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映画『Everything Everywhere All at Once』
かけがえのない、という日本語がぴったりくると思った。
運命というと狭く、さだめというとそれ以外の道が排除されてしまう気がする。人知を超えるほど世界は壮大かつ広大で、かけがえのないものが眼の前にあることを人は忘れてしまう。日々の雑事に追われて目が回る思いをしていれば尚更だ。他人との視野の違いや世代の違いで見えているものが異なれば、理解し合うのが難しいと思ってしまう。言葉が通じないのは喋る言語が違う時だけではない。同じ国で育ち、同じ国を生きていても拒絶する気持ちが先だてば何も見えなくなる。敵対する意識を持つだけで相手が悪者に見えてくる。
同じ人間なのだから仲良く暮せばいいじゃないか、という言葉だけでは分断された世界は救えない。それほど溝は深くなってしまった。言語や習慣を超えた何かを持ち込むことでそれぞれが持つ常識を超越しない限り、分かたれた世界の壁を超えることは出来ない。
かけがえのなさを実感出来ないのは、小さな世界に閉じこもってしまうからだ。しかしこれは仕方がない。世界は開かれているようでありながらも閉じているものだ。旅行をしてみたところで、観光で見えるものは表面的なもの。受け身では無く、体験を重ねることでしか殻を破って向こう側の世界を見ることは出来ない。
どうしてこのような映画が作れたのか全く想像がつかない。
どうやってこのような映画を作ったのか想像を超えている。
コメディと思っても良い。SFと思っても良い。パロディと見てもいいだろう。それでいて奥深さを兼ね備えるとは、チャップリン映画を現代的なスケールと技術で描写したと言っても良いのかも知れない。
イマジネーションとアイディアと、独創性と神秘性に溢れ、B級映画風味まであって、役者は何を思って演じたのだろうかとまで考えてしまう。こんな下らなくてシリアスな映画は日本では絶対製作出来ないはずだ。多くのシーンがカットされて無味乾燥な映画にされてしまうだろう。
この映画を考えついたダニエルズは、きっとその辺の通行人が宇宙人に見えているのだろう。マンホールの蓋をあけると地球の裏側が見えると本気で信じているだろう。人類が常識だと思っていることの大半が下らないことだと気がついていない私たちをきっとどこかで今日も嘲笑っているのだろう。
そんな彼らの世界愛に満ちた映画だった。
よし、まずは優しくなろう。
おわり
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