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AI(人工知能)を学習するということ

 ヤフーでは、全社員がAI(人工知能)のスキル習得を求められるようになるという。
 業態が業態だからね、と思った人はこの先危ないかもしれない。

 昔、笑い話の実話としてこんなのを聞いたことがある。
 ある家での話だ。

『我が家にFAXという便利な装置が来た。遠くに住む息子とのやり取りがこれで簡単に出来る、ということで重宝していた。
 ある日、歳をとった私の母がFAXの前で何かを送ろうとしたのだろうか、難しい顔をして困り果てている様子だった。聞けば孫に手紙を送ろうとFAXを使ってみようと思ったという。私は、ここに書いた手紙をセットして孫の電話番号を入力して、ここにある送信ボタンを押すんだよ、と説明したが、そんなことは分かっている、年寄をバカにするなと言う。じゃあやってみろよ見ててやるから、と私は母の傍らで様子を見ることにした。
 母は、いいかい、と言って手紙をセットし、番号を押してから振り返ると、ここまでは問題ないだろ? という眼で見る。確かに、手紙をセットする向きも正しいし、番号も間違っていない。
 母はFAXに向き直ると、送信ボタンを押した。
 FAXがビー、と音を立てながらスキャンされ、電話を掛けるピロポロピーガガギガガという音とともに反対側から紙が出てくる。至って正常だ。
 と思うと母は天井を見上げて、ほら、また駄目だ、と呟いている。
 どうして? と聞くと、何度やっても手紙は孫のところに行かずに、この後ろ側から出てきてしまうんだよ! と。
 母はスキャンしたデータではなく、紙ごと孫に届くと思っていたらしい。
 後で聞けば、息子は何枚も届くばあちゃんからのFAXに何のいたずらかと首をかしげていたという』

 別にAIが出来なくとも仕事は出来るし、やるとしてもプログラミングの習得をするのであればAIである必要は無い。
 しかし世の中あちこちで何かといえばAIが話題になって、仕事が奪われるとか、人間を超える時がくるとか、働かなくて済むようになるんじゃないかといった人々の妄想だけが膨らんでいる状況を鑑みると、学習課題にAIを選ぶというのはプログラミングを学ぶことが目的ではないのではないかと思っている。
 実際のAIを学ぶことによって、噂レベルではない本当の意味でのAIを知り、AIの出来ることと出来ないことを知ることが目的ではないか。
 それは裏を返せば、人間がやるべき仕事を見極めることでもあり、人間の存在意義や人間がこの先向上させなければいけないスキルを知ることだ。

 海外に留学したことをきっかけにもっと日本のことを知らなければと思うようになったという話を聞いたことがある。
 人は周囲のことや遠くのことは一生懸命見ようとするが、意外と足元のことは見えていないものだ。一度別の視点にたって振り返ってみることによって自分の立ち位置を知り、この先の道筋を見極めることは大切かもしれない。

 ヤフーという会社が、単にAIのスキルを磨かせるためではなく、人間の本質を見直すために全社員にAI学習を課したのだとすれば、なかなかやるなぁ、と唸らずを得ない。実際どうなのかは分からないが。
 我社でもやってみるか?

おわり

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