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芸術作品の興業には解説が必要か
せめて解説が欲しい。アート作品に対してそう思う気持ちも分からなくはない。あなたの解釈で良いのですよと言われると、夏休みの自由研究テーマを探すのに苦労したあの時を思い出す。そんな気持ちではないか。
分かりやすいエンタメが賑わう一方で、個々人の解釈が求められるものは敬遠されがち。著名な作者以外にはアートが流行らない理由がそこにある。
製作に多額の費用が掛かるものは商業的な作品にならざるを得ない。スポンサーが金を出すのには理由が必要だからだ。かつて画家や音楽家にパトロンがついたように、アーティスト個人が信頼されて支援を受けるのであれば作品の一つ一つに蘊蓄説明は不要だ。けれども、数多くのスタッフによって分業で創られる作品ともなれば、説明や指揮者が必要になる。
ところが、いかに言葉を尽くして説明したところで、完成したその作品が伝えようとしているものは言葉では伝わらない。そういうものだ。
だから、分かり易い作品こそが正議となる。
理解や解釈が観る側に委ねられた途端にその作品を難しく感じるのは、作品に期待するものが違うからだろう。
ことエンターテインメントと呼ばれるジャンルは、同じ見解であることに安心し合う文化なので、個々人に解釈を委ねられるのは迷惑だ。同じ思いを共有出来なければ楽しさは増幅されない。
予想出来ない展開を探りながらも、どこかで予定調和なストーリーであることが支持を得る。
本にしろ映画にしろ、マスの共感が収益源になっている以上、分かり易い作品こそが正議となる。
本や映画に限らず演劇でもお笑いでも、商業、つまり儲けの種としてやるのであれば、万人受けするものでなければならない。玄人ウケ作品は趣味でやるのは良いが、商業や職業にはなり得ない。
生前当時それでは飯を食えなかった作品が、後代になって高値が付くのが芸術にありがちなこと。でも、それは芸術の価値とは別のもの。だから自分を表現するような芸術で食っていくのを目指さない方が良い。
多くの人に理解してもらいたいという想いと、多くの人が理解したいことはたいてい重ならない。多くの人が望むことを提供するのがエンターテインメントであり商売になる。
その逆に、あなたの想いの結晶である芸術は、一部の人には共振するかも知れないが、その他多くの人には響かない。つまり商売にならない。複製出来無い単品であればなおさらだ。でも、だからこそ価値が生まれる。
では、芸術を興業作品として提示したらどうなるか。普通は興業的に失敗することになる。当たり前だ。だいたいが、芸術がマスに支持されたら意味がない。そんな幕の内弁当的な芸術は無いし、あったとしても曇ったまなこの大衆がブームに乗せられているだけだ。
でも、誰もが素晴らしいと心からの感動に震える作品があったとしたら見てみたい。
おわり
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