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映画『星の子』

 親がとある宗教に熱心な、いわゆる二世がどんな心境で生きているのか。勿論それはどんな宗教かに寄るし、家庭によっても様々だろう。自分が生まれる前から既に信者だったという親が多いのかも知れないが、親が入信した切っ掛けが子の病気を何とかしたいということだったとすれば、その子供にとっては複雑な心境だ。しかもその宗教のお陰で病が良くなったとすれば。
 この映画は、そうした家族が舞台だ。

 とかく宗教の場合は二世が可哀想と思われがちな気がする。でも、親の職業を継がねばならぬ家はもとより、そうでない家庭でも子供は親の影響下で育つ。そして、家庭は様々だ。
 世帯収入、両親の有無、収入源、共働きかどうか、価値観、家庭内の雰囲気、親の考え方、その家の仕来り、そして子供への愛情。どれも家庭ごとに違う。つまり、私たちはみんな二世なのだ。そして、親のお陰で生まれ育てられて来た。

 私たちみんなが何かの二世な筈なのに、育つ過程で自分の家庭がどうやら周囲と違うことを感じ始め、周囲もまた、あの家は少し違うぞと思われる筆頭に宗教が挙がるのは、それが比較的新しい宗教だからだろう。そうした信者は良く分からないものを信じている奴らで、何をするか分からないと思われがちだ。若い宗教の必然で、教義や儀式がはっきりしていて、信仰にも布教にも熱心な信者が多いからだろう。つまり、周囲に取ってみれば、良く分からないのに妙に存在感が強い集団に思える。敢えて強い言葉で言えば、社会の異物と映る。

 しかし、親が新宗教信者の子供に取ってみれば、周囲から親の信じていることを否定される筋合いは無い。そう思えればまだ良いが実際には酷く傷つくだろう。幼い子供にとって親を否定されることは自分自身が世界から否定されることでもあるからだ。
 危ない宗教とレッテルを貼られ親から引き剥がそうとする親戚は、それこそ悪魔に見えるだろう。

 自我が芽生え精神的に親から自立していく年齢に差し掛かる頃、その先にあるはずの将来が見えなくなった時、その家族が何を感じ何を目標に生きていこうとするのか。その時の想いを親と子供が共有し天に何を願うのか。何を信じるのか。
 たとえ理解し合えなくとも、何よりも先に、私たちはみな星の子であり家族なのだ。

おわり


サムネ画像出典: 『星の子』オフィシャルサイトhttps://hoshi-no-ko.jp/sp/

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