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戦いは対話へ

親子、大人と子供、友、先生と生徒、彼と彼女、上司と部下、仲間、同志、夫婦、同級、同郷、同社、愛犬愛猫と飼い主、食肉食野菜と人間、虫と、鳥と、雑草と、山と、川と、光と、、、つながり、、、私一人でいったいどれだけ持っているのだろう。つながっているから生きていける。年を重ねる毎にその思いは強くなっていく。ただ、同じ相手でも違う関係でつながっていたならもっと優しくなれたかもと心が痛む瞬間はなくならない。

おかしい、と思う。立場に縛られ、自由を奪われる。しかし、そこに甘んじているのは私なのだ。犠牲になることを受け入れながら、あるいは犠牲を生みながら恨み言を内心呟き続ける。不自由と自由とのせめぎ合いが続く。肉体の生死か心の生死か、自分の生死か他の生死か。生きることは戦うこと。守りたい何かを死なせないために。それは思い込みだと、気づいているはずなのに攻撃をやめない私の心がある。

戦っている敵は本当に敵なのか。相手の立場に立つ身ならそうならないだろう。結局、敵とは思い込みが生んだ幻想。

互いの立場、守りたいものが違うということ、互いに何を守りたいから敵対しなくてはならないのか、、、知ろうとする力を願う。危機迫る、対話にならない相手であろうと、願いたい。

誰も傷つけたくないのだ。都合のいいことかもしれない。しかし、強く願っている心もある。

それなのに、敵をつくって戦いたくなる衝動に駆られる。衝動に駆られる自分との戦いなのかもしれない。自分との戦い、、、それは、衝動を抑えることか。そして、対話、忍耐強くあきらめない自分との対話を持つ力を。全てはよきことのための贈り物だと限界まで信じる力を願う。

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