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日々特殊と異常を楽しむ。それが私たち家族の「幸せで普通な生き方」

所謂「一般的」ではないのだろう、と自負しているのですが
我が家にとっての「普通」は、世間一般には「特殊」だと思います。

我が家は初めから特殊であったかと言えば、
やはり私の意識改革があってから大きく変わっていったことと、
少し変わり者、いや、大きく変わり者の夫の存在が大きいと思います。
子供の育つ環境は親子で作る家庭のあり方に
大きく変化されるものだということは身を以て痛感している次第です。

そして何が正解で不正解なのかは死ぬ時まで分からないことなのかなと思いつつも
私たち家族は「特殊」であることを楽しむ生き方をしています。

朝がそうであったように、家族で動く必要のある予定がある時以外は
兄弟は各々で一日のスケジューリングをします。

前日からの継続的な活動の場合もあれば
パッと思いついた面白そうなことに取り組むこともあります。
継続的な活動をする日は前日からそのようなお達しが自然とあるし
面白そうなことがあると必ず教えてくれるので
彼らの行動内容は保護者として認識しています。

それ以降はお任せです。

時間割もなければ、決まってやらなければいけない事も何もありません。
これは、現代社会においては「普通」ではないし「特殊」であって
下手したら「異常」なのかもしれません。

でもそれこそ「異常」なんて言葉よく見てみると
異なる常、常と異なる、です。
常とは「いつも、変わらないもの、普通、ありきたり、並」
なんていう状態らしいです。
私たちの「特殊」で「異常」な生活とは「そうではないもの」となります。

そして「常」の対義語として「稀」なんていう言葉もあります。
稀は少ないとか滅多にない、という意味の言葉ですから
私たちはうんと少数的な生き方を選択している事になります。
でもなんだか希望の希の字が入っていて、嬉しくなります。

さて、特殊で異常で少数派な生き方なんて聞くと不安になりますか?
そんなのやだ、って思いますか?

そう思う人はやめた方が良いと思います。
それが本心ならばそこに従うことが素直な生き方です。

そもそもこの生き方をおすすめしたくて書いているわけではなくて
あくまで「とある家族の生きるサマ.」をここに記しているだけです。

でももし興味があるのならば読んでください。
特殊で異常で少数派な生き方がどんなものなのか。

先の問題に立ち返ります。

不安かどうか…。

「とある家族」にとっては、全くそんなことありません。

実際私たち家族はとても幸せです。
心豊かに、様々な「普通」に縛られることなく生きています。

ちなみに別に宗教とか入ってませんよ。
特に地域のコミュニティや子供たちがフリースクールに参加することもありません。
アンスクーリングですから、本当にどこにも何にも参加しません。

でも「幸せです」そう言い切れるところこそ、
心満ち足りて生きている証拠だと思います。

全てのことは自分たちの心や気持ちと相談です。
家庭内で家族で相談です。

私が幸せになるんだ!と決めたのと同じように
それぞれが幸せに生きることを何よりも重要だと考えています。

だから何かを決める時私たちは誰かの作った「普通」という固定観念に
支配されることがありません。
自分たちで考える、どうしたいのか、どうであれば自分自身が幸せなのか
とにかく「自分軸」で考えることを優先しています。

だから、幸せです。
子供達にも時々、聞きます。

「キミ、幸せ?」って。
3歳の娘にも、彼女との会話が始まった頃から聞いています。
幸せの意味なんて分からないかもしれないけれど
幸せかどうかというところを彼女にも大切にして欲しいという思いがあって
時々聞いています。親のエゴかもしれませんね。

更に子供達には「こういう生き方」に対して違和感を感じる時は是非とも
教えて欲しいし、別の生き方がしたくなれば遠慮なく言って欲しいと伝えてあります。

我が家は、多分、すごく家族で話をすることが多いです。
子供たちがホームスクーリングをしていることも
夫が職業柄家にいる時間が多いという物理的な事情も要因ではありますが
それにしたって、あれやこれやとよく話します。
だからお互いのことはよく知っている方だと思います。
新しい発見も日々あります。
それは知らなかった子供の性格だったり、新しい成長の証だったり
いろんな形で現れます。
そういうことも含めて、その時その時、各々にあった幸せの形を
家族で共有できているように感じます。

活動の最中にももちろん感じられますが
一息ついて自分たちの暮らしや生き方を思い、振り返った時
輝かしさすら感じるほど満ち足りています。

だから、家族でこの「特殊」で「異常」な生き方を楽しんでいるといえるのです。
そしてそうすることが私たちの「普通」なのです。

そういえば先日、散歩へ出かけた次男が
近所でたむろっている中学生から「変なやつだな」というような言葉で
次男について話しているのが、聞こえてきたそうです。

それで10歳はどうだったかと言えば
「久しぶりに変な人扱いされたなぁ…」と言っていました。
落ち込むどころか、少々嬉しそうに。

子供達ももうすでに、「特殊」で「異常」に育っていて
でもそれこそが自分が幸せに生きる意味のように感じているのかもしれません。

次回はまた、子供達の具体的な生活を綴ってみようと思います。

「アンスクーリング その3」14歳 長男編「全く勉強してないけど、高校も行かないけど、大学は行くと決めている男②」


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