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そして誰も来なくなった

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有名なミステリの設定をお借りしつつ…。
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#謎解き

そして誰も来なくなった File 20

そして誰も来なくなった File 20

「さあ、私のものに…!」

理性をとろかすような香りに頭がくらくらする。残り1センチのところまで彼女の唇が迫ると、もはや抵抗する気力さえ失ってしまい、強張っていた両肩から力が抜けた。彼女の細い両手がしっかりと僕の頬を捕まえ、ブロンズの髪の毛がふわりと目元にかかる。

ごめん、美里…。

「いい子ね」

彼女の息が僕の顔を撫でた瞬間、

ピロリロリン! ピロリロリン!

スマホの着信音が鳴った。はっ

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そして誰も来なくなった File 19

そして誰も来なくなった File 19

「曾祖母は、元は愛知県の貧しい農家の出身でね。その日の食べ物すら苦労するような、窮屈な生活を送っていたの。もちろん学校に行けないから読み書きもできないし、十五歳になるまで行商の手伝いをして生計を立てていた。そんな彼女の一家に転機が訪れたの。1941年の夏のことよ」

「1941年の夏といえば、まだ日本軍は真珠湾を攻撃していませんね」

「ええ。この夏、一家総出で満州へ渡ったの。当時国民は敗戦色なん

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そして誰も来なくなった File 18

そして誰も来なくなった File 18

「名探偵アスカの推理をお聞かせ願えます?」

彼女はソーダ水をテーブルの脇へ滑らせると、組んだ手のひらに顎を乗せた。返答いかんによれば命はないと思わせる口振りである。

「そうですね。では、僕が貴女を疑ったきっかけからお話ししましょう」

僕はカバンからスマホを取り出すと、招待状を撮った写真を見せた。

「孤島に集められたみなさんの招待状が、それぞれ異なることは以前にお話しした通りです。その人を縛

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そして誰も来なくなった File 17

そして誰も来なくなった File 17

チリン、チリン。美里が去った後の『ヱルキュール』に響く入り口のベルは悲しい夏の音を奏でている。失恋、という考えたくない言葉が僕の狭い脳裏をぶつかったり跳ねたりして痛みを味わせた。マーガレットさんは細い眼を三日月のように光らせて、垂れ下がった僕の黒髪を眺めていた。

「もう、おっちょこちょいなんだから。彼女の前でソーダをこぼすなんて初歩的なミスよ」

僕は物言わず頭を振る。

「彼女にちゃんと想いを

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そして誰も来なくなった File 16

そして誰も来なくなった File 16

「美里、知らなかったのか?」

僕は意外に思って美里に確かめた。彼女は少し俯いて肯定する。

「うん。私が遺体を運んだばっかりに事件を混乱させたのが気になって、私のこと以外を喋る余裕が無かったの」

「仕方ないわ。まあ、状況が状況だったし、厳罰にはならないでしょう。執行猶予になるかもしれない。不利にならないよう、私がちゃんと証言してあげるわ」

「ごめんなさい…」

「いいの。さて、飛鳥くん。ギル

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そして誰も来なくなった File 15

そして誰も来なくなった File 15

K市はコンパクトシティを標榜している街だ。賽川という大型河川を横切るアーチ状の橋を渡ると、都心軸と呼ばれる中央通りが現れる。通りの両側にセレクトショップや有名カフェのチェーン店、書店、居酒屋などあらゆるタイプの店が立ち並んでおり、平日の日中といえども人口密度が高い。僕は自動車をもっていないので、バスを使ってするすると雑踏の街へ滑とり込んでいった。

バス停を降りて、美里から転送された地図を頼りに目

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そして誰も来なくなった File 14

そして誰も来なくなった File 14

「私見。前提としてデートに誘いたい相手との距離感が重要。それに応じて用いるフレーズを変化させる」

何故、真剣にこんなメッセージを書いているのだろうかと思いつつ、止まることのない両手の指先が画面上を滑らかにスキップしていく。

「1:相手が友達かそれ以上の場合。信頼関係は構築できているので、誕生日や長期休暇などを利用して外出を提案。その際、相手に不快感を与えぬよう、あくまで相手の好みにそった外出先

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そして誰も来なくなった File 13

そして誰も来なくなった File 13

夢を見ていたのだろうか。

使い古した敷布団の上で目を覚ますと、しみで汚れた天井が目に入った。全身を脱力させて生暖かい息を吐く。大学進学を機に住み続けている、細田不動産のアパートの一室。光線銃のような夏の日差しが西の窓から燦燦と降り注いでいる。スズメが飛んできてチュッチュと鳴いて空気を緩ませた。窓の隙間から強い風が吹き込んで、白レースのカーテンをゆらりと躍らせる。

カレンダーを見れば、20××年

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そして誰も来なくなった File 12

そして誰も来なくなった File 12

ギルバート・ロスは、階段を上がってきた美里とマーガレットさん、そして隣にいる僕に挟まれる形でじっと立っている。他の招待客は、睡眠薬入りドリンクのために寝てしまっているらしく、騒ぎ声が館に響いても何の反応もなかった。肩を強張らせて威嚇しており、狂気が全身からにじみ出ている。

「旦那様の亡霊だと?」

マーガレットは彼から視線を外さずに、こくりと頷く。

「ええ。敬称で呼ぶところから察するに、きっと

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そして誰も来なくなった File 11

そして誰も来なくなった File 11

『飛鳥』

放課後に僕の背中を呼ぶ声がする。懐かしいトーン。ちょっとだけ尖った口調。そして柔らかな香り。リュックサックを持ち直して振り返ると、寝癖のついた髪の毛が目元を覆って、彼女の姿を隠す。

『美里。どうした』

彼女は周囲の視線を気にすることなく、遠慮なく僕のもとへ走ってくる。異性に近づいてくるなんて、初めて喋ったときには信じられないほど積極的な行動だ。もしかして、僕の力で彼女を変えられたの

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そして誰も来なくなった File 10

そして誰も来なくなった File 10

大学に入ってから体育の授業を取らなくなり、運動不足だった足がすでに悲鳴を上げている。豆電球が列になって続く青白い通路を、マーガレットの背中を追いかけて歩く。羨ましいほどの長い足をしているので、歩幅も大きく、小柄な美里はついていくのに必死だった。

「どれだけ歩くんですか?」

とうとう根を上げてぺたんと冷たい地べたに座り込む。小学校の遠足で通った狭いトンネルの地面と似ている、無機質な肌触りだった。

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そして誰も来なくなった File 9

そして誰も来なくなった File 9

僕は二枚の招待状を机に並べて凝視していた。

午前六時。マーガレットさんが煙のように消えてしまった。彼女の部屋のベッド下やクローゼットのなか、館中のフロアを見て回ったが、結果は徒労に終わった。僕が昨晩のうちに彼女の秘密を訊いておくべきだったと悔やんだ。だが、もはや後の祭りだった。二人の夜の会話を陰でノイ・テーラーに聞かれたのかもしれない。秘密を隠すため、奴はマーガレットさんを亡き者にしたのだと想像

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そして誰も来なくなった File 8

そして誰も来なくなった File 8

「これもいい、これもOK…」

梶原美里は、身に着けていたものを順番にドアの隙間に投げてみて、どれがレーザーのセンサーに引っかからないかを実験していた。袖ボタン、ポケットティッシュ、スニーカー、ピアス、ヘアゴム。今のところ、すべてセンサーをスルーしてドアの向こう側へ通過できている。

あのハムスターが通り抜けられたのだから、小さいものなら可能なのかと始めは疑ったが、今藤はじめの招待状を投げたときに

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そして誰も来なくなった File 1

そして誰も来なくなった File 1

どうして、ここへ来てしまったのだろう。

一通のB6版の招待状をポケットから取り出して、鉛筆で記された差出人の氏名を確認する。

Noi Taler…ノイ・テーラーと読むのだろうか。日本生まれ日本育ちの僕は、外国籍の友人を作る機会はなかった。唯一外国籍の人と関わりをもったのは大学の入学式だった。たまたま隣の席へ座る男の子が、ぶつぶつ中国語をつぶやくの耳にして、彼が日本人ではないことがわかったのであ

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