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ケンカをやめて

 くせには良い癖と悪い癖があると言われるが、同じ癖でも良い面と悪い面があるとも言える。

 例えば、テレビのリモコンの置く位置が決められたところにまっすぐに置かれていないと気がすまないような人の場合。
 良い面として捉えれば、几帳面だとか、整理整頓が出来る人と思われるが、そうで無い人から見れば気持ち悪いとすら思われる場合がある。これは悪い面だ。

 何事にもきちんとしている人は、真面目で仕事も出来るかも知れないが、融通が効かないと言われて陰口の対象になることもある。
 逆に、時にだらしないと思われる人が細かい事を気にするのが嫌な人から見れば実は懐が深いイイ人という場合だってある。

 つまり癖は、ものの見方次第で、良くも悪くもなる。

 本当かどうか知らないが、欧米に比べると日本は、良い想定しかしない癖があると言われたりする。
 何かを決める時や何かをする時に、良い想定と同時に悪い想定もした上で策を練っておくのが良いはずだが、悪い想定はしない癖があるというのだ。悪い想定を予め「想定外」ということにしておくと、良い想定だけすれば良くなる。

 もちろん、良い想定を突き詰めることは悪いことではない。
 絶対に壊れない自動車を造るとか、絶対に安全な原子力発電所を設計するといったように理想を追い求めることも時には必要だ。

 しかし、人間はそもそも完璧ではない。
 つまり、間違いを犯す。

 ということは、「絶対」はありえないのであって、「もし」上手くいかなかったら、という場合も考えておかなきゃならない。

 それは造る側だけでなく、利用する側にも言える。
 買ったばかりのテレビが2日で映らなくなることだって有り得る。
 賞味期限内の菓子パンがカビることだって有り得る。
 物は壊れるし故障する。

 そういう不便は無いにこしたことはないが、実際にはある。
 

 みなさん仲良くして下さいというのが学校教育の基本方針だ。
 そりゃそうだ。仲良くした方がいい。
 でも、人が集まれば対立が生じることは日常茶飯事で、それは幼稚園児だって小学生だって、大人だって同じだ。
 ところが、私が記憶する限り、小学校では対立の収め方を習わなかった。自分が嫌なことは相手にしないようにしましょう。嫌がることはしないようにしましょう。悪口はやめましょう。人の物を欲しがらないようにしましょう。みんな仲良く楽しく過ごしましょう!
 対立の収め方なんてことは喧嘩をしながら覚えるんだという考え方もあるかもしれないが、そもそも喧嘩は駄目よ、という教え方だとしたらどうすればいいか。

 子供の頃から、人は意見が違っていて対立するのが当たり前で、そういう対立状態をどうやって丸く収めるのか、その方法論を教えた方が良い。
 それは、議論する力や交渉力に繋がるものだ。

 言葉を使って対立解消する方法が分からなければ、人は暴力に頼るしかなくなる。
 他人から見ればちょっとしたことで人を刺してしまうような事件が起きる。
 刺すことが悪いのは当たり前だが、どうやって解決すれば良いか知らなかった犯人だってある意味で社会の被害者だ。

 中学生が同級生を刺殺してしまう事件を聞いて、もし親や学校が仲良くしましょうとしか言わず、言葉による対立解消方法を教えないのであれば、「喧嘩は駄目よ」ではなくて、力が弱くて素手で叩くくらいの暴力しか振るえない年代に喧嘩をしておくことも大切なのかもしれないと思った。

おわり

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