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映画『チケット・トゥ・パラダイス』

 幸せな気分に浸ることがこんなにも心地よいことなんだと、この映画を観て久々に思った。

 娘が突如結婚すると言われて狼狽えない親はいない。
 昭和の男親なら奪いに来た男を殴り倒してでも阻止しようとしただろう。それがジョージ・クルーニーとジュリア・ロバーツに掛かるとコメディになる。娘を嫁にはやらないと言う親なんて古い価値観に思えるかも知れないが、自分事となると案外どんな親でも同じ轍を踏むのではないか。だからこそ他人がその状況に追い込まれているのを見ると滑稽に思えるのだろう。


 幸せというのは良い出来事に満ちていることだと思いがちだが、そうではない。かと言って、悪いことがあるからこそ幸せが際立つというような単純な理屈ではない。普段不幸せだと思っていることが実は幸せなことになりうるし、その逆もある。幸せになるために大切なことは、楽しみを先延ばしにしないこと。それだけのことだ。

 日常生活で祝福を言葉にする機会はそうは多くない。知人の結婚式でもなければ自然な気持ちで祝福することは無いと言っても良いくらいだ。人が幸せそうにしている場と時間と状況を共有して自分も幸せな気分になれる様なことは他に見つからない。
 少々古い考え方のようにも思えるが、やむにやまれぬ事情が無い限り、両家の家族が祝福してくれないと結婚は出来ないと思うカップルは多いはずだ。ふたりの想いだけでは結婚生活は続かないからだろうか。
 結婚に限らず人生には祝福が必要だ。祝福が無ければ幸せになれないということではないが、祝福があれば幸せになれる。中でも、家族・親戚から祝福されることは他には変えがたい。

 どんなに祝福されたって数年経てば離婚するカップルもあるのは事実。それは何かが間違っていたということではないし、ふたりのどちらかが悪いのでも無い。強いて言えば日常生活の忙しさにかまけて、ふたりの間に幸せを見つける努力を忘れてしまったからだろう。小さな幸せを見つけてそれを逃さない。その継続が是非とも必要なのだろう。それでも一度乱気流に突入すれば飛行機はかなり揺れる。旅客機ならば安全性には問題無いのでご安心を、とアナウンスされるが、人生にはそんなアナウンスは流れない。

 現実にはなかなかあり得ないようなことを実現してくれるのが映画。理想郷はフィクションの中にしか無いというのも事実だろう。2時間弱のトリップが楽園への切符になんかになるはずもない。
 けれど、眼の前にチケットがあるのにそれを見過ごして生きているのだということに気づけたとしたら、その時楽園はもはやフィクションでは無くなっているのかも知れない。

おわり


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