永田貴子

私の愛(無害・無変・無条件)に帰る道 ビレモでアサイゲルマニウムと歩む。 https…

永田貴子

私の愛(無害・無変・無条件)に帰る道 ビレモでアサイゲルマニウムと歩む。 https://biremo.net NPO法人でんでん虫の会で支え合い活動に参加。 http://denden64.org A COURSE IN MIRACLES MINISTER

最近の記事

脱力

田助もミケも準備運動やストレッチをしない。時折、伸びをするだけだ。 発声練習もしないのに響く吠声。 脱力だ。 均さんが言ってた。脱力、骨から。 筋トレもストレッチも不要。 腰が痛いはずなのに田助と追いかけッコが出来るではないか!?  大きな奇声を発してしまった(笑) 思わず踊りだす、タップダンスもどきに踵を踏み鳴らす。楽しい🎶 ダンスも音楽もこうして生まれ、 仲間と合わせることで新しくなって、 そこに思いが乗って歌が、 ごくごく自然に生まれたのだと思った。

    • 許す力が増すと本来の力を取り戻せる

      全く非科学的な私見ですが、30年以上アサイゲルマニウムを体内に入れて来て経験した心身の変化から、闘う力というより、許す力が増すようなイメージを持っています。 ガンであろうとウイルスに対してであろうと警戒して恐れることをあまりしなくなるような。それはアサイゲルマニウムという異物であるにも関わらず体内で平和的に、むしろ元気づける存在に触れ続けることからもたらされるような。こっちが恐れず身構えなくなると敵も敵ではなくなっていくような。 なので、アサイゲルマニウムの真骨頂は継続し

      • 私はわたしでいい、ここでいい。

        私はわたしでいい、ここでいい。 海獣の子供 を観て思った。 信じよう。

        • 「いのち」はつながっている

          「心の自由」は誰にも奪えない。 思いは勝手に湧いてくる。しかし、それは心とイコールではない。 教え、環境、法、出会い、、、外からの要因で思い込みは生じる。 心は腑に落ちる。私らしさを教えてくれる。 自分を見失い思いに苦しみもがいた末、立ち止まることを覚えた。 「本当にそうか?」 思いに向きあい、心に問う。 最近ではモヤモヤしていると立ち止まらずにはいられなくなってきた。案外、忘れてしまっていた子どもの頃の苦い思い出、親に言えずに心の闇にしまい込んでいた、転校直後の軽いイジメ

          死と向き合うことは生きる心を覚醒させる

          愛猫ミケが膝の上でくつろぎ、すぐ横で愛犬田(でん)が安らいでいる。 ああ、幸福だ。 「人類の幸福のために」 アサイゲルマニウムの生みの親、浅井一彦博士が掲げたビジョンは私の指針となった。迷ったときは、それに沿う選択肢を選ぶのみ。 私は人を疑い憎んでいた。いつしか人は命を脅かすガンであり、いなくなればいいという思いに取りつかれ、それと同じ人である私は「死にたい」とつぶやいては酒におぼれ暴言を吐く日々だった。 父がアサイゲルマニウムを世に広める役に立ちたいと心底願ったのは、『ゲル

          死と向き合うことは生きる心を覚醒させる

          全にしてゼロ

          信じるは疑うを生む 希望は絶望を生む 安心は不安を生む プラスはマイナスを生む 真理は偽りを生む 正しい答えなどないということか!? 全て良しは悪しを生む だから自由のみ 明るさは暗さを生む 私の感性では未知のまた未知 愛の定義、、、無害、無変、無条件 ほど遠い私である わかるはずもない 過去は未来を生む いるはいないを生む 成功は失敗を生む 富は貧困を生む 生は死を生む 私は私をわかっていない 人は人を命をわかっていない わかっていないことはわかるのだ! だから知りたくて渇

          全にしてゼロ

          先を行く馬鹿になれ

          自分らしく 自然体で ありのままに 私にはその意味がわからなかった。 どうしたらうまくいくのか全く見えない。 眠れない日々に 死にたい日々に 一体何がしたい? そう問いかけて、自分の心がわからないことに初めて気づいた。 どうせ眠れないなら 起きて脳裏に浮かぶことをとにかく書こうと決めた。33歳。 脳裏、、、そのうち昼夜問わず意識して初めて知った。 トイレに座っていると浮かんでいた見知らぬ暗い顔を、 仕事中にそこには居ない人達の不快な会話が、 少しずつ気づいていった。 会

          先を行く馬鹿になれ

          自殺しか道はないのか

          自殺は地獄でしか起こらない。 地獄は苦痛、生きている限り終わらない苦痛の世界。 地獄は絶望、希望という希な望みを叶えられる機会を完全に奪われた世界。 これだけ情報に満ちた世界に生きているのに、その情報を絶たれているのか? すぐ隣に笑顔で通り過ぎる人がいるのに、手の届かない檻の中に閉じ込められているとでも言うのか!? 疑ってみてほしい。 本当にそうなのか? 死しか光を与えてくれないという狂気の幻想に囚われてしまう前に。 あなたは人を傷つけるより傷つくことを選ぶ優しさを持つ。 あ

          自殺しか道はないのか

          戦いは対話へ

          親子、大人と子供、友、先生と生徒、彼と彼女、上司と部下、仲間、同志、夫婦、同級、同郷、同社、愛犬愛猫と飼い主、食肉食野菜と人間、虫と、鳥と、雑草と、山と、川と、光と、、、つながり、、、私一人でいったいどれだけ持っているのだろう。つながっているから生きていける。年を重ねる毎にその思いは強くなっていく。ただ、同じ相手でも違う関係でつながっていたならもっと優しくなれたかもと心が痛む瞬間はなくならない。 おかしい、と思う。立場に縛られ、自由を奪われる。しかし、そこに甘んじているのは

          戦いは対話へ

          信じたい

          与えられた境遇にもがき苦しみ、たまたま出くわした、与えられた出会いに救われる。地獄の世界、信じられない大人、そう思い込んでいた心に、人は案外捨てたものではないと信じる心を育んでくれる出会いがある。死んだほうがましだと腐りそうな時に出会って、いつの間にか生きたいと思っている自分がいた。 苦しめるつもりではないのに、私の存在に苦しいと訴える人々もいる。互いの人生を歩む道の途中に、互いにとって必ずしも良き出会いと思えなくてもいいのかもしれない。心に、美しくあったかい命のあるべき姿

          信じたい

          元氣とは

          時間やペース、道順などに制限されずに歩くことは心を自由にする。素足に近いワラーチがいい。何だかそれを避けていたのは、鍛錬のために必要と考え制限をかけようという心が働いていたのかもしれない。こんなに気持ちのいいことを避けていたとは。氣がまっすぐ通る感じでただ歩く、すると、ハッとした氣づきが得られた。昨年11月までの十数年は、花子が生きていたから朝晩の散歩で何度も心身を救われていたと思い出した。 そうしてあること、どこにいても出来るといいのかも知れない。 limitless…f

          元氣とは