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人生30歳ピーク説?

 若い人の身近な生活の中に年寄りの存在が無くなることで、歳を取ることに対しての恐怖感は増しているのだろうと思う。恐怖感というのは言い過ぎだとしても、生活圏の中で歳を取った人と交わることがないため、身内は別として年寄りは得体のしれない生き物という感覚にならざるを得ないかもしれない。それは老人の世界に脚を踏み入れつつある年代の私自身も感じることだから、若い人であればもっと顕著だろうと想像する。

 駅のホームやバス停で並んでいるところに平気で割り込むお年寄り。そこは優先席だろ!どけ!と恫喝してくる元気そうなお年寄り。静かな電車の中で、いま電車に乗ったところだからと言いながら1駅分喋り続けるお年寄り。理由は良く分からないが睨んでくるお年寄り。交通量の多い道路を横断歩道でもないのに横切って渡り始めるお年寄り。異常にノロノロ運転で意味不明なブレーキを踏むお年寄り。

 それぞれ事情があるだろうし、そんなのはごく一部のお年寄りであるというのは頭では理解出来ても、どうしてもそういう一部の人たちの行動が目立って目に入ってしまい、ステレオタイプとして頭に植え付けられてしまう。
 そうやって、世代間の見えない断絶感は強化されてしまう。

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 年を取ってからの生き方が分からないのは、何も若者に限ったことではなく、現在高齢者に分類される人たちも同じだろうと想像する。いまのお年寄りの中核は、核家族化が推進されて社会全体が若い力をもとに躍進していた次代を生きた人々だ。
 核家族化というイメージは、当時の若い人たちを都市に集約するために役立ったのであろう。田舎はかっこ悪くて都会がカッコいい、とか、田舎はつまらなくて都会は楽しいと思っているとしたら、あなたも昭和のイメージ戦略に毒されたままでいるということだ。
 若者と年寄りを切り分けて考えることで都会は活力を見出したけれど、人が都会へと去ってしまった後の地方では過疎化が進み閉塞感に苛まれることになった。

 年を取れば皺が増えて身体が衰え、記憶も衰える。いつまでも若くはいられない。そのことを老化と呼んだ時点で年を取ることに悪いイメージが宿ったのかもしれない。アンチエイジングという言葉に対して個人的にはアンチだ。オーディオの世界では良い音に辿り着くためにエイジングこそ大切と教えられたのに、アンチエイジングでは何も良くならないではないか、と思ってしまったりする。

 生物にとって、生きていることは変化し続けることと同義だ。
 年齢とともに年齢なりの変化を続ける。それが普通の営みだ。そのことに「老化」という名前を付けることで何か特別なことのように感じてしまう。まるで悪い変化のように感じるし、死という終点までの下り坂のようなイメージを抱かせる。
 たとえそんなことは無いと言ったところで、もはや誰も信じないだろう。よぼよぼになって一体何が楽しいんだ? という人にとっては。

 人生のピークが30歳でも良いと思う。
 実際、スポーツ選手の多くは、選手人生で考えれば30歳あるいはもっと前にピークを迎えることは多いだろう。だから、何歳がピークでも構わない。
 でも、あなたが生まれてから死ぬまでを「1つの」人生と考えるのであれば、30歳がピークというのは少し違う話になる。1度きりの人生ではあるが、例えばスポーツ選手としての人生が終わったとしても、その次のステップは間違いなくある。嫌でも別の人生がスタートする。むしろそうやっていくつもの人生を生きていくのが人の生涯だろうと思う。

 高校生の頃だったろうか、読んだ本の中で数学者の森毅氏が人生20年説を唱えていた。
 20年区切りで人生を捉え、二十歳はたちまで、四十まで、六十歳まで、そして八十歳までと20年で区切れば4つの人生があり、人によってはもう一つくらいおまけが付く。そうやって区切った人生のひとつひとつに目標設定をし、計画をして生きていく。人はそれぞれの年齢で全く別の生き物なんだから別の生き方をすればいい、高校生のわたしはそんな風に捉えて、それ以後も何となく人生の20年計画が頭にあった。
 もちろん、ぴったり20年に区切れないものだし、次の20年に向けて立てた目標が途中で変わらざるを得なかったりもする。しかし、目標が変わるにしても、20年が経過したらまた新たな次の20年が待っていることには変わりない。
 目標地点をピークと考えるなら、この20年説の考え方で行けばピークは20歳、40歳、60歳、80歳と4回くらいあることになる。

 ピークが何を指すのかにもよるが、あなたの生涯のピークがもし30歳だったとしたら、確かにその後の人生を歩むのことを考えるのは憂鬱になるだろう。もしかしたらあなた自身はそれで満足かもしれないが、誰も憂鬱そうなあなたを見たくはない。人生いつもいつも楽しいことばかりある訳ではないけれど、あなたには楽しそうに生きていて欲しい。憂鬱そうにしているよりもその方が断然いい。
 みんなが楽しそうにしている社会の方が良いに決まっている。個人レベルでは、そうはいかない経済的事情があったりするだろうが、社会として皆が楽しそうになっていたいよね、という価値観を共有するような、そんな世界の方が有り難い。20年もしないうちに老人に区分される私にとっては、そんな世界が1日でも早く実現することを願いたい。

おわり

▼ 森毅氏『人生二十年の説』



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