務連絡が出ている[3]

Wikipedia - ジェンダーフリー -

生物学的な性と別の多義的な概念がジェンダーという事のようです。
たしかに多様性を認めるのであれば、生物学的な性をいちいち意識する事についてはあまり意味がないような気もします。
相手を見る際にも、生物学的な性を気にするのではなく、”その人”を見ればそれでいいだけ、という事なんだろうと思いました。

ジェンダーレスというのは、社会的性別の性差がないという意味との事で日本独自の用語みたいですね。
ジェンダーフリーは、男女が平等に自らの能力を生かして自由に行動・生活できる事のようで、こちらも和製英語のようですね。

本来的な意味としては、”「社会的性別にこだわらない」という程度の平易な意味である”と示されていますので、日本で問題になっている騒動は実は本質をついていない問題であるようにも思います。2006年にはこの言葉(ジェンダーフリー)は使わないようにしましょう、という事にもなっているそうです。

個人的には、”男だから””女だから”という感覚をなくしていくくらいの感じでいいんじゃないかなぁと思っています。

そういう見た目や性別で”その人自身”を判断してしまわないようにする事は大切だと思いますし、我々介護職としては、”年を取ったから””認知症だから”高齢者だから”というレッテル貼りもやめて、”その人”にちゃんとフォーカスした対応ができれば、もっといいケアが提供できるのだろうと思っています。

もう一つ、この記事を書いている時に思ったのは、男女共学の頃の思い出話ですが、女の子が髪を切ったりメイクが変わったりすると男子はいち早く気が付いて褒めないと個人の評価が下がるという謎ルールがあってゲンナリしてた事を思い出しました。
そういうの気が付かないタイプなので正直めんどくさかったんですよね、おかげ様でモテませんでしたが。

法案は、LGBTに関する施策を推進するため、政府が基本計画を作り、毎年、その実施状況を公表することを国に義務づけている。企業や学校に対しても、必要な対策の実施を求めるという。

しかし、理解増進法案は、どのような行為が差別にあたるかを明示しておらず、肝心の対策も、今後の検討に委ねている。

読売新聞オンライン

どのような行為が差別になるのか具体的に示さないと法律として成り立たなくないですか?
今後検討するなら、検討して具体化できてから法律にすればよいと思います。

例えば、出生時の性は男性で、自認する性は女性というトランスジェンダーの人が、女性用のトイレを使いたいと主張した場合、どうするのか。スポーツ競技で、トランスジェンダーが女性の種目に出場することを認めるのか。

読売新聞オンライン

これ問題になってますよね。

こんなの悩むまでもない問題だと思うのですが、既に女性専用トイレがない公衆トイレが出来たり意味不明な事がまかり通ってます。

性自認が生物学的な性と違ったとしても、生物学的な性のトイレを使用すべきです。たとえばどうしても性自認の性別のトイレに入りたいのであれば性転換手術を受けて戸籍を性自認の性に変更してからの話だと思います。

性差別をなくするという事は、そういう意見や訴えを認めるという事だと思います。認めた上で、自分なりの意見を言えるというのが平等な立場で差別がない状態と言えるのではないでしょうか。

多様性を認めるわけですから、そういう性自認が生物学的な性別と違う人がいる事を認めた上で、そういう事自体を理解できない人がいる事も認めなくてはなりません。そこには互いに理解をする努力は必要ですけど、それを相手に強要する事は許されないはずです。

ですので、女性トイレには生物学的に女性の人しか入れないのは当然の事だと思いますし、そこに自分が性自認が女性だから女性トイレに入りたい、というのは訴えるくらいなら良いかもしれませんが、それは社会として認めるわけにはいかないんじゃないかと思います。
ルールが作れませんよね、性自認は個人の感覚で証明のしようがないじゃないですか。そんな個別性が高すぎる内容はルールとか法律が作れませんし、もしそんな事を許してしまったら、いろんな問題が発生するのは目に見えてますし、多くの女性の安心や安全を脅かす事になりますし、心を傷つける事にもなりますから、到底そんなルールや法律ができる事はあり得ないと思うのです。

自分たちの権利を主張する事は悪い事じゃないですけど、その意見が一方で誰かの権利を侵害したり傷つけたりしていないか、という視点をもたないとダメだと思います。

スポーツの問題も大きな問題だと思います。
心は女性だけど身体機能は男性の方が、女性スポーツ競技に女性として出場したらどうなるかはわかりますよね。

基本的に筋骨格は男性の身体機能の方が優位ですよね。
こういうのは生物学的な性別できっちりと区別すべきで、そこに自認の多様性を認める余地はないと思います。

医療だってそうですよね、女性と男性で薬とか治療方法とか違ったりしますよね。

生物学的な性と自認の性は別で論じられるべきだと思います。

自認の話でいくと、すごくびっくりしたのが年齢自認という事が存在していたという衝撃です。

詳細は記事を読んでもらえればいいと思いますけど、こんなトランスエイジまで認めてしまったら世の中おかしな事になってしまいます。

こういうのも生物学的な年齢と自認の年齢は区別して扱うべきだと思いますし、生物学的な年齢と自認の年齢に大きな差がある場合は、ちょっと検査なりして疾病を疑うべきなんじゃないかと・・・。適切な治療や訓練を受ける事でなんとかなりそうな気もします。

繰り返しになりますが、多様性を認める事は重要ですが、その価値観を認めた上で適切な対応は必要と思います。
なんでもかんでも権利を認めてしまっていては、別の多くの方が生きにくい世の中になってしまいます。社会って、より多数の人が幸福でいられるための制度だと思うので、なんでもかんでも個人の意見が全て認められる社会というのは、まだ実現できないんじゃないかな、と思います。

さて、元の記事に戻りましょう。

多様性を認めるためだとして、安易に法整備を図ることは慎むべきだ。「これも差別だ」「あれも差別だ」といった過激な主張に振り回される可能性もある。

先進7か国(G7)の中で、LGBTに関する法律がないのは日本だけだ、といった主張は事実に反している。各国は、差別禁止の一般的な規定を設けているが、日本は最高法規で法の下の平等を定めており、大きな違いはない。

読売新聞オンライン

サミットに間に合わせるために法案を急いだみたいですね・・・。

それぞれの国の歴史や文化、社会通念を認め合うことも、多様性の尊重と言えよう。

読売新聞オンライン

まさに多様性を認める、というのはそういう事ですよね。
こういうの政治家でちゃんと言ってる人いるのかなぁ・・・。

米国では、LGBTを子どもたちに教えるべきかどうかを巡って、対立が深まっているという。海外のLGBT対策を参考に、日本社会にふさわしい施策について議論を深めることが大切だ。

読売新聞オンライン

急ぐ必要はないと思います。
歴史や文化、人種が違うわけですので、海外を参考にしつつ、日本独自での方法や選択もあるはずです。もっと時間をかければいいですし、とりあえずジェンダーレスのトイレはいったん廃止した方がよいと思います。

東急歌舞伎町タワーに聞いた。

――ジェンダーフリートイレについて現在の形態に変更された理由は。

「お客様からの多くのご意見を踏まえ、女性トイレ利用エリアを、暫定的にパーティションで区画することにいたしました。

Business Journal

・・・なんで実施する前に想像できなかったのかと何時間でも問い詰めたい気持ちです。


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