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価値観を育む時代の今

 価値観はどうやって育まれるのか。

 物に対しての価値観で言えば、例えば自家用車。
 1970年代のディスコ・ブームの後の1980年代。
 世界一の自動車生産国となった日本は、マイカーを持つのが常識で、それは若者たちが抱く現実的な夢であり目標だった。大学生になれば自動車運転免許を取ってクルマを買って、友人や恋人と海沿いをドライブをする。それが定番の価値観だった。『私をスキーに連れてって』(1987年)という映画が公開されると、冬のドライブの行く先はスキー場となり、その頃からゲレンデでは松任谷由実の「恋人がサンタクロース」がこだまするようになった(広瀬香美の「ロマンスの神様」はもう少し後、90年代だ)。 
 だから当時の若者たちは、クルマを買うためにバイトをし、クルマでドライブやスキーに行くためにバイトをした。つまり大学は通うところでも勉強するところでもなかった。大学生時代には授業に出たことが無くバイトばかりしていたという人が大半だった(もちろん全員ではない。ちゃんと通っている人もいた)。
 そしてドライブの助手席に彼女を乗せることを目指す男の子や、彼の運転するクルマの助手席に乗ってドライブすることを夢見る女の子で世の中は溢れていた。
 ディズニーランドが開業したのも、「ドライブで聴く曲」が流行ったのもこの頃だ。
 同性の友人とドライブに行こうものなら「今どき男同士でドライブとは湿気てるな俺たち」と思うようになっていた。「あら、あなたドライブに連れてってくれるいい人いないの」と助手席から手を振る友人を引きつった笑顔で見送るなんてこともあったとか。
 恋愛マニュアル本が流行り、どうやって彼女をつくり、どうやってデートし、どうやってベッド・インするか。街でのナンパが流行ったのもこの頃。セックス・テクニックよりも、そこに行くまでの過程が重視された。

 自動車というのはモノでしかないが、その価値観は自動車以外の様々な価値観を引き連れて世間を席巻していたということだ。大学生の学生生活、バイト、男女交際、デートの仕方や場所、音楽や遊びに対する価値観も変わった。

 80年代後半からバブルとともに再来したディスコブームもバブル崩壊により敢え無く終わり、1990年代に入ると時代は平成になり、時を経てディスコはクラブへと継承されることになる。
 日本は不良債権の山となり、資産は紙くずになり、湘南ドライブデートで描かれたような明るくて爽やかな未来は消え去った。それから30年。浮かれた夢や根拠のない希望とは無縁な今、どのような価値観が時代を象徴しているのだろうか。

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 同じ船に乗っている限り、生まれ育った時代が持つ価値観の波に逆らって生きることは出来ない。何が正しくて何が間違っているのか、何が良くて何が悪いのか、何が楽しくて何がつまらないのか、何が好きで、何が嫌いで・・・。
 手に取った商品をカゴに入れるか棚に戻すか、それを人は自分の意志で決めていると思いこんでいるが、その価値観は自分で育んだものではなく、どこかで植え付けられたものだ。磨いたはずの自分らしさは、この時代でこそ輝くものかもしれないが、別の時代に行けば錆びついて鈍く光ることしか出来ないものだろう。
 どの店に行くか、何を食べるか、そこでどんな会話をするか、全てのことが時代に縛られていて、そこから抜け出すのは容易ではない。

 一方で、時代を創るのも人だ。
 今では廃れそうになっているファッション誌も、毎年新しい価値観をつくって来た。「今年流行りのカラーはこれ」というようなやつだ。それを見てみんなが買うから流行るカラーになる。
 マスを動かすメディアが注目されない今の時代。時代の価値観は多様化するのだろう。そうなれば「あの時代はこうだったよね」と後で振り返ろうとしたとしても、そんなステレオタイプな時代感は無いということなのかも知れない。
 個性や自分らしさが重要視され、自分磨きや意識の高さが求められた時代は終わろうとしている。
 物に対する価値観、お金に対する価値観、家族に対する価値観、友人に関する価値観、地球環境に関する価値観。
 私たちを取り巻く様々な価値観。それらは絡み合って複雑に連関している。
 別の価値観を押し付けられることを嫌煙する時代ではあるが、逃れようにも逃れられないのも価値観。押し付けられたら柔軟に融合出来るような価値観に変わって行くのかも知れない。

 さて、これから成人となって一歩を踏み出す若者たちの時代はどんな時代なのだろうか。そしてどんな時代を創って行こうとしているのか。
 楽しみでしかない。

おわり


 

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